八百比丘尼は、人魚の肉を食べたことによって1000年の寿命を得た尼の少女である。
800歳まで生きた尼僧(比丘尼)であることから、”八百比丘尼”と呼ばれた。
人物資料
基本情報
- 読み やおびくに
- その他名称 白比丘尼
- 主な登場作品 陰陽師(漫画)、陰陽師 本格幻想RPG(ゲーム)
- 年齢 800歳 (外見年齢は15〜16歳)
- 性別 女
- 時代 平安時代
- 身分 比丘尼(尼僧)
人物紹介
容貌
800歳まで生きていたが、外見は15〜16歳の少女の姿のままだった。
肌:娘のような白い肌
頭:花の帽子
手:玉と白椿の花
人物経歴
八百比丘尼が幼かった頃、村人たちが集まって宝比べをしていた。
そこへ白い髭をした老人が現れ、自分の屋敷へ村人たちを招待する。
小舟に乗ってたどり着いた先には立派な御殿(竜宮城とも)があり、宴の席で村人たちは老人から人魚の肉を賜る。村人たちは気味悪がって誰も口にしようとはしなかったので、老人が土産として持ち帰らせた。
村人たちは人魚の肉を海へ投げ捨てたが、珍しいものが好きな高橋長者は人魚の肉を家に持ち帰り戸棚に隠した。
この高橋長者の娘が八百比丘尼で、彼女は長者が寝ている間に人魚の肉を食べてしまった。こうして八百比丘尼は不老不死の体となったのである。
歳を重ねても美しい娘の姿を保っていた八百比丘尼を見て、村人たちは人魚の肉のせいだと噂する。やがて、人ならざるものとして扱われるようになった八百比丘尼は孤独の悲しみのあまり比丘尼となり、諸国行脚の旅に出る。そのため、全国各地に八百比丘尼が訪れたという伝承が残っている。
彼女は椿の花を好んでいたといわれ、特に白い椿は八百比丘尼を象徴する花として知られている。
行く先々で白い椿の花を植えて回り、故郷の村へ帰ると、浜辺の洞窟の入り口に椿の花を植えて中へ入り、二度と出てくることはなかった。
人魚の肉を食べたことによって1000年の生命を得たが、そのうちの200年を国主に譲り、彼女は800年生きた後若狭に渡り入定(生きたまま身を隠し、静かに死を待つこと)したといわれている。
当時、「人魚の肉を食べる」という行為は八百比丘尼が異界のものを食すことによって人ならざるものとなり、異界に属する存在となったことを意味した。
体の上半身が人間で、下半身が魚の人魚を食べることは気味の悪いものとして忌避されていた。また、人魚は”人間”と”魚”の両義性を持ちながらも人間に属しているため、人間がこれを食すことはある種のカニバリズムに値するといわれた。
このようにして人魚の肉を喰らった八百比丘尼は、社会の秩序から逸脱したものとなったのである。
『陰陽師』にも八百比丘尼が登場するが、安倍晴明曰く、不老不死のものが年老いて死ぬ普通の人間と関わろうとすると、その身に不純な生命力(=禍蛇(かだ))が溜まってしまうのだという。
そして、身に溜まった禍蛇を放っておくと、鬼へと変じてしまうのだ。
福井県小浜市小浜男山にある曹洞宗の寺院・空印寺に八百比丘尼がいた洞窟が残されており、入り口には八百比丘尼の石像が置かれている。石像の彼女は、花の帽子を被り玉と蓮華のような花を持っている。
若狭歴史博物館では別の石像が展示されており、ここでの八百比丘尼は白い頭巾をかぶり、右手に宝珠、左手に白玉椿の枝を持っている。
中原安富『安富記』や瑞渓周鳳『臥雲日件録』には、1449(宝徳元年)年5月に八百比丘尼が若狭から京都へ来たという記録が残されている。彼女は人によって違う料金をもらい、見物をさせたという(『臥雲日件録』では貧富の差によって料金を決めていたという話がある)。
人間関係
父:蘆屋道満(※一説である)
蘆屋道満
八百比丘尼は秦氏一族の娘といわれていて、蘆屋道満の本名は”秦道満”なので、八百比丘尼の父親は蘆屋道満だったという説がある。
道満の出身地・播磨国には秦氏の一大拠点でもあり、秦氏の首長を祀る墓もあったという。
語録
1. “若狭路や白玉椿八千代へて、またも越しなむ矢田坂かは”
→八百比丘尼が詠んだ歌。
2. “命のほどや長からん この松が枯れるとき 私の命もないものと”
→「この命はいつまで続くのだろう この松が枯れたとき、私は死んだものと思ってください」の意。
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