あらすじ
西伯侯は虎に喰われるのを逃れたような心地で帰国した。
ただひたすら仁恵を施して政務を執り、民に刑罰を与えなかったが、民は自ずと善行に励むようになった。
稀に罪を犯す者がいたときは、土を掘って牢屋を造り木偶の人形を刻んで獄吏の代わりにした。
それでもみな、西伯の徳に伏して牢から脱走する者はいなかった。
ある時、西伯侯は国を観察するため城の外に高台を築くよう命じた。
百姓たちは自分の親のためであるかのように働き、日も立たないうちに出来上がった。
この高台は霊台と名付けられ、その下には庭園を開いて鹿や鳥を放し飼いにした。
さらに沼を掘って魚や亀を放ち、遊覧の楽しみとした。
西伯侯は霊台に諸臣を集めて酒宴を開き、民に褒美の金銀を与えた。
「楽しい暮らしを願う心は君主も庶民も同じだ。下々の民もここで遊覧に興じてよい。私一人が楽しむための場所ではない」
こんなことを言う仁義深い君主だったので国中の人々に慕われ、西伯の威風も自然と強くなった。
諸臣もみな、殷の都に攻め入り紂王を滅ぼし、七年の苦難を晴らし伯邑考の仇をうって万民の憂いを救おうと勧めた。
しかし、西伯は「たとえ君主が無道であっても、臣下である限りは忠節を尽くさなければならぬ」と受け入れず、ただひたすらに紂王を重んじ仕えた。
ここに、姓は姜、名は尚、字は子牙という人がいた。
後に、周の時代には太公望と呼ばれ、夏の禹王の四獄の苗裔で、先祖が呂という土地を支配していたことから「呂尚」といった。
今は殷の民として暮らしていた。
禹王は夏王朝の始祖である。
彼は鬼神を使役し、雲を呼んで雨を降らせる奇術に長けていた。
智謀の才能を内包していたが、時代に遭わず誰にも仕えていなかったので七十歳を過ぎても貧しく暮らしていた。
彼もまた紂王の暴政を見て「君子はご乱心してしまった。時勢に流されてはいけない」と家族を連れて東海の浜辺に移り、漁猟を為して生計を立てていた。
そして、西伯の仁政を耳にして岐州に移り、山奥の磻渓に釣り糸を垂れて隠れ住んでいた。
彼の妻・馬氏は夫の貧しさに苦しみ離縁したいと願い出た。
子牙は「私が八十歳になれば諸侯に上れる。もう少しの間辛抱すれば富はすぐそこだ」と答えた。
またある日、馬氏は子牙が釣りをしているところへ昼食を持っていき、魚が釣れているか覗き見たが、一匹も釣れていなかった。
そればかりか釣り針をしまうところを見ていると、餌も付けていなかった。
馬氏は怒り、子牙を責めた。
「あなたが今まで時代に遭わず貧しい生活に耐えてきたと思っていたのは、とんだ思い違いだったようね。
今日のこのありさまを見てあなたがどうしてこんなに落ちぶれているのかわかりました。
餌を付けず、針も曲げないでどうやって魚を釣るのですか。
日に日に生活は苦しくなっていくというのに、出世したいとは思わないのですか」
子牙は笑って答えた。
「あなたは知らないでしょう。私が釣りをしているのは魚を取るためではなく、王侯を釣るためだから、曲がった針を使わないのだ。
西北の方に祥雲が現れている。これは、三年以内に明君がここに来る兆しだ。指を折って富を待とう」とさまざまに慰めた。
けれども、馬氏は「私は早く故郷に帰って親の面倒を見たいのです。どうしてここに居て餓死を待たなければいけないのでしょう」と袖を翻して去っていったので、子牙は妻の好きにさせてやろうと思って止めなかった。
岐州に入った子牙が隠れ住む場所を探していたところ、一人の樵夫に遭遇した。
この辺りの地理を尋ねたところ、磻渓の地を丁寧に教えてくれた。
樵夫は「武吉」という名前だった。
ある日、子牙がいつものように磻渓で釣りをしていたところ、思いがけず武吉が訪ねて来たので、そのまま釣りを止めて草の庵に連れて行った。
「どうしてここへ来たのだ」
「暇をもらったので、この辺りにいる親しい友人を訪ねました。ついでに、あなたの庵にも行こうと思って来たのです」
子牙は武吉の熱い志を喜び酒を酌んで語り合ったが、子牙が武吉の相を占うと凶相が出ていた。
武吉がどのような凶事が起こるか詳しく教えてほしいと言ってきた。
「他人を傷つけなければ、必ず他人に傷つけられる。黒い気が天に上っているのが、その兆しがはっきりと現れている証だ」
「私は死んでも構いません。ですが実家に年老いた母がいて、私のほかに面倒を見る者がいないのです。
私のためになんとかしてくれないでしょうか」
子牙は笑って、
「生死と禍福はみな天が決めることだから、人間の力でそれらを変えることはできないのだ。
けれども、そなたの身に異変が起こったらまたここに来られよ。私がなんとかしてそなたを助けよう」
武吉は礼を言って別れたが、心の中では深く自分の身を案じて物思いに耽っていた。
その様子を見た彼の母に怪しまれ、何があったのか聞かれた。
しかし、母に心配をかけまいと他の理由を話して凶相のことは話さず、そのまま時が経った。
ある日、武吉が西伯の城で木を売りに行ったところ、城の門番が銭を取ろうとした。
武吉が「西伯の仁政で城門を守らされているのはもしもの時に出入りを禁じるためであり、商人から税を徴収するためのものではありません。
