陰陽道 平安時代 初心者の館

御卜(御占)

2021/11/21

朝廷で行われる占いのことを御卜みうらまたは御占という。 平安時代の天皇は日常的に陰陽師に占いを行わせ、その結果を頼りにしていた。 宇多天皇の訓戒書『寛平遺誡かんぴょうのゆいかい』には、御卜を行うのは重 ...

陰陽道 鎌倉時代 平安時代 初心者の館

陰陽寮

2021/11/24

奈良時代に天武天皇によって作られた律令国家において、陰陽寮は天皇の秘書的な役割を担う中務なかつかさ省の管轄下に配置された。 律令法における陰陽寮の役割は、式盤を使って国家や天皇の身の回りの吉凶を占うこ ...

鎌倉時代 平安時代 初心者の館

摂政・関白

2021/11/20

摂政 天皇の代わりに政務を執り行う。 摂政の「摂」は「摂行」の意味。 応神天皇の時代、幼い天皇の代わりに母親の神功皇后が政務を行ったのがはじまりである。当初は皇后や皇太子が摂政していたが、清和天皇の代 ...

平安時代 初心者の館

神祇官

2021/11/20

神祇官は神祇にまつわる祭典を担当し、全国の祝部はふりべと呼ばれる神官を支配していた。 『職原抄』に「当官を以て諸官の上に置く。これ神国の風儀、天神地祇を重んずるの故なり」と記載されているように、最も重 ...

平安時代

頼朝伊豆流離説話

2021/9/29

源頼朝が伊豆国に配流されていた時代の史料はほとんど残っていない。 源義朝の嫡子とはいえ、流人となった頼朝を気にかける者はほとんどいなかったからだ。 しかし、頼朝が平家を滅ぼし鎌倉幕府を樹立したことによ ...

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角色 鎌倉時代

西園寺公経

2021/12/4

一条能保の娘と結婚 公経は後鳥羽と親しい間柄にあり、幕府と朝廷の架け橋になることが期待されていた。詳細な年月は定かではないが、文治~建久年間に公経は一条能保よしやすの娘全子と結婚した。 能保は源頼朝の ...

鎌倉時代

後鳥羽上皇

2021/12/2

生い立ち 治承4年(1180)7月、後鳥羽天皇は高倉上皇の第四皇子として生まれた。母は修理大夫坊門信隆の娘殖子(後の七条院)。 藤原範季によって育てられた。 兄弟 長男の安徳天皇は治承2年(1178) ...

鎌倉時代

【現代語訳】『曽我物語』政子、山木兼隆に嫁がされる

2021/11/30

巻第三 序 人王八十代高倉天皇の時代、安元2年(1176)3月半ばの頃から、兵衛佐殿は政子に浅からぬ愛情があって毎晩彼女のもとへ通っているうちに、姫君が生まれた。これによってますます愛情深くなり、政子 ...

陰陽道 鎌倉時代 平安時代 初心者の館

陰陽寮

2021/11/24

奈良時代に天武天皇によって作られた律令国家において、陰陽寮は天皇の秘書的な役割を担う中務なかつかさ省の管轄下に配置された。 律令法における陰陽寮の役割は、式盤を使って国家や天皇の身の回りの吉凶を占うこ ...

鎌倉時代 平安時代 初心者の館

摂政・関白

2021/11/20

摂政 天皇の代わりに政務を執り行う。 摂政の「摂」は「摂行」の意味。 応神天皇の時代、幼い天皇の代わりに母親の神功皇后が政務を行ったのがはじまりである。当初は皇后や皇太子が摂政していたが、清和天皇の代 ...

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陰陽道 初心者の館 宮中行事

追儺祭(鬼やらい)―鬼を祓う儀式

2021/11/27

平安時代では、毎年大晦日(旧暦12月30日)に追儺の儀式が行われた。この儀式は中国から伝わったもので、奈良時代から大晦日の夜に行われている。室町時代から現在の豆をまく様式になった。 正月から儀式が有る ...

陰陽道 平安時代 初心者の館

御卜(御占)

2021/11/21

朝廷で行われる占いのことを御卜みうらまたは御占という。 平安時代の天皇は日常的に陰陽師に占いを行わせ、その結果を頼りにしていた。 宇多天皇の訓戒書『寛平遺誡かんぴょうのゆいかい』には、御卜を行うのは重 ...

陰陽道 鎌倉時代 平安時代 初心者の館

陰陽寮

2021/11/24

奈良時代に天武天皇によって作られた律令国家において、陰陽寮は天皇の秘書的な役割を担う中務なかつかさ省の管轄下に配置された。 律令法における陰陽寮の役割は、式盤を使って国家や天皇の身の回りの吉凶を占うこ ...

