平安時代の貴族たちは病気になると、陰陽師に病気の種類を占わせたり、病気平癒のために験者に加持祈祷をさせることもあった。
ただし、病の原因が神仏や鬼、死者の霊などであった場合は陰陽師が祭祀を行うこともあった。
病気になったら
病気になったらどうする!?
五位以上の者が病気になったら奏聞しなければならない。病気を診断した上で薬が処方される。定年退職した者も同様である。(『養老令』)
薬の処方
薬の盗難
出納海孝範・御蔵小舎人二人・小舎人四人が御所の麝香・紺青ならびに納殿の蘇芳・茶碗・雑物などを盗んだ。(『小右記』長和三年〈1014〉2月15日条)
その後、小舎人の秋成が麝香を盗んだことがわかった。(『小右記』同年2月18日条)
陰陽師と医療
元々は典薬寮に所属する呪禁師が呪禁によって患者の邪気を払い病を防いでいたが、やがて呪禁師に代わって陰陽師がその役割を担うようになった。
卜占によって病因を明らかにする陰陽師
平安貴族は病気にかかった際、しばしば陰陽師を頼って卜占を行わせ、どのような病気に罹患しているのか調べさせていた。
一条天皇の例
一条天皇が病を患ったので安倍晴明が占ったところ、食当たりによるものではないかということだった。(『小右記』永祚元年〈989〉正月六日条)
藤原頼忠の例
藤原頼忠が病を患ったので陰陽師に占わせたところ、「瘧病(マラリアのような熱病)・疫病・風熱が相克している」ということだった。
そこで、次の日から大極殿において仁王経の読経が行われた。(『小右記』永祚元年〈989〉六月二十三日、二十四日条)
藤原実資の例
藤原公任が病を患ったので安倍吉平に占わせたところ、時行によるものだということだった。(『小右記』長和五年〈1016〉六月十九日条)
天台座主慶円の例
天台座主慶円が病を患った際、三人の陰陽師が卜占を行った。(『小右記』寛仁三年〈1019〉八月二十一日条)
いろいろな治療法
難産
丹波雅忠『医略抄』:護符を焼いた灰を飲む。
神仏や鬼による霊障を懸念する平安貴族
藤原実資の例
藤原実資の体調がよくないので賀茂光栄に占わせたところ、求食鬼によるものだということだったので、その日の夜に鬼気祭を行わせた。(『小右記』長保元年〈999〉九月十六日条)
平惟仲の例
平惟仲の体調が悪いと聞いて、右金吾は宇佐宮による祟りではないかと言った。(『小右記』寛弘二年〈1005〉正月十六日条)
医療と呪術の違い
平安時代中期の貴族たちは病を治すために医師(くすし)や験者、陰陽師を利用した。
医師は薬物や針治療などの医療を用い、験者や陰陽師は加持祈祷や祭祓などの呪術を用いた。
平安貴族の治療に当たっていた医師は、典薬寮の官人あるいは過去に典薬寮の官人として勤めていた者だった。
五位以上の官人は、典薬寮による治療を受けることができた。
医師たちは医療知識に基づいた治療を人体に施し、貴族たちから信頼を寄せられていた。
一方、験者は加持祈祷や修法によって治療を行っていた。
藤原実資は妻の病気治療するために證空阿闍梨を招請し、不動調伏法を修させた。(『小右記』正暦四年〈993〉五月三日条)
また、陰陽師は祭祀や禊祓によって治療を行っていた。
安倍晴明は一条天皇に御病悩があった際に御禊を奉仕したところ効果が見られたので、加階されて正五位上となった。(『小右記』正暦四年〈993〉二月三日条)
一条天皇の中宮藤原彰子も出産の際に験者を集めて三世の仏に祈祷させ、陰陽師にも八百万の神に対して祈祷させた。(『紫式部日記』寛弘五年〈1008〉九月十日条)
なお、医師が呪術で治療を行ったり、験者や陰陽師が医療を用いることはなかった。
参考資料
- 繁田信一「陰陽師と貴族社会」吉川弘文館、2004年