平景清(藤原景清)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の武士である。
平家の恨みを晴らすため幾度となく源頼朝の暗殺を試みたが、失敗に終わった。
▲『耀武八景 大寺晩鐘 悪七兵衛景清』(歌川国芳)
人物資料
基本情報
- 読み たいらのかげきよ
- 主な登場作品 出世景清(浄瑠璃)、源平討魔伝(ゲーム)など
- 生没年 不詳〜建久7年(1196年)?
- 性別 男
- 身分 武士
- 武器 痣丸
人物経歴
本来は藤原秀郷の子孫である伊勢藤原氏だが、平家に仕えたため平姓を名乗っている。
治承・寿永の乱で活躍し、源氏方の美尾屋十郎の錣を素手で引きちぎったという「錣引き」が特に有名である。
壇ノ浦の戦いのあとも生き延び、平家の恨みを晴らすべく頼朝暗殺を試みたが、東大寺にて捕らえられる。
しかし、鎌倉武士たちの目には、何度も暗殺を試みる景清の姿が主君を思う武士の誉れとして映ったので、和田義盛のもとに預けられた。
屋敷の外に出なければ自由に生活することが許されたが、景清が横暴を働いたため、義盛が頼朝に相談した結果、八田知家のもとに預けられることになった。
しかし、八田知家もまた親切に景清を保護したため、彼は屋敷を出て洞窟に籠もり、絶食の末力尽きた。
1183(寿永2)年、木曽義仲との戦いに平知盛らとともに侍大将として活躍。
1185(文治1)年、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いに参戦。
1195(建久6)年、東大寺大仏殿供養のため上洛した源頼朝に降伏し、八田知家に預けられる。
1196(建久7)年、絶食した後、死去。
人間関係
父:藤原忠清
叔父:大日坊能忍
仇人:源頼朝
大日坊能忍
彼を殺害したことがきっかけで、『悪七兵衛』と呼ばれるようになった。
源頼朝
平景清は実に37回もの頼朝暗殺を試みた。
頼朝が東大寺大仏殿の供養のため上洛すると知り、平家の残党とともに東大寺の門に身を潜めていたが、頼朝が到着する前に捕らえられる。
関連作品
出世景清
近松門左衛門の人形浄瑠璃の演目で、平家滅亡後も生き延びて源頼朝を討とうとする平景清の苦悩を描いている。
平家の残党・平景清は鎌倉幕府誕生後も平家の恨みを晴らすべく源頼朝の命を狙っていた。
五段目において頼朝に罪を許される(「頼朝がためには御辺また敵なれば、打って捨つべき者なれども、汝が身には観世音入り替わりまします故、二度誅せば、観音の御首を二度打つ道理。勿体なし勿体なし」)。景清は頼朝に感謝しつつも、両目があるうちは心が治まらぬと言い両目をくり抜いてしまう。(「まことに人の習ひにて心にまかせぬ人心。今より後も我が身をいさむるとも、君を拝むる度毎によもこの所存は止み申さず、かへつて仇とやなり申さん。とかくこの両眼のある故なれば、今より君を見ぬやうにと言いもあへず差し添え抜き、両の目玉をくり出だし、御前に差し上げて頭をうなだれゐたるなり。」)
源平討魔伝
源平討魔伝は、『出世景清』がモチーフの平景清を主人公としたアクションゲームである。
”ぷれいや”という異世界の者の布施により地獄から生き返った平景清が様々なダンジョンを進み、頼朝の本拠地である鎌倉を目指す。
道中、源義経や武蔵坊弁慶などの源平おなじみの人物が中ボスとして登場する。
”三種の神器”がなければ頼朝を倒すことができず、ゲームオーバーとなる。
源平天照絵巻 痣丸
主人公は『源平討魔伝』でおなじみの平景清。壇ノ浦の戦いにおいて平氏が滅び6年後、落ちのびた平 景清は顔を焼き悪兵衛と名乗っていた。その悪兵衛のもとに勇武で知られた美女・巴御前が訪れる。『打倒源氏』を心に決めた巴の前に現れる死んだはずの弁慶や義経ら源氏の武者と死人達。彼らは何者かによって黄泉がえらされ、八十面党を組織していた。そして、狙うは悪兵衛が持つ剣・痣丸こと神璽宝剣・草薙神剣。その剣こそ魂を断ち切る”黄泉返り”を倒せる剣だった。
FGO
未実装だが、マテリアルⅣで騎金時の因縁キャラ、マテリアルⅥで巴御前の因縁キャラに名前の記載あり。
特に、金時と平景清は生前に接点がないため、何らかのイベントで実装される可能性は高い。
▲騎金時の因縁キャラ欄
▲巴御前の因縁キャラ欄