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【現代語訳】『賀茂保憲女集』序文―陰陽師・賀茂保憲の娘の歌集

『賀茂保憲女集』は、安倍晴明の師匠で陰陽師の賀茂保憲の娘が編纂した歌集である。歌集の序文には保憲女自身の不幸に対する嘆きから始まり、身分の貴賤や日本の四季のめぐり、和歌の起源、男女の恋愛、最後に流行り病を患った時のことが記されている。その序文を現代語訳する。

本文

人生の振り返りと身分の貴賤について

【1-1】敷島の世の中、我が帝のご親族、国の内の司、千々の門過ぎにし年頃、ならへる月日のなかに求むれど、我が身のごと悲しき人はなかりけり。

(日本の世の中で、皇族や貴族、役人たち、その他すべての家の人々の過去と比べても、私ほど不幸な人間はいないだろう)

【1-2】年の積もるままに物思ひしげりけるときに思ひけるやう、儚い鳥といへど、むまるるより甲斐あるは、巣立つこと久しからず。

(年月の積もるままに物思いに耽りながら考えたのは、はかない鳥と言えども生まれた甲斐があるのは、すぐに巣立っていけることだ)

【1-3】儚い虫といえど、時につけて声を唱え、身を変へぬなし。

(はかない虫でも季節が変われば鳴き、脱皮していく)

【1-4】かかれば、鳥虫に劣り、木には及ぶべからず、草にだに等しからず、いはんや人に並ばず。

(そう考えると、いつまでも実家に寄生したまま年をとっていく私は鳥や虫にも劣り、木にも及ばず、草にさえ及ばず、人ならばもはや比べようもない)

【1-5】ちはやふる神代より、人を賢しきものにしけるぞ。

(はるかか昔の神代から、人間は賢い存在だった)

【1-6】空を飛ぶ鳥といへども、水に遊ぶ魚といへども、針を設け、糸を挿げて、その眼を閉じて、深き海といへど、木を窪め、楫を設けて、自ずから渡りぬ。

(空を飛ぶ鳥も、水の中を泳ぐ魚も、人は釣り針を付けて糸を垂らせば捕まえることができる。広い海原でも、木を窪めて船を作り、楫を手にとって自力で漕いで渡っていくことができる)

【1-7】すべて数へば、浜の真砂も尽きぬべう、田子の浦波も数知りぬべうもなし。

(人間の賢いところをすべて挙げていくと、浜の真砂も尽きてしまうほどたくさんあるし、田子の浦波も数え切れないほどになる)

【1-8】また男・女さまに従ひ、朱の衣年毎に色勝り、拙き松に棲む鶴は、みの衣年経れど色を変へず。

(また、男も女も置かれた環境に従って、緋色の衣を着ている五位以上の男は年を経るごとに衣の色が美しくなっていくが、つまらない境遇にいる緑の衣の男は、蓑のような薄汚い衣の色が何年経っても変わらない)

【1-9】望みは深けれど、谷の底に身を沈むることを嘆き、あるは世を背き、法に赴いて心を深き山に入れて、蓑を掛けて石の畳に身をかけて、苔の衣・木の葉をつきにして、松の葉を食ふ。

(昇進できない人は、谷底に落とされたかのように我が身を嘆き、あるいは世を離れ仏法に帰依して山奥に入り、蓑を掛けて石畳の上に横たわり、粗末な衣を身にまとい、木の葉を食器代わりにして松の葉を食べる)

【1-10】これは齢を保つと聞きたり。

(こうすると、長生きできるらしい)

【1-11】さるによりて、戒を保つことの世にこそ身をもやつし、人と等しからね、ゆく先は露に濡れて、草の上に居、我より上がれりと見し人の、罪の底なるを救わむと、身より賢き人のみなり。

(こうして、戒めを守って節制していた身分の低い者が来世では甘美な露に濡れて蓮の葉の上に座し、前世で自分より身分の高かった者を地獄から救うのは、賢い生き方だ)

【1-12】女は賢き玉の台の家刀自ともなりて、おもしろきことを時につけて見聞き、儚き八重葎に閉じられて、日の光だにまれなりといえども、露の自ずから光を見せ、虫の自ずから時を知らせ、草の自ずから花の色を見せつ。

(女には立派な家の主人となって興味深いことを折りにふれて見聞きできる人もいれば、質素なあばら家に閉じこもって日の光にあたることさえ稀な人もいるけれども、露は自ずから輝けるし、虫も自ずから時を知らせ、草も自ずから花を咲かせることができるのだ)

【1-13】かくさまざまなることを見れば、我が身の悲しきこと、命は幸ひを定め足らぬ世なれば、さりともと若き頼みに頼みしことを、いま年の老いゆくままに哀れなることを思えど、卑しきには友とする人もなし。拙きには雅やかなることなし。

(こうして様々なことを見ると、我が身の悲しさを思い知らされる。生きているだけで幸せとは限らない世の中なので、そうであっても若さを頼みにしていたのに、今となっては年の老いゆくままに感傷的になっても、身分の卑しい我が身には友とする人もいない。拙い我が身には雅やかになることもない)

【1-14】かかれど、心ひとつに嘆きて、朝には白妙の衣に紅の時雨降りしき、夕べには墨染の闇にくれ惑ひて、あるときに胸に思ひを焚きて、灰に書きつくれば、煙となりて雲とともに乱るる。

(そうは言っても、心ひとつに嘆いて、朝には白妙の衣が紅の涙に染まり、夕べには墨で染めたような闇の中をさまよう人生で、胸に思いを焚いたときがあったとしても、灰に書くようなもので、煙となって雲になって乱れるだけだ)

