祟りの記録
神の祟り
- 寛弘七年(1010)9月15日庚寅、前日に御卜によると、南西に大神社の大物主神の祟りがあった。(『御堂関白記』)
怪異の記録
怪異全体
- 天元四年(981)3月30日、円融天皇が「ここ数日間、天変や怪異が頻発している」と言うので、災いを祓うための仁王会が行われた。(『小右記』)
- 永観二年(984)11月13日、怪異のため、十社へ奉幣使が立てられた。(『小記目録』)
怪異を示す夢想
- 永延三年(989)3月15日丙申、藤原兼家は怪異の発生を示す夢を見たと話した。(『小右記』)
- 正暦元年(990)9月5日丁丑、円融上皇は怪異を示す夢を見たことを話した。→7日己卯、上皇のために怪異消除の願が立てられた。(『小右記』)
動物の怪異
犬の怪異
- 長徳四年(998)5月24日、神璽の筥の上に犬の糞の怪異があった。(『小記目録』)
鳥の怪異
- 天元五年(982)6月27日丁亥、青鷺が鷹に追われて、寝屋の中に入った。深い祟りはないが、慎むようにということだった。(『小右記』)
- 寛弘二年(1005)3月26日、雉が伊予守の邸宅に入る怪異があった。(『小記目録』)
- 寛弘八年(1011)8月28日己巳の午の刻、鳩の怪異が発生した。(『権記』)
鼠の怪異
- 永延二年(988)閏5月26日辛亥、璽の箱の上に鼠の糞があった。占わせたところ、一条天皇の病気と火事に注意するようにということだった。→代厄御祭と防解火災御祭を行うことになった。(『小右記』)
牛の怪異
- 寛弘七年(1010)8月24日庚午、藤原高扶から献上された牛が土御門第の細殿の北面に登ったので、藤原道長が吉凶を占わせたところ、不吉であるということだった。(『御堂関白記』)
猪の怪異
- 長和元年(1012)6月8日、比叡社において、猪が神殿に昇る怪異があった。(『小記目録』)
場所の怪異
- 永観二年(984)11月8日、多武峯の怪異が奏上された。(『小記目録』)
- 寛和元年(985)9月25日、仁寿殿にて怪異があった。(『小記目録』)
- 永延三年(989)6月25日、賀茂社において怪異があったので、軒廊御卜が行われた。(『小記目録』)
- 正暦五年(994)3月10日、参議の座が鳴動する怪異があった。(『小記目録』)
- 寛弘元年(1004)10月4日、東大寺において怪異があったので、諸社へ遣わす奉幣使が立てられた。(『小記目録』)
- 寛弘七年(1010)8月24日庚午、藤原道長は安倍吉平と賀茂光栄に9日に多武峯で起こった怪異について占わせた。吉平は慎むべきだと申したが、光栄は他の年の人が慎むべきだと申した。
→8月26日壬申、道長は吉平と光栄を召して占いの結果が同じではなかったことについて問うた。光栄の言うことは道理にかなっていたが、吉平は不当であった。(『御堂関白記』) - 5月9日壬午、7日庚辰の子の刻に敦康親王御在所の天井の上から瓦礫を投げる声が聞こえた。大炊頭賀茂光栄が占ったところ「三十日以内の丙・丁の日に一条天皇に不幸がある」ということだった。→実際に、23日丙申に一条天皇は病を患い、その後崩御となった。(『権記』)
天体の怪異
- 永延三年(989)6月19日戊辰、賀茂社の大木が倒れ、たくさんの星が出てきて南方に飛んでいった。→22日辛未に御卜を行ったところ、兵革あるいは疫気のおそれがあるということだった。(『小右記』)