鎌倉時代 平安時代 初心者の館

摂政・関白

2021/11/20

摂政 天皇の代わりに政務を執り行う。 摂政の「摂」は「摂行」の意味。 応神天皇の時代、幼い天皇の代わりに母親の神功皇后が政務を行ったのがはじまりである。当初は皇后や皇太子が摂政していたが、清和天皇の代 ...

平安時代 初心者の館

神祇官

2021/11/20

神祇官は神祇にまつわる祭典を担当し、全国の祝部はふりべと呼ばれる神官を支配していた。 『職原抄』に「当官を以て諸官の上に置く。これ神国の風儀、天神地祇を重んずるの故なり」と記載されているように、最も重 ...

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角色

2021/12/5

北条政子

生い立ち 保元二年(1157)、北条時政の娘として生まれた。 頼朝と政子 政子が頼朝と結ばれたときは20歳を超えており、当時の女性としては晩婚であった。長女大姫が生まれた。 文治二年(1186)、鶴岡八幡宮で源義経の愛妾静御前が義経を想った舞を奉納したとき、頼朝は「八幡宮の神前で芸を披露する時は関東の平安を祝うべきなのに、反逆者の義経との別れの曲を歌うとはけしからん」と立腹した。これを聞いた政子は、愛する人を恋い慕わないならば真の貞女ではないと頼朝をなだめた。(『吾妻鏡』同年4月8日条) 君(頼朝)が流人 ...

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角色 鎌倉時代

2021/12/4

西園寺公経

一条能保の娘と結婚 公経は後鳥羽と親しい間柄にあり、幕府と朝廷の架け橋になることが期待されていた。詳細な年月は定かではないが、文治~建久年間に公経は一条能保よしやすの娘全子と結婚した。 能保は源頼朝の同母妹を妻に持ち、朝廷と幕府の交渉役を務めていた。 公経の出世 蔵人頭に就任 建久七年の政変で新たに政治の主導権を握った源通親は、一条能保の縁者を優遇した。能保の娘を妻としていた公経も同年12月に蔵人頭に就任した。 一条家の要職を引き継ぐ 一条能保・高能父子が没すると、公経は一条家の重要な基盤であった院御廐い ...

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鎌倉時代

2021/12/2

後鳥羽上皇

生い立ち 治承4年(1180)7月、後鳥羽天皇は高倉上皇の第四皇子として生まれた。母は修理大夫坊門信隆の娘殖子(後の七条院)。 藤原範季によって育てられた。 兄弟 長男の安徳天皇は治承2年(1178)11月12日にに生まれた。母は平徳子(建礼門院)。次男の二宮守貞は治承3年(1179)2月28日に生まれた。母は後鳥羽と同じ殖子。三男惟明は同じ治承3年(1180)に生まれた。母は宮内少輔平義範の娘。 神器なき即位 寿永2年(1183)7月木曽義仲の大軍が京都に押し寄せ、平家は都落ちを余儀なくされた。平家は幼 ...

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鎌倉時代

2021/11/30

【現代語訳】『曽我物語』政子、山木兼隆に嫁がされる

巻第三 序 人王八十代高倉天皇の時代、安元2年(1176)3月半ばの頃から、兵衛佐殿は政子に浅からぬ愛情があって毎晩彼女のもとへ通っているうちに、姫君が生まれた。これによってますます愛情深くなり、政子にとっても他に比べる者がいないほどの仲になった。 政子、山木兼隆に嫁がされる そもそも、北条時政の子息小四郎義時が上洛を留められ、兵衛佐殿を守っているうちに佐殿が妹のところへ通っていることは詳しく知っていた。けれども表立って言うことはなく、心の中で「同じ妹婿なのに、どうして嫌うことがあろうか。今が時代にそぐわ ...

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陰陽道 初心者の館 宮中行事

2021/11/27

追儺祭(鬼やらい)―鬼を祓う儀式

平安時代では、毎年大晦日(旧暦12月30日)に追儺の儀式が行われた。この儀式は中国から伝わったもので、奈良時代から大晦日の夜に行われている。室町時代から現在の豆をまく様式になった。 正月から儀式が有る度に悪霊を祓ってきたが、一年の穢れをこの追儺で徹底的に追いやってしまおうということである。鬼やらい、鬼追い、鬼打ちとも呼ばれる。 平安時代に中国から伝来したもので、儀式の手順も中国とまったく同じ方法で行われた。 大晦日の夜に行う理由 後漢時代の儒学者鄭玄じょうげんによると、年の変わり目には陰陽の均衡が崩れて癘 ...

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