【1-15】時には思ひ流して水に書けば、波とともに乱るるにと、心をばなぐさの浜に寄せ、かたちをばかひあるさまにもてなして、おもしろきことを心にこそ思へ、誰にかは言はむ。

(時には思いを水に書いても、波とともに流れてしまうのに、心を名草の浜に寄せて慰め、言葉を紡いでいき、おもしろいことを心に考えて、誰かに言うことはない)

【1-16】珍しき言の葉を言い出でたれと、誰か頭を傾け、深き味わひをも知らむ。

(気の利いた言葉を口にしても、誰がうなずいて深く味わってくれるだろう)

【1-17】世になき玉を磨けりと言ふも、誰か手の内に入れて光を哀れびむと思えど、泥の中に生ふるを、遥かにその蓮卑しからず。

(世に珍しい玉を磨いても、誰が手の内に入れてその輝きを慈しんでくれるだろう。泥の中に生えていても、蓮が卑しいということはない)

【1-18】谷の底に匂おふからにその蓮卑しからず、宮の内の花といへども、咲くことは隔てなし。

(谷底に咲いていてもその蓮が卑しいということはなく、宮中に咲く花にも劣らない)

【1-19】東の山に秋の紅葉照らず、西の山に春の花開けずはこそあらめ、空に澄む月の影、儚き水に映らずはこそあらめ、

(春の山を秋の紅葉が照らしたり、秋の山に春の花が咲かないことがあろうか。空に澄んでいる月の影が水に映らないことがあろうか)

【1-20】大きなる川・小さき川も波のさま隔てなしと思えど、人より劣れる人の優れたる才現るること難しと言へど、人に勝りたる人の劣りする才は、劣りたる言の葉のおもしろきにはあらず。

(大きな川も小さな川も波のようすは変わらない。とはいえ、身分の低い人に優れた才能が現れることは難しく、身分の高い人の劣った才能はたいしておもしろくもない言葉で褒められるものだ)

【1-21】人の賢きなりと言へど、冬の雪何処のに劣らずと思へど、越の方のには如かず。

(人間は賢いと言っても、冬の雪は何処も同じだと思っていても、北陸の方の雪が最も美しい)

【1-22】鮭と言ふ魚の冬出で来れば、北へ流るる水すらも友とせり、鵜といふ鳥を冬の川に飼ひて、荒き嵐に涼むことなし。鷹といふ鳥を夏の野に狩りして、遊ぶことなし。

(鮭という魚は冬に生まれるから、北へ流れる水すらも友とし、鵜という鳥を冬の川で飼って、荒々しい風の中で涼むことはない。鷹という鳥を夏の野で狩って遊ぶことはない)

【1-23】松の子の日、いつも多かれど、夏の野に出でひびかず。

(子の日はとても多いけれども、夏の野で引くことはない)

【1-24】あやめ草多かりと言へども、春の子の日にひかす。

(菖蒲草はたくさん生えているけれども、春の子の日には咲かない)

【1-25】同じく比ぶる駒と言へども、賢きには負けぬ、同じき徒弓と言えども、的に当たらぬは負けぬ、同じき相撲と言へど、力弱きには勝ぬと思えば、いかでか隔てのなからむ。

(同じように、競べ馬と言っても賢い馬には負ける。徒弓でも、的に当たらないと負ける。相撲でも、力の弱いものには勝つのだから、どうして優劣の隔てがないといえよう)

【1-26】賢きは賢く、幼きは幼く、高きは高く、短きは短く、長きは長うこそはあらめと思へば、昔より、高う・短きを定めとり、時を分きおきたるに、今我が身に乱れ物思ひのままに告げむ言の葉を分かでやはあるべきとて、

(賢い人は賢く、愚かな人は愚かで、貴い人は貴く、命の長さにしても同じだと思えば、昔から身分の貴賤を運命を受け入れて時を過ごしてきたのだ。けれども今、我が身が乱れ思いのままに書く言葉を遠慮する必要はないだろう)

【1-27】ある時は長き夜を明かしかね、ある時は短き日を心許なかり、人知れぬ恋なきにしもわかねば、枕定めぬうたた寝のほどに夢醒め、花霞み露につけ、草葉につけ、鳥虫につけ、ある折には独り有明の月に浅茅が露おきいて、秋の宵の間に心のゆかぬところなく、唐土まで思ひやれば、鶴群れいつつひとり食む。

(ある時は長い夜を明かしかね、ある時は短い一日を不安げに過ごし、人知れぬ恋をしているわけでもないので、枕の方向も定めずうたた寝をしていると、夢から醒める。花霞や露につけ、草葉、鳥虫を見るにつけ、あるときには独り輝く月を見るまで起きていて、秋の夜には物思いに耽り、遠くの唐土まで思いを馳せる、群れから離れた鶴が独りで食べている)

【1-28】葦原の中つ国に艶めかしく、たおやかなること葉まさり、賢しく賢きことは唐土には劣り、山の姿・海のほとり、怪しう甲斐ありて、おもしろしという人には会はば、なにはのことにつけざらむ。

(葦原の中つ国には艶めかしくてたおやかな言葉があり、山の姿や海のほとりを見ても趣深いと言う人に出会えれば、いろいろなことを話したいものだ)

【1-29】されど人の心合わずして、おかしきことは少なくして、憂きことは多かり。

(けれども、気の合う人はおらず、面白いことは少なく、憂うことは多い。)

