説話 陰陽道

陰陽師が登場する説話文学一覧・あらすじ

陰陽師が登場する説話文学・あらすじ

平安時代の陰陽師が登場する説話のあらすじ、説話の中で陰陽師がしたことを紹介します。法師陰陽師につかみかかる慶滋保胤、地震を予知する安倍吉平、怪異の吉凶を占う陰陽師、祓えをする陰陽師、御陵地検分を行う陰陽師、呪詛を行う陰陽師など。

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参考安倍晴明関係の伝承と説話

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陰陽師が登場する説話

宇治拾遺物語

内記上人、法師陰陽師の紙冠を破ること

陰陽師のしたこと:祓を行う

内記上人寂心(慶滋保胤)が材木を買いに播磨国へ赴いたとき、紙冠をかぶった法師陰陽師が祓えをしているのが見えた。内記上人が慌てて法師陰陽師のいる方へ走り寄って何をしているのか尋ねたところ、祓えをしているのだという。さらに、内記上人がどうして紙冠を着けているのか尋ねると、祓戸を守護する神々は法師を嫌うからだという。すると、上人は声を上げて泣きながら法師陰陽師につかみかかった。驚いた法師陰陽師は祓えを中断してしまった。上人は、仏の弟子でありながら仏の忌み嫌うことをするのは無間地獄に落ちる業を作ることであり、悲しいことだと法師陰陽師にすがりついて激しく泣いた。しかし、法師陰陽師は上人の言葉を聞き入れながらも、こうしなければ生活していけないし、仏に対する信心も持ち合わせていないと言うので、内記上人は人々から寄付された物を法師陰陽師に与えて都に帰った。

内記上人(慶滋保胤)は、賀茂忠行の次男である。寛和二年(986)4月に出家した。

古今著聞集

陰陽師吉平、地震を予知すること

陰陽師(安倍吉平)のしたこと:地震を予知する

陰陽師吉平(安倍晴明の子)が医師雅忠と酒を飲んでいたとき、雅忠は盃を取りお酌を受けて、しばらく手に持ったままだった。それを見た吉平は「御酒を早くお飲みください。これから地震が起こりますぞ」と言った。その言葉通り、やがて地震が起こり酒の入っていた盃も揺れてこぼれてしまった。流石だと伝えられている。(296話)

播磨府生貞弘が陰陽師の馬に試し乗りするも返さず

陰陽師のしたこと:播磨府生貞弘へ馬に試し乗りするよう頼む

播磨府生貞弘の家の近くに陰陽師が住んでいた。陰陽師は馬を設けたので、貞弘を呼んで乗り心地を試してみるように言った。貞弘は不思議に思いながらも、馬へ乗ってみた。貞弘は馬に乗って走り回り、しばらくして馬に乗ったまま家に帰ってきた。陰陽師は「これはどうしたことか」と馬を返すように言ったが、貞弘は「それはないでしょう。あなた程の人が私を呼んで馬に乗せようとするのですから、てっきり馬をくれるのだと思って乗って来たのですよ」と言って馬を自分のものにしたので、陰陽師はどうすることもできなかった。(362話)

今昔物語集

人妻悪霊となり、その害を除く陰陽師のこと

陰陽師のしたこと:怪異(女の亡骸)について占い、祈祷を行う

■■(欠字)は長年連れ添った妻を捨てて家を出た。妻は男への恨みが積もって病を患い、数ヵ月後にとうとう亡くなってしまった。
女には身寄りがなかったので、亡骸はそのまま放置されていたが、腐敗することなく生きていたときようであった。このことを聞きつけた男は女に祟り殺されるのではないかと恐怖に震え、陰陽師に祟りから逃れる方法はないか尋ねた。陰陽師は「とても恐ろしいことが起こりますが、我慢してください」と言って、女の亡骸のある家に男を連れて行った。陰陽師は男を亡骸の上に跨がらせ、亡骸の髪を握らせた。そして、陰陽師は祈祷を行い、自分が戻ってくるまでそのままの態勢でいるように伝えて出ていった。
そうして真夜中になると、亡くなったはずの女が急に起き上がって男を探しに外へ走り出ていった。男が陰陽師に言われた通りに女の髪を掴んでいると、やがて女は元の場所へ戻ってきて、再び眠りについた。
朝になると陰陽師が戻ってきて再び女の亡骸に向かって祈祷を行い、男を連れて帰った。(巻24第20話)

