平安時代

【源平合戦】横田河原の戦い

横田河原の戦いは、信濃国横田河原で起こった越後守城長茂と木曽義仲の戦い。

合戦の時期は、『平家物語』『吾妻鏡』『玉葉』でそれぞれ異なる時期に起こったできごととして記されている。

経過

『平家物語』における記述

『平家物語』によると、寿永元年(1182)9月2日に越後守城長茂は木曽義仲を追討するために、四万余騎の軍勢を率いて信濃国へ出陣した。

同年9月9日、長茂は信濃国の横田河原に陣を敷いた。
このとき、義仲は依田城にいたのだが、長茂出陣の知らせを受けて三千余騎で出陣した。
信濃源氏の井上光盛が義仲の軍勢を七手に分け、それぞれの軍勢に赤旗を持たせた。

長茂が赤旗を見て味方の軍勢だと勘違いしている間に、義仲の軍勢は徐々に近づいていった。
やがて七手が合流して一斉に鬨の声をあげ、用意していた白旗を差し上げた。
長茂の軍勢は慌てふためき、ある者は川に追い落とされ、ある者は険しい場所に追い落とされて討ち取られた。

長茂は、川沿いに越後国へ敗走した。

『吾妻鏡』における記述

寿永元年(1182)10月9日、越後守城長茂と木曽義仲が信濃国筑磨川周辺で合戦を行い、義仲が勝利した。(『吾妻鏡』同日条)

『玉葉』における記述

『玉葉』治承五年(1181)7月1日条には、横田河原での戦いは同年6月13~14日に行われたと記されている。

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