【1-30】倭文の苧環繰り返し、卑しき心ひとつを千草に成して、言ひ集めたれば、あるは四十文字、あるは二十文字などして、言ひ集めたれば、三十文字にだに続くること難きを取り集むれば、近江の海の水茎もつきぬべくかき集めば、陸奥の檀の紙もすきあふまじく、心に入るる言の葉のあはれなれば、起くと伏すと思い集めたることども、涙にくだし果ててんと思へど、闇の夜の錦なるべしと思ひて、明け暮れ見れば、水の泡にだに劣れりけり。

(何度も拙い心をいくつもの言葉に表してみるものの、あるものは四十文字で余るし、あるものは二十文字で足りない。三十文字にまとめるのでさえ難しいのに、取り集めた言葉は琵琶湖の水茎もなくなってしまうほど多く、陸奥の檀ですいた紙も足りなくなるほどで、心に込めた言葉が哀れなので、起きても伏しても書き残した言葉は涙とともに消してしまおうと思うが、闇夜の錦のように誰にも見つからないので、明け暮れ見ると、水の泡にさえ劣っている)

【1-31】流れての世に人に笑はれぬべければ、なお雁の涙に落とし果ててむと思ふものから、なほかき集めてけり。

(この歌が世に知られたら人に笑われてしまうので、雁の落とした涙のように消えてなくなってしまうだろうとは思いつつも、やはり言葉を集めて歌を作ってしまう)

日本の四季について

【2-1】春・夏・秋・冬、四季なり。

(日本には春夏秋冬という四季がある)

【2-2】万世照らす日の本の国、言霊を保つに適へり。

(日本は万世を照らす日の下の国だから、言霊が宿るのに適している)

【2-3】おごきなき奈良の都の東には、万世のかげ見ゆる鏡の山、清かに澄めり。

(動くことのない奈良の都の東には、万世の影を映す鏡山が清かに澄んでいる)

【2-4】千年経る鈴鹿の関より、越ゆる年の一日よりは、蜑の栲縄繰り返し、千尋の伊勢の海を歌ふ。

(千年を経る鈴鹿の関を越える年の一日より、蜑の栲縄繰り返し、広い伊勢の海を歌う)

【2-5】西は限りなき我が君の御代に住吉の浜、代々に枯れせぬ松生ひたり。

(西は帝の御代にあって住吉の浜があり、いつまでも枯れることのない松が生えている)

【2-6】憂きことはみな忘れ草茂れり。

(つらいことを忘れられる忘れ草が生えている)

【2-7】嬉しきことは尽きせぬ葦原に鶴おりい、としを積める船、千々の帆を下ろす泊まりかひある海に騒がしき波なく、空に晴れたる雲なく、

(嬉しいことの尽きない葦原に鶴が舞い降りて、稔を積んだ船が千々の帆を下ろす船着き場は穏やかで、空は晴れ渡って雲ひとつなく)

【2-8】霞たなびき渡り、木草も心をとなへ、鳥虫も声々囀れば、人も喜びをなし、盛りとする春の長閑けき池のほとり・花の間と心のほど爽らかに、松のたてざま世なれたるに、藤はひかかり、苔の衣青やかなるに、黒木の橋渡し、白妙の鷺降りいてのどかなるに、茜さす緋の色衣、深きも浅きも人参り集まりて、春の方の東琴を、くれたし声に調べ、梅が枝に来いる鶯などかき鳴らして、万歳楽など吹き遊ぶ。

(霞がたなびく春になると、草木も生い茂り鳥や虫も囀れば人々も喜んで、満開の花に囲まれた池のほとりで心爽やかになり、見慣れた松の立ち姿に藤が寄りかかっている。苔の衣を纏って青々としている地面に黒木の橋を渡し、白妙の鷺が降り立ってのどかな風景となり、緋色の袍を着た人や、深い色・浅い色の袍を着た人々も集まってきて、春の東琴を奏で、梅の枝に来る鶯などをかき鳴らし、万歳楽などを吹いて遊ぶ)

【2-9】内には長筵敷きて、長裳着たる人ぞ寄り来て、頭白き翁媼歯固め、おほしきことを言い留めて、鮎の口をうつくしみ、影も浮かばぬ餅の鏡として、遥けき行く先を見て、神も許さぬ幸ひを、欲しきに従ひて預かり、人も許さぬ言の葉を、心のままに楽しむ。

(内裏では長い筵を敷き、長い裳を着た人々が集まって、白髪の翁や媼が歯固めをしようと言って鮎を頭から食べる。正月に食べる鏡餅は、本物の鏡のように影を映すわけではないが、遥か先の未来を見通して、神も許しがたいと怒ってしまうのではないかというくらい強欲な願いごとを、人にも許されないような言葉で自由気ままにお願いする)

【2-10】また、ほどにあひては、草の庵に久しき松を飾りて、かいをば保たずして、寿を保てるさまとも、いつと見志てにはと、身をもちあまりて、老いのふくろこしにあまりて、家とし待ち喜び、茅野の谷にはしく子など呼び遊ぶほどに、やうやう氷溶けて谷の響き多く、落つる水にかほまさりて、葦のよは短く、春の日は長くなる。

(また、庶民の家でも長寿を願って松を飾る。これもまた、身勝手な神頼みだ。長生きするといっても一体いつまで生きるのかと、身を持て余している老人の腰は袋のようにしわしわになっている。茅野の谷を走り回っている子を呼んで遊んでいると、次第に氷が溶けて谷の水音も大きくなっていく。水が流れ落ちていき、川の水が増していく。夜は短く、日は長くなっていく)

