『今昔物語集』震旦編 巻十第七話に収録。
内容
今は昔、震旦(中国)の唐の時代に、玄宗という女好きの皇帝がいた。
帝には寵愛していた后と女御がいた。
后の名は元献皇后、女御の名は武淑妃という。
帝は彼女たちを明けても暮れても大切に愛していたのだが、その二人の后と女御が立て続けに亡くなってしまった。
帝はこの上なく嘆き悲しんだが、どうしようもなくて、ただ「彼女らに似た女性を見たい」と強く願った。
家臣に命じて探しに行かせるのも頼りないと思ったのか、帝自ら王宮を出てぶらぶらと放浪し、あちらこちらを見て回っているうちに、弘農という場所にたどり着いた。
そこに、楊氏という名の人が住む庵があった。
庵の中を見ると、一人の老人がいた。名を、楊玄琰という。
帝は家臣を庵に入れ、中を見させたところ、楊玄琰には一人の娘がいた。
端正な顔で、世に並び立つものがないほど美しい姿だった。身体から光を放っているかのようだった。
家臣は女を見て、帝にこの旨を報告した。
帝は喜んで、「すぐに連れて参れ」と命じると、家臣は女を連れてきた。
帝は女を見て、初めての后と女御よりもずっと美しいと思った。
そうして、帝は喜びながら女を輿に乗せて王宮に帰った。
三千人の宮女の中で、彼女が最も美しかった。
名を、楊貴妃という。
帝は他の宮女には目もくれず、夜も昼も楊貴妃を寵愛し、政治などどうでもよくなった。
ただひたすら、春はともに花を愛で、夏は泉に並んで涼み、秋はともに月を眺め、冬は二人で雪を見ていた。
このようにして、帝は楊貴妃と過ごすほかに暇を取らず、彼女の兄である楊国忠に政務を任せるようになった。
このことによって、世の人々はひどく嘆くことになる。
人々は、「今の時代を生き抜くには、男子を産まず、女子を産むことだ」と言い合った。
こうして、世の中で非難の声が大きくなってきた。
この時代に、安禄山という大臣がいた。
賢く思慮深い人で、帝が女御を寵愛したことによって世が乱れていることを嘆き、「何とかしてあの女御を滅ぼし、世を正そう」と心に決めた。
安禄山が密かに軍勢を整えて王宮に押し入ったとき、帝は恐れおののいて、楊貴妃を連れて王宮から逃げ出した。
楊国忠もともに逃げていったが、帝のお供をしていた陳玄礼という者に討たれた。
それから、陳玄礼は鉾を腰に差して御輿の前に跪き、帝に一礼した。
「帝は楊貴妃を寵愛するあまり、政務に関心をもたなくなりました。そのせいで、天下は大いに乱れています。
どうか楊貴妃の命をもって天下に平穏をもたらしてください」
帝は楊貴妃を失う悲しみに堪えられず、できなかった。
そうしている間に楊貴妃は堂の中に逃げ入り、仏像の光背に隠れたが、陳玄礼に見つかり捕えられて、練絹で首を絞められた。
帝はこれを見て胸が張り裂けるような思いで、気が動転して涙を流しているさまは、雨が降り注いでいるかのようだった。
楊貴妃の姿を見て、堪えられなくなったのだろう。
しかし、道理にかなっていることなので、悲しむ人はいなかった。
そうして安禄山は帝を追放し天下を掌握したが、長くはもたなかった。
玄宗は息子に譲位して太政天皇となってもなお、楊貴妃を忘れられずにいた。
嘆き悲しむあまり、春に花が散っていくのも知らず、秋に木の葉が落ちるのも見ず、庭に積もった木の葉を片付ける人もいなかった。
悲しみは日を追うごとに増していった。
その頃、蓬莱に行き来できるという方士が玄宗のもとを訪れた。
「私は帝の御使いとして、楊貴妃様がいらっしゃるところを尋ねて参りましょう」
帝はこれを聞いて、大いに喜んだ。
「それなら、楊貴妃の居場所を突き止めて私に報告せよ」
方士は帝の仰せを承り、上は虚空の果て、下は根の国まで探し求めたが、とうとう見つけることはできなかった。
そうしている間に、ある人が言った。
「東海に蓬莱という島がある。
その島の上に、大きな宮殿が建っている。そこに玉妃の大真院というところがあるが、それこそがかの楊貴妃がいる場所だ」
方士はそれを聞いて、蓬莱島に至った。
その頃、山の端に日が落ちていき、海面も暗くなっていった。
花の扉もみな閉まって、人の気配もなかったので、方士がその扉をたたくと、青い衣を身にまとって髪をみずらに結い上げた乙女が出てきた。
「あなたはどこから来た人ですか」
「私は、唐の帝の使者としてやってまいりました。楊貴妃に申すべきことがあって、こうして遥か遠くまで尋ねて来たのです」
「玉妃は、ただ今お休みになっておられます。しばらくお待ちください」
方士は、玉妃が目覚めるのを待った。
夜が明けて、玉妃は方士がここに来た理由を聞くと、方士を召寄せてこう言った。
「帝は無事でいらっしゃいますか。また、天宝十四年から今に至るまで、国で何があったのか教えてくれますか」
方士は、その間に起こったできごとを説明した。
そして、玉妃は方士にかんざしを渡し、「これを持っていき、帝に『これを見て昔を思い出してください』と言ってください」と言った。
方士は「このような玉のかんざしは世にありふれたものです。これをお渡ししても、帝はあなたのことを信じないでしょう。
昔、帝とあなたのお二人にしかわからないことを仰ってください。そのことを帝にお伝えすれば、信じてくださるでしょう」と言った。
そのとき、玉妃はしばらく思いを巡らせて言った。
「昔、七月七日に帝と織女を眺めていた夕べに、帝は私に寄り添ってこう言いました。『織女と牽星の契りは、哀れなものだ。私もまた、こうありたいと思う。
もし二人が天にいたならば、翼を並べて飛ぶ鳥となろう。もし二人が地にいたならば、枝を並べて立つ木となろう。天も地も長く在るが、いつか終わりが来る。だが、私の想いは長く続き耐えることは無いだろう』と申し上げてください」と言った。
方士は玉妃の言葉を聞いて王宮に帰り、このことを帝に奏上した。
帝の悲しみはいっそう深まり、楊貴妃を失った悲しみに堪えられず、程なくして亡くなった。
帝は楊貴妃が殺められた場所に赴いたとき、野辺で浅茅が風に吹かれてむなしくなびいていた。
帝のどのように思ったのだろうか。哀れとは、このようなことを言うのだろう。
しかし、安禄山が楊貴妃を殺めたのは世を正そうとするためだったのだから、帝も非難することはなかった。
昔の人は、帝も大臣も道理をわきまえていたので受け入れていたのだという。