慈岳川人、地神に追われること

陰陽師のしたこと:天皇の御陵地検分

天安二年(858)に文徳天皇が崩御されたとき、大納言安倍安仁は陰陽師慈岳川人を連れて御陵地を占い定めた。ところが、帰る途中で川人は土の神が追ってきていると怯えだした。大納言はどうしたらよいか分からず、従者たちを先に帰して大納言と川人は田んぼに身を隠した。すると、何千、何万人かと思うほどの足音が通り過ぎていった。足音はまた戻ってきて、大納言と川人を探せと大騒ぎした。しかし、どうしても見つけられないので、「今日見つけられなくとも、大晦日の夜には必ず探し出す」と言って足音は立ち去った。大納言と川人は、大晦日の夜には絶対に誰にも見つからないように隠れることにした。大晦日の夜、大納言と川人は嵯峨寺のお堂の天井に身を隠した。真夜中に気味の悪い暖かな風が吹いて地響きが通り過ぎていくような感覚があった。夜明け前に二人はそれぞれ帰宅した。(巻24第13話)

陰陽の術を以て人を殺すこと

陰陽師のしたこと:茂助の陰陽師→固い物忌が必要だと伝える、茂助を疎んじた男の陰陽師→茂助を呪詛する

主計頭小槻糸平の子に算を教えていた茂助という男が若かった頃、あまりに優秀だったので周囲から疎まれ、中には茂助の死を願う者もいた。ある時、茂助の家に奇妙なことがあったので、優秀な陰陽師に占わせたところ、固い物忌が必要だということだった。物忌の当日になると茂助は家に籠もっていたが、茂助を嫌う男もまた優秀なもぐりの陰陽師を味方に引き入れた。その陰陽師曰く、茂助の物忌の日に呪えば必ず効果があると言うので、男は陰陽師を連れて茂助の家を訪ねた。茂助が引戸口から顔を出すと、陰陽師はあらゆる呪詛を行った。茂助はその日の夜中から頭が痛くなり、三日目に亡くなった。(巻24第18話)

能登国の鳳至の孫、帯を得ること

陰陽師のしたこと:お告げの吉凶を占う

能登国鳳至郡に鳳至の孫が住んでいた。その男が貧しかった頃、家に不思議なお告げがあったので陰陽師に吉凶を占わせた。陰陽師は「災難があるので厳重な慎みが必要です。慎まなければ命を落とします」と告げた。男は陰陽師の教えに従い物忌をしようと家を出て浜辺に向かった。(巻26第12話)

修行者、人の家に行き女主を祓いて死ぬること

(法師)陰陽師のしたこと:祭祀を行う

犬に狩猟をさせて生活していた男がいつものように犬を引き連れて山に入って行った頃、若い妻は一人で留守番をしていた。そこで、一人の修行僧が訪ねてきて食べ物を要求した。ただの乞食ではないと思った女は僧を家に上げた。僧は陰陽道にも詳しく、祭祀も行うことができるという。その祭祀をすれば万事うまくいくというので、女は僧と二人で山奥に入り供物を供え、祭文を読んだ。ところが、帰る途中で僧が若くて美しい女に発情し、女は抵抗したものの僧に脅されて言われるがままにしてしまった。そこへ女の夫が通りかかり、女は一部始終を放した。夫は法師の骸を投げ捨て妻を連れて帰った。(巻26第21話)

東三条の銅の精、人の形となりて掘り出ださるること

陰陽師のしたこと:怪異の吉凶をを占う

東三条殿に式部卿宮(重明親王)が住んでいた頃、親王は時々南の山を太った五位の男が歩いていくのを見かけることがあった。そこで、霊験あらたかな陰陽師に占わせたところ「物の怪によるものだが、害はありません。銅の器の精によるものでしょう。東南の隅の土に埋まっております」ということだった。親王が陰陽師の占った場所を深く掘ると、銅のひさげが出てきた。それから、五位の男を見かけることはなくなった。(巻27第6話)

重明親王:延喜六年(906)~天暦八年(954)。醍醐天皇の第四皇子。

近江国安義橋なる鬼、人を喰らうこと

陰陽師のしたこと:物忌が必要か占う

近江国の国司の館に若い男たちが集まって飲み食いしていると、一人の男が「この国にある安義橋は、昔は人が渡れたのだが、今となっては無事に渡れないという噂が広まって