【2-11】鶴ははぎを隠して水袴着たりと思へり。

(鶴は脛まで水に浸っていて、まるで水袴を履いているようだ)

【2-12】海人は暖けき日を、衣えたりと思へり。

(海人は暖かい陽の光を浴びて、衣を得たようだと思う)

【2-13】波とともに佇みて、磯菜摘む。

(波に濡れながら佇み、磯菜を摘む)

【2-14】野辺には白妙のけごろも着たる人、筐を引き下げて、若菜摘む。

(野辺では白い衣を着た人が、竹籠を手に提げて若菜を摘んでいる)

【2-15】柳の眉広げたり。

(柳のように細い眉を広げている)

【2-16】花の姿鮮やかなり、貌鳥心のままに遊ぶ。

(美しい花が咲いており、貌鳥は思うままに戯れている)

【2-17】水は鏡に似たれども、何かは恥づかしきことのあらむ。

(水は鏡のように姿を映すけれども、貌の名をもつ鳥なのだから、何を恥ずかしがることがあろう)

【2-18】山彦は、呼子鳥の声に従ふ。

(山彦は、呼子鳥の声に反応する)

【2-19】声なき蝶は、花の下になづさふ。

(もの言わぬ蝶は、花の下に懐いている)

【2-20】雁だに、常世を忘れず、散る花宿りを定めず、鶯のはぶきの花を断たずして、暮れゆく春を惜しむ。

(雁さえ故郷を忘れずに帰っていき、花は散る場所を定めず、鶯は羽ばたいて花を散らすこともせずに、春の終わりを寂しく思う)

【2-21】こを人となす鳥は、たつ月を喜ぶ。

(成長していく鳥は、月日が経つのを喜ぶ)

【2-22】日を降る雨多かれど、苗代水に争ふほどに、夏になりぬれば、初めを防ぎし火桶を、むばたまの暗きすみに置きて、鼠の巣になし、風なきあなたに捨てたり。

(雨の日が多いけれども、苗代水を急いでいるうちに夏になってしまったので、年の初めに寒さを防ぐのに使っていた火桶を、暗い隅の方に置いて鼠の巣にしてしまい、風の吹かない方に捨てる)

【2-23】蝙蝠は時に合ひて、薄き衣を裁ち切るとて、ひさぎをまねひて卯の花白襲ところどころほころびて、山の端を出づる弓張の、久方の疾く入る影のせしかば、驚きてやうやうまといる月の桂を空ものどもと果てに降りて、照る日をもみあれとてひく。

(扇子の似合う季節になり、衣替えをする。卯の花色の白襲が所々ほころびている。山の端を出る弓張月が早々と影になって小牡鹿が驚き、次第に満月となっていく。月の桂の木は空のものだから、最後は地上に降りて、照る日の御阿礼木を引く)

【2-24】祝ふ社のところなく、霞の庵も変はらぬ榊さし、木綿襷かけて、急がぬ人なく騒ぐほどに、郭公の声、五月雨なるほどにかくれぬのあやめ草をもひきあらわし、浅茅か中の蓬をも漁り出でて、つまを定めたるうへめとも、誰をこひちにおりたるにかあらん。

(神社に人々がひしめき合い、粗末な家でも榊を挿し、木綿襷をかけて皆が忙しなく騒いでいる。そこへホトトギスの声が聞こえてきて、五月雨の五月になる。隠れ沼のあやめ草を引き、浅茅の蓬を刈って、既婚の女たちが集められる)

【2-25】濡ちうたうほどに、月日積もること、大幣になりゆくは、流るる水に類へ、風に任せて涼み、ひねもすになく空蝉の露を待つ命、心細く暮らしかねたる夕闇に、飛び渡りたる蛍の光、小牡鹿は照射の光に驚く。

(五月の雨に濡れながら歌を詠んでいるうちに月日が過ぎ、大祓の大幣を引く六月になると、流れる水に寄り添い、風に吹かれるままに涼み、一日中鳴いている空蝉のはかない命を思って心細く過ごしている夕闇のなかへ蛍が飛んできて、小牡鹿は照射の光に驚いている)

【2-26】水に宿れる影を、魚は怖づ。

(水に映る火影を、魚は怖れる)

【2-27】灯す夏の水の飾りに、大殿の灯火は消えぬ。

(夏の水辺を篝火が照らし、御殿の灯火は彩りを失う)

【2-28】照る日にも消えぬ氷をも、氷水と言ひて暑し暑しと言ふほどに、避けたるに、ほのかなる夕立に注げる雨は、わだつみに降る雪の間のごと、蓮の間よりわずかなる影見ゆる月のこと飽かず見ゆる程に、龍田姫色を染め分く秋に入る。

(地を照らす太陽にも溶けぬ氷を氷水にして、涼みながら暑い暑いと言って暑さを避けていると、ほのかに夕立が降ってきた。かすかに注ぐ雨は、大海に降る雪のようにあっという間であった。蓮の間からわずかに見える月を飽きもせずにみていると、龍田姫が紅葉の色を染め分ける秋が訪れる。)

【2-29】まゆみの紅葉赤く、木高き所々に移ろひ渡りて天にたとふる七夕の、契れる月日を待ちて、忍びの夫をもとらすして年経れば、常にあかぬ言葉を交わし、珍しくてかよはひほしの暇なく渡る雲路の明日、夕なれずならねば、憂きこともなくはず。

(まゆみの葉が紅く色づき、木々の高いところまで染まっていき、天の星に例える七夕の季節がやってくる。織姫は彦星に逢える日を待ち望んで、密かに他の男を通わすこともなく一年を過ごし、やっと逢えたときは語り尽くせないほど言葉を交わす。逢瀬を交わすことに慣れていないので、夜這星〈流れ星〉が休みなく降ってもその意味がわからず、そのまま後朝を迎えてしまったならば、落ち込んでしまうこともあるだろう)

【2-30】今はすさまじといふ空もなく、まれにあふ暁の涙を落としたる露と集めて、空五倍子文を書き始めけるよりなむ、天・地・星・空と言ひけるもとにはしける。

(夜が明けて、織姫と彦星の別れの涙が降り落ちて露となったのを集め、空五倍子文を書き始めて「あめつちほしそら……」とつぶやきながら筆を走らせる。)

【2-31】武蔵鐙はじめはうつし人は、おのが心の短きをもちて千歳と契り、数知らぬ言の葉を交はせば、岩木ならねばおこきて、程もなく下紐打ち解けて、慣れたる姿・繕はぬかたちを玉櫛笥あけくれは、真澄鏡影をならべあひなし。

(今の男たちは文を書かず、自分の心変わりの早さを顧みることなく千年の契りをなして数え切れないほどの言葉を尽くして女を口説こうとする。女も岩や木ではないから心が動いて、程なくして下紐を解いて繕わぬ姿になり、明けても暮れても肌を重ねあう)

【2-32】見知るほどに、染めし紅あくにかへりて、契りし松に波高く、誓ひし言の葉泡と消えぬれど、七夕はゆゆしとぞ言ふめる。

(とはいえ、お互いを見知っていくうちに、出逢った頃は紅に染まっていた心も灰汁のように色褪せて飽きてしまい、高波が松を越えていくように誓いの言葉は泡と消えていく。だから、七夕というものは不吉なのだ)

【2-33】女郎花たをやけき野辺には薄打ちなびく夕暮れに、旅人疾く行くほどに、馬の面まことにしも見えねば、望月の駒というは、せきみつかけおれはにやあらん。

(女郎花がたおやかに咲く野辺に、ススキの穂が風になびいている。その夕暮れのなか、旅人が足早に進んでいるときは馬の顔もまともに見えないが、望月の馬であれば関所の水場で姿を見ることができるだろう)

【2-34】風の声、夜ごとに勝り、虫の声心すごき山里に、小牡鹿うち鳴き、萩の下葉色づくを眺めて、心細けなる女、はかなく契りし人待つとて書き連ねたる雁おば、来るかと思ひて、なよ竹の長き夜を明かしかねては、春日となけれど、入りくるも緑の色を心に染みて変はりたり。

(風の音が夜毎に大きくなり、虫の声が気味悪く感じるほど寂しい山里に小さな牡鹿が鳴き、萩の下葉が色づくのを眺めながら、物寂しげな女があてにもならない契りを交わした男を待っている。返事が来るのを今か今かと待ちわびて、なよ竹のように長い夜を眠れずに過ごし、やがて日の光が差し込んできて、木々の緑も心に染み込んで色が変わってしまった)

【2-35】月の光を袖に映しなどす。

(月の光を袖に移したりする)

【2-36】宵もつちをとは高くなり、虫の声をば短くなりまさりて、明けたてば、霧たつ野辺に狩りするあた人、宿借りなどするに、夜さりになりにたりとて、菊に綿覆ひて、朝顔に萎めるこを翁媼にしはのふれと露たまりいて、木枯らしの嵐に結ぼほれたり。

(夜になっても槌を打つ音は高く響き、虫の声は短くなっていく。夜が明けると、霧の立つ野辺に狩りをしている移り気な人が宿を借りたりする。九月九日の重陽の節句の前の晩には、菊に綿をかぶせて、その綿で朝の顔が萎んでいる子や翁、媼のしわを伸ばすのだが、菊に溜まった露が木枯らしの風に吹かれてからみつく)

【2-37】きりぎりすめの声、夜ごとに弱りゆくままに、物思ふ人は涙のひまなくなりぬれば、人は衣替ふと急ぐ。

(きりぎりすの鳴き声が夜毎に小さくなっていくにつれて、物思いに耽る人は涙に暮れているばかりだが、人々は衣替えのために忙しなくしている)

【2-38】木の葉うしなへる山は衣なき嘆きをす。

(木の葉が散ってしまった山は、衣を失ったと嘆いている)

【2-39】露は朝ごとに置きまさる。

(露は、朝毎に溜まっていく)

【2-40】白妙の月見る人もなくて、むばたまの炭をおこして、頭を集へて物語をして食ひ物に心を入るるほどに、公私榊葉とりいで、山藍して擦れる衣、年ごとに見れど珍しと言ふや、いかなるぞ。

(白く輝く月を見る人もいなくて、黒い炭を起こして頭を寄せ合い食糧のことを心配し合う。やがて、宮中でも民の間でも榊の葉をとる新嘗祭が行われる。山藍で摺りだした衣が、毎年珍しく感じられるのは不思議なものだ)

【2-41】おりかへす馬のあかれば、空も曇らぬ日陰をかざして舞ひ遊ぶほどに、ゆふぎりふたがりて、山には法師ときたえて、花ほころびす里にはともしき宿に煙絶えて、霞棚引かす、物思いまぎるることなし。

(引き返す馬たちが散り散りに帰っていくと、日蔭をかざして舞い遊んでいるうちに雪が降ってくる。山では法師の食糧が絶えて、花がほころぶこともなく、里の貧しい家ではかまどの煙も上がらなくなる。霞はたなびかず、物思いに耽ることもない)

【2-42】袖の氷を解きわびて、寝覚めの床の雁の声をあはれがりて、はらわたをたえて思いやれることは暗けれど、おぼつかなからず。

(袖の氷を解こうとして、目が覚めた後の寝床で耳にする雁の声をしみじみと感じて断腸の思いでいることは、暗い中でもはっきりしている)

【2-43】明けたてば、振り分け髪の子ども、はかなきことをたてたるはがにかかれる鳥、えにうたれんことを知らずして、来る人をかえりみたる小牡鹿、雪にあはぬ鳥は、雪をよき太布と思えり。

(夜が明けると、振分け髪の子どもが施したちょっとした仕掛けにかかった鳥は、餌としてうたれることを知らない。近づいてくる人を振り返って見る小牡鹿は捕らえられることを知らず、雪を知らない鳥は、雪をよい太布だと思っている)

【2-44】氷に閉じらるる魚は、冬を結べる網と思へり。水脈にいる網のほどにおいて、かしうしみかどにせられうもて歩くと騒ぎて、いつしかと親世にあひみむと待てば、わらはべはとく鬼死なむと心許ながりて、ここかしこ打ち鳴らして、いつしかとぞ語らふめる。

(氷に閉じ込められた魚は、その氷を、冬を結んだ網だと思っている)

【2-45】かくときにつけて、にくからぬ世の中の命も栄えも衰へずは、何の悲しびかあらむ。

(このような時節につけては、悪くない世の中だ。生命や繁栄に衰えがなければ、悲しくなることもないだろうに)

【2-46】されども人のしろとてあはれびは、妻子なくして逍遥すとて、春は子の日とで、野辺に出でておのが命をば松にあへよと引き延べ、鳥をばころし、秋をば紅葉見ると野辺に交じりて、鷹を放ちて狩りすなどりして、着たるもの狩衣なるにより、常ならぬにやあらむ。

(けれども、人の憐れなところは、妻子のいない人が逍遥すると言って、春は子の日に野辺に出て自分の命は松にあやかれと長寿を願って小松を引き、鳥を殺し、秋には紅葉を見ると言って野辺に出かけ、鷹を放って狩りをしたりする。着ているものが狩衣だというのだから、無常なものだ)

【2-47】されど言ひてなにともいかが憂きはせむ。

(そうは言っても、なんとも憂いのある人生をどうしたらよいのか)

【2-48】世を背きたる法師こそは、ものの命を殺さずして木の実をこき食らへ、それすらよくの法師は食ひななり。

(世俗を離れた法師だけは、生き物の命を奪わずとも木の実だけを食べて暮らしている。それすら欲の法師は食べているのだ)

【2-49】かかればなほ、難波津の川の堀江の船の狭きなり。

(こういうわけだから、難波津の川の堀江の船は狭くひしめきあっているのだ。)

【2-50】蓬莱の山、亀の劫を尽くすとも、友の打ちける碁の手なり。

(蓬莱山の亀の劫と同じくらい長く生きていても、友の打った碁のようにあっという間だ)

【2-51】木こりの腰なりけんよきよりも、天の下なる世の中は、斧の柄朽ちぬべうなんありける。

(木こりが腰に付けている斧よりも、この世の時が過ぎる早さは、斧の柄が朽ちる時間ほど一瞬に感じられるのだ)

和歌の起源について

【3-1】世の中始まりけるとき、昔庭たたきといふ鳥のまねをしてなむ、男女は定めけるに、草の種なくて生ひけるは、この鳥の教へたりけるになんありける。

(世界が始まったとき、庭たたきという鳥の教えに従って男女の交わりが始まった。人間が草の種ではなく交わりによって増えていったのは、この鳥に教えられたからなのだ)

【3-2】さてその人の子ども広くなりて、賢きは貴き人となり、幼きは下衆君と定めける。

(そうして、その子孫はどんどん増えていき、賢い人は身分が高く、愚かな人は低い身分と定められた)

【3-3】人はみな同じゆかりなり、されば貴き・卑しきなぞは鳥にこそあれ、いずれか貴き卑しきあらむ。同じ類にこそあらめとて、貴き女にも卑しき男心をかけ、卑しき女にも貴き男あるべければ、男女の仲を定めわびて、宿世に任せける。

(人はみな同じところから始まっているのだ。そうであるから、身分の貴賤などというものは鳥にあっても、人間にその区別はないはずだ。同じ人間なのだから、身分の高い女が賤しい男を気にかけたり、その逆もある。男女の仲は身分によって定められるものではなく、前世からの縁によるものなのだ)

【3-4】またかく同じ人の異々よくも悪しくもなかりければなむ、幸ひも今に定まらざりける、かの同じ人のこともなかりけり。

(また、このように同じ人間でも、よくも悪くもなかったので、今の幸不幸も定まっているわけではないのだが、同じ人間とは思えぬほどの差ができているのも確かだ)

【3-5】昔貴き卑しきなく、西東なう、春秋ふし語らふにより、常なきことは床永遠にと言ひける。

(昔は身分の貴賤もなく、東西も定まっておらず、春と秋が伏して語り合うようにして永遠の愛を契る男女の交わりが始まった)

【3-6】男の心といふもの、強くありしもせよ、めずらしく僅かなるに志を尽くし言ひそむる情けのことば、たおやかなる雅にはなにをかすべきとて、浜の千種なるは、松に難波津という歌を続けて、おなじきそゆのうちとて、大和歌とて詠み交わし、安積山をしひ出でて、粟津の川に影を並べて住むと言い、梓の杣のくれに響きては、籬の島に待ち煩ひ、波のかへるごとにうちわびて、限りなき深きことを言ひ、遥けき行く先を契れば、あはれを知らぬようなり、まくるを深きとも見たまへかし。

(そのようなことを言う男の心は強引ではあるにせよ珍しいもので、わずかな誠意を尽くして優雅に女へ愛を伝えるにはどうすればよいのか思案を巡らせ「浜の千種」には「松に難波津」という言葉を続けて歌を作っていく。
互いに大和歌を詠み交わし「安積山……」と詠みかけて「粟津の川」で逢わないと言っていたにもかかわらず、共に住むことになる。「梓の杣の榑」に「暮れ」をかけて、日が暮れても男は来ず、籬の島で待ちくたびれることもある。逢えば男はこの上もなく情愛の深い言葉を語り、遥か遠くの未来までも契るのだが、女の寂しさには気づかないようで、強引さに負けることが深い愛情の証だと思っているようだ)

【3-7】競べ馬の早うよりといへば、月のほのかなるに弓張のおしていれば、いと思はずなりや、ためらひてこそと言へど、月夜に惹かれて心もよりぬべければ、ただあまの刈る藻のこしにてをと言ひて、はかなく乱るる衣のせきを隔てて玉櫛笥あけゆくを惜しむに、鶏二声三声鳴けば、涙打ち落としてたちいれば、ことなしびにくれも宿世のもり、くにの松原にこそあらめとそは緑にこそ思へ。

(男は競べ馬のように早く女のもとを訪れ、月がまだほのかに見えるときに押し入ってくる。女も思いがけないことだったからか、ためらってこそ風情があるというものなのに、美しい月の夜に惹かれて心も傾いてしまうようだから、ただ海人の刈る藻のように裳の腰に手を回して、あっけなく乱れてしまう衣の関を隔てて玉櫛笥を開けるように夜が明けるのを惜しんでいると、鶏が二声三声鳴いて朝を知らせる。涙を流して立ち尽くしていると、男は何事もなかったかような様子で帰っていく。暮れも「宿世の森」の宿世に従って、「くにの松原」のようにただずっと待っていようと、松の緑に願っている)

【3-8】心の内にはみのつにも勝りて思へど、上にはつねなし顔つくるとて箱の内なる鏡に浮かべる影を、それかそれかと心化粧をして待つ夕暮れ、帰る朝露けしと言ひて、住むは影おらしておこつり竿にかかれることをくゆる煙先に立たず。

(心の内では我が身より大切に思っているけれども、表面上は何気ない顔をして、箱の中に入っている鏡に浮かぶ面影を、その人かその人かと心を躍らせながら待つ夕暮れ、別れの朝「涙っぽい」と言って、住むのは影ばかりであり、甘い誘いにかかってしまったことを悔やんでも後の祭りだ)

【3-9】つくしし水茎変へること難し。

(筆を尽くして書いた文を取り戻すことは難しい)

【3-10】ひとむしを玉と言ひしかど、数多の文を見も入れず、呉竹のひとだに泊まらず、伏見の里になしつれは、あさちかはらの露・しけく、おくと伏すとに沖つ波、荒れたる床に船と浮かべる心をば尽くし、宿世をば思えば、色なる波立ちぬべうなむ。

(蜻蛉のことを露の玉のように言ったけれども、数多の文を見ることもせず、一晩さえ泊まっていくこともなく、伏して寝るだけの場所になってしまったので、涙に濡れて起きても伏しても荒れ果てた床に浮かべた船のように心を尽くし、宿世を思えば、血の涙が波のように立ってしまうだろう)

【3-11】なほとり浦の蜑なれば、ひと言のあはれなるには、名は印南野のいなび果てず。

(とり浦の蜑だから、一言「あはれ」と言われると、関係を絶つことができない)

【3-12】飾磨に染むるあながちに言えば、かけまく奈良の宮この古言なりて、なげきの深山のへにやなくなる。

(飾磨で染める褐を強引に言い掛ければ、奈良の都の古言となって、嘆きは山深くに消え失せる)

【3-13】夏すえずえ数うるときは、何に近江の筑摩の神を恨みつつ、来ぬ人ゆえにひねもすに恋い暮らし、夜も吾が衣を返し、まれなる夢路に魂をあくがらし、ほのかなるかげろふに心を惑わし、下紐の解くるをしるしに思うほどに、木綿付け鳥しばしばうち鳴き、夜ようよう明けゆき、日さし出づるまで、朝の床もの憂く思ほえて、疾く明くれば、明日とも知らぬ世の中になぞおほして、柄際残りて言はすればなき節にやむすれむ。

(夏が終わると今までに逢瀬を交わした男を数えて、近江の筑摩の神を恨めしく思う。待てど来ない人を一日中恋しく想いながら過ごし、夜寝るときも自分の衣を裏返しにして、まれに夢で逢えたときは魂も体から離れてさまよってしまう。ほのかな蜻蛉に心を惑わせ、下紐が解けるのを相手が自分を想っている証なのだと思っているうちに、木綿付け鳥の鳴き声が何度か聞こえて、夜は次第に明けていき、日の光が差し込むまで朝の床は物憂げに思われる。早くも夜が明けてしまうと、明日も知らぬ世に文を書けば、返事もなくて心を病んでしまう)

【3-14】唐錦、おもしろしと言へど、つひに絶えでやはある。

(唐土の錦は美しいと言うが、最後まで破れないことがあるだろうか)

【3-15】おもしろき桜、常に散らずは人に厭われなむ。三千年散らずは何おかは例にせん。

(美しい桜も、いつまでも咲いていれば人々に厭われてしまう。三千年も散らなかったならば、何を儚いものの例にすればよいだろう)

【3-16】鶴葦原に住まずは、いかでか千年を数へん。

(鶴が葦原に棲まなかったならば、どのようにして千年を数えるだろう)

【3-17】刈萱乱れずは、何をかはたおけき名をば残さむ。

(刈萱が乱れていなかったら、何をたおけきものの名としよう)

【3-18】摺れる衣目慣れなば、何をかは珍しきにはせん。

(摺った衣に見慣れてしまったなら、何を以て珍しいものとしよう)

【3-19】露の命のほど、朝顔のしぼまぬ先にだに戯れずは、何をかは戯れにはせむと、男は筏のいかにと見上げて、心すきくれを見せ、筏めありとも見せず。

(露の命や、朝顔の萎まぬ間にさえ戯れなかったら何を以て戯れとしよう。男はいかにと見上げて、心の隙を見せない)

【3-20】横走の関にも障らず、女は池水の言いくだすことを河竹の葉繁きことには言いつつ、言い集むることども大空を紙ひとひらにとりなして、書くとも言ふようなり。

(障害があっても気にせず来るので、女は河竹の葉が繁るようにたくさんの言葉を用いて言い返す。そうして集めた言の葉を、大空を一枚の紙に見立てて書いたのがこの歌集である)

【3-21】この歌は、天の帝の御時に疱瘡といふもの起こりて病みける中に、賀茂氏なる女、よろずの人に劣れりけり、ただ疱瘡をなむ優れて病みける。

(この歌集は、聖武天皇の御代に流行った疱瘡という伝染病に、賀茂氏の女が、万事に渡って人より劣っているのに、ただ疱瘡に罹って病むことには優れていたのだ)

【3-22】瘡のみにもあらず、多くの病をぞしけると、辛うじてこの歌よりなん蘇りける。

(疱瘡だけではなく、多くの病にも罹ったのだが、歌があったおかげで何とか回復した)

【3-23】その程の冬の始め、秋の終わりなりければ、草木も風もやうやう枯れもていく、徒然なるままに珍しき病なりとて、この瘡の序病みを書き置ければ、病去るごとによくなむ。

(疱瘡に罹ったのは冬の初め、秋の終わりの頃だったので、草木も風も次第に枯れていった。徒然なるままに珍しい病だからと、この疱瘡に罹ってまもない頃のことを書き置いたところ、みるみる病が治っていった)

【3-24】見ん人、ゆゆしく思ひぬべしとて、いささか色にも出さず、ただ心ひとつに思ひて、我が身のはかなきこと、世の中の常ないこと眺むる夕べ、空に玉とる虫を詠み、あるときは数多の魂を語りきて、歌合せをして、勝ち負けは心ひとつに定めなどしてぞ、慰めて明かし暮らしける。

(それを見た人は不吉なことだと思うだろうから、顔色に出さず、心に秘めて我が身のはかなさや世の無常さを思いながら夕べに空を眺めて、玉を貫く虫を詠む。あるときは、数多の魂を語らい歌合せをする妄想に耽る。勝ち負けは自分の心ひとつで決めて、心を慰めながら日々を暮らしていた)

【3-25】見る人は、さもこそ病高しぞらめ、常に呻吟び人なむ、これを好むかはなど言へど、聞き入れず。

(このような私を見る人は「いかにも重い病気を患っているようには見えるが、絶えず苦しみ呻いている人の書いたものを誰が好むのか」などと言うが、私は聞き入れない)

【3-26】わずかに薄・菊など植えてみんとしけるを、この病につきて知らぬほどに菊も枯れにけり。

(ほんの少しだけススキや菊を植えてみようとしたけれども、この病を患っているうちに、知らぬ間に菊も枯れてしまった)

【3-27】ましてかかることをば思い込めて止みなんやよろしからむと定むるに、なほ飽かねば、かかることをいかなる人しけん、心もなかりける人かなと言はば、おおよその人の名立てなべければ、明かせるなり。

(まして、思いを込めてこのような歌集を作ることを止められようか。このぐらいでいいだろうと定めても、やはり飽き足らずに続けていることを「一体誰がこのようなことをしたのだ、心ない人だ」などと言う人がいたら世間の注目の的になってしまうだろうから、自分自身で明かすのだ)

【3-28】題も知らする人もなし、ただ詠まるるときをおもしろきにすれば、冬も桜心のうちには乱る、夏の日にも心の内には雪かき暗し降りて、消え紛ひなどすれば、定まることなくて、書き集むる手も定めたらず。

(歌集の題を知らせる人もいない。ただ気の向くままに詠んでいるので、冬であっても心の内には桜の花が咲き乱れているし、夏の日でも心の内には雪が降り積もって地面に混じることもある。季節に囚われず歌を作っているので、歌集の構成も定まっていないのだ)

【3-29】端に書くべきことを奥に書き、奥に書くべきことは端に書き、定まることなし。

(本来なら端に書くことを奥の方に書き、奥の方に書くことは端に書いたりして、歌の順序が定まらない)

【3-30】疱瘡の盛りに目をさえ病みければ、枕上におもしろき紅葉を人の置いたりければ、思いあまりて、

(疱瘡を患っている間に目も悪くなってしまったのだが、枕元に誰かが美しい紅葉を置いていったので、感極まって、)

【3-31】曇りつつ 涙しぐるる 我が目にも なほ紅葉ばは 赤く見えけり

(ぼんやりとしとしか見えない我が目には涙が流れているけれども、それでもなお紅葉は紅く見えたのだ)

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