陰陽道

【完全版】安倍晴明関係の年表についてわかりやすく解説

安倍晴明の年表

『小右記』『権記』『御堂関白記』など多数の史料をもとに安倍晴明の陰陽師・天文博士としての活動をご紹介。説話や伝説に見られるような超人的な能力をもつ陰陽師ではなく、一人の官人陰陽師としての晴明の実像が浮かび上がる!

安倍晴明の陰陽師としての活動は、以下の3種類に大別される。

  • 政務を行う日時や方角の吉凶などを占う
  • 怪異や病気の原因、土地の選定
  • 祭祀・儀礼を執り行う

文字数が多いため、出来事の詳細な説明をアコーディオン方式にしています。

クリックして詳細を表示する説明

醍醐天皇時代

延喜二十一年(921)

延喜二十一年(921) 晴明誕生

村上天皇時代

天徳四年(960) 

天徳四年(960)9月、内裏で火災が起こり、中にあったものは皆悉く焼損した。
当時天文得業生だった晴明は、宣旨を奉り、勘文を進上した。

なお、長徳三年(997)5月24日、宜陽殿に召された際に詳細を述べている。(『中右記』寛治八年11月2日条)

去る天徳四年に内裏で火災が起こった際、中のものはみな悉く焼損しておりました。
当時天文得業生だった私は、宣旨を奉り勘文を進上いたしました。
四十四柄の御剣のうち、特に大事な二本の霊剣がありました。
一方は「破敵」、もう一方は「守護」という名で、十二神と日月、そして五星などの文様が刻まれておりました。
しかし、火災によって文様が焼けて見えなくなってしまったので、私が勘文を奉り文様のかたちを明らかにして、そのとおりに再び文様を刻ませたのです。
「破敵」は大将軍が遣わされる際に節刀として賜るもので、「守護」は宮中に安置されるものでした。
天徳以降、度々火災がありましたが、霊剣は未だ鋳造されておりません。
件の霊剣は元々百済国から献上されたもので、国家の大宝であるゆえ、必ず鋳造されなければならなかったのです。天徳四年の際は、備前国より選ばれた鍛冶師白根安生に高雄山で鋳造させました。

天徳四年の内裏焼亡と安倍晴明の霊剣鋳造

12月12日 鍛冶師に節刀を鋳造させる

応和元年(961)

6月28日 霊剣再鋳造の五帝祭において賀茂保憲を手伝う

康保四年(967) 

6月23日 政始の日時を占う

円融天皇時代

天禄三年(972) 

12月6日 天文密奏/四角祭を勧める

12月11日 天文密奏

天延元年(973) 

1月9日 天文密奏

4月19日 天文密奏

5月19日 暴風について勘文を進める

6月11日 物忌の覆推/円融天皇の行幸に際して反閇を奉仕する

天延二年(974) 

5月14日 賀茂保憲の大乗院点地に同行する

6月12日 河臨祓を行う

12月3日 天文密奏

永観二年(984) 

7月27日 譲位・立太子の吉日吉時を勘申する

7月28日 27日の勘申について事情を話す

7月29日 譲位・立太子の日時を勘申しなおす

花山天皇時代

永観三年/寛和元年(985) 

4月19日 藤原実資の妻の解除を行う

5月29日 花山天皇の錫紵の日時を占う

11月24日 大嘗会において吉志舞を奉納

寛和二年(986) 

2月16日 太政官の政庁に現れた蛇について吉凶を占う

2月27日 政庁の母屋に入ってきた鳩について占う

一条天皇時代

永延元年(987) 

2月19日 一条天皇の清涼殿遷御に際して反閇を奉仕する

3月21日 藤原実資に反閇を奉仕する

永延二年(988) 

7月4日 藤原実資邸にて鬼気祭を行う

8月7日 熒惑星祭を行う日を勘申する

8月18日 熒惑星祭を奉仕しなかったことに対して過状の提出を求められる

永祚元年(989) 

1月6日 一条天皇の病の原因を占う

1月7日 一条天皇へ御禊を奉仕する

2月11日 一条天皇のために泰山府君祭を行う

2月16日 一条天皇の円融寺行幸に際して反閇を奉仕する

正暦四年(993) 

2月3日 一条天皇へ御禊を奉仕して加階される

正暦五年(994) 

正暦五年(994)5月7日 仁王経講説の日時を勘申する

長徳元年(995) 

この年、晴明は蔵人所陰陽師となり、賀茂保憲の息子光栄も晴明の二番手として蔵人所陰陽師となっている。(『蔵人所月奏』長徳元年〈995〉8月1日条)
これ以降、二人は行動をともにすることが多くなる。

10月17日 雷鳴についての御卜を停止するように言う

長徳三年(997) 

3月21日 賀茂光栄とともに平野社御竈神社殿造立の日時を勘申する

5月24日 霊剣改作に日時を勘申する/天徳四年の霊剣鋳造について語る

6月17日 賀茂光栄とともに一条天皇の東三条院行幸の日時を勘申する

6月22日 一条天皇の東三条院行幸に際し、反閇を奉仕する

長保元年(999) 

7月8日 一条天皇の遷御に際して反閇を奉仕する

7月16日 一条天皇の歯痛と祭祀の吉日吉時を勘申する

9月7日 穀倉院年預の補充を要請する

10月13日 太皇太后の渡御について御卜を奉仕する

10月19日 賀茂光栄とともに昌子内親王が大江雅致の邸宅に遷御する際の雑事について勘申する

11月7日 防解火災御祭の日時を勘申する

長保二年(1000)

1月10日 藤原彰子立后などの雑事について勘申する

1月28日 藤原彰子の立后の日時を勘申する

2月16日 一条天皇の法興院行幸の日時を勘申する

8月18日 賀茂光栄とともに伺候することになる

8月19日 藤原行成の宿所に現れた鼠の吉凶と縫殿寮の方位を占う

10月11日 一条天皇の出御に際して反閇を行う

10月21日 叙位の儀で式部大輔代を務める

12月16日 御修法・御祭の日時を勘申する

長保三年(1001) 

6月20日 藤原詮子の仏事を行う日時と敦康親王の魚味始の日時を勘申する

閏12月17日 賀茂光栄・県奉平とともに東三条院の渡御について占う

閏12月23日 東三条院藤原詮子の葬儀に関する雑事を勘申する

閏12月29日 私宅で追儺を行う

長保四年(1002) 

3月19日 内裏の火災の原因と殿舎や門の名の由来について勘申する

7月27日 玄宮北極祭を奉仕する

11月9日 藤原行成のために泰山府君祭を行う

11月28日 藤原行成へ泰山府君に幣と紙銭を奉納するよう伝える

長保五年(1003)

8月21日 敦康親王の病について占う

寛弘元年(1004) 

2月19日 賀茂光栄とともに三昧堂を立てる場所を選定する

2月26日 藤原行成に三宝奉仕の吉凶を勘申する

6月18日 賀茂光栄とともに藤原道長の賀茂詣を延期すべきか占う

6月20日 藤原道長の造仏を止める

7月14日 五龍祭を奉仕する

7月16日 五龍祭の効験によって勅禄を賜る

8月22日 賀茂光栄とともに中宮藤原彰子の大原野行啓を延期すべきか占う

9月25日 多武峰寺の御墓鳴動について占う

12月3日 土御門第での経供養に際して祭祀を奉仕する

寛弘二年(1005) 

2月10日 藤原道長の新宅作法を行う

3月8日 中宮藤原彰子の大原野社行啓に際し反閇を奉仕する

寛弘二年(1005)9月26日 没

『土御門家記録』によると、安倍晴明は寛弘二年(1005)9月26日にこの世を去ったことになっている。

安倍晴明関係の年表

平安時代の年表

晴明が生きていた時代に起こったできごと

安倍晴明が生きていた時代の平安時代のできごと
参考平安時代の年表―安倍晴明が生きていた時代のできごと:前編

平安時代の年表:天慶九年(946)4月20日-康保四年(967)5月25日の間に起こったできごとについてわかりやすく簡単に説明します。 村上天皇:天慶九年(946)4月20日-康保四年(967)5月2 ...

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参考【年表】安倍晴明が生きていた時代に起こったできごと:後編

天徳五年(961)から寛弘二年(1005)の間に起こった主なできごとを紹介します。安倍晴明は、師の賀茂保憲とともに内裏焼亡で焼損してしまった霊剣の再鋳造に携わります。これ以降、様々な古記録に晴明の名が ...

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