まして、私は柴を売ったわずかな銭で暮らしている貧しい身なのに、どうしてあなたは上の命に背いて下々の民を欺き銭を奪うのですか」
怒った門番は武吉を打とうとした。
武吉は仕方なく斧を取って門番の攻撃を防ごうとしたが、誤って斧が門番の眉間に当たり一撃で撃ち殺してしまった。
城中が騒ぎになり、派遣されてきた兵士たちが武吉を囲み、西伯のもとへ連行した。
西伯が事情を問うと、武吉は事の一部始終を説明した。
「ああ、これは私の教えが行き届いていなかったせいだ。
そなたを赦そうと思うのだが、人の命は軽いものではないから、死罪を取りやめて三年間牢屋に入ってもらおう」
そう言って、武吉を牢屋に入らせた。
武吉が衛士に引き立てられて牢の前まで来ると、門には錠が掛けられておらず、監視役もおらず、木でできた人形だけがあった。
怪しく思った武吉は衛士に理由を尋ねた。
「西伯の徳政では罪人を縛る縄も監獄も使わない。
人の道を外れる事をした者がいたら、土で牢屋を作り、木を刻んで獄吏とする。
罪人もその徳義に感動して脱獄しないのだ」
「君主の仁恵はこのようなものだったのか。私は死んでしまったとしても恨むことはない。けれども、私には年老いた母がいて養う者がいない。三年間どうしよう」と涙を流して嘆き悲しんだ。
衛士は武吉を憐れんで「お前に母がいて兄弟もいないのであれば、私はお前の母を死なせるべきではない」と言った。
西伯は報告を受け、再び武吉を召し出した。
「そなたは家に帰って、母を養う方法を考えてまたここに戻ってきなさい。十日以内に来なければ、兵士を集めてそなたを捕えて死罪に処す」
武吉は陳謝して家に帰った。
武吉の母は息子の身に起こった出来事を聞いて涙に沈んでいたところに、息子が帰って来たので怪しく思った。
「どうやって家に帰って来れたんだい」
武吉は西伯の仁徳で帰ってこられた事を母に告げた。
母は涙に咽びながら、「このようなご慈悲をくださったのだから、お前は早く牢に行って罪を償いなさい」
武吉は泣きながら言った。
「私が牢に入ったら、誰が母上の面倒を見るのですか」
「私は織紡で生活していくから何とかなる、お前は気にしなくていい。早く行きなさい」
だが、武吉は母の言葉には従わず子牙に相談しようと思って、その日のうちに磻渓に行って彼に会った。
武吉は子牙に牢に戻らなくていい方法を求めた。
「以前『人の生死は天命によって定められているから、助けることはできない』と言ったが、そなたには住居を教えてもらった恩がある。その恩には報いなければならないだろう」
ここに、一つの術があった。
石室の中に壇を構え、武吉の背丈に応じた草を束ねて人形を作り、その中に置いた。
さらに五星二十八宿をそれぞれの方位に分けて祀り、燈火を灯して髪を振り乱し、素足になった。
子牙は壇に向かって小声で呪文を唱え、口に清水を含んで灯りを吹き消し、西に向かって左手を挙げ手招きをすると、突然黒雲が現れた。
雲が武吉の星辰を覆い隠したところで子牙は人形を渭水に投げ入れて祀り、武吉にこう告げた。
「そなたは七日間家に籠もっておれ。そうすれば此度の難を逃れられるだろう」
武吉は大いに喜んで家に帰り、慎んで籠もった。
十日を過ぎても武吉が戻ってこなかったので、怪しく思った西伯の群臣たちはみな「愚民が罪を重ねれば軽い罰ではすまない。兵士に命じて捕えて首をはね、後の戒めとしましょう」と言った。
西伯は卦を占ってこう言った。
「天数を占ったところ武吉は川に身を投げて死んだので、その象はもう見えなくなっていた。再び探す必要はないだろう」
そこへ役人から報告があった。
「渭水で水死体が見つかったので検分を行ったところ、我々が解放して家に帰した樵夫の罪人が乱杭にかかって死んでいたものでした」
こうして、この件はこれ以上追求されなかった。
ある夜、岐州にいた西伯はふしぎな夢を見た。
一匹の熊が東南から殿中に飛び入り、座っている西伯の傍らに立っているのを群臣が各々拝み伏しているのを見て目が覚めた。
翌日、西伯は群臣に昨晩見た夢は何を意味するのか聞いたが、答えられる者はいなかった。
そんなとき、散宜生が進み出て申し上げた。
「この夢は、我が君が賢人を得る兆しです」
「どうしてそのようなことがわかるのだ」
「元より熊は良い獣で、翼を生やしていたのは我々の知らない賢人が現れる兆しです。御座の傍らに侍立するのを百官が拝み伏していたのは、その賢人が諸臣の上に立ち君のお側にお仕えする者であることを意味します。熊が東南の方角から飛んできたということは、賢人もまさにその方角から現れるでしょう。東南に向かい賢人をお探しになってはどうでしょう」
「寝ている間に見る夢など、深く信じるに及ばないだろう」
「昔、殷の高宗は天神から美味しいお粥をいただく夢を見て、その夢を賢人が現れる兆しと考えました。
国中を探し回り、ようやく賢人を見つけて側に仕えさせ、天下は平穏になりました。
こうして、湯王の国家を再興することができました。
夢を軽んじて賢人を得る機会を棒に振ってはいけません」
「そなたの言うことももっともだ」
西伯は大いに喜び、散宜生の言葉に従って軍を遣わし、九龍の車を引かせて数十人の武官を従え賢人を探しに出発した。
西伯たちはすでに洛陽の渓の辺りにまで来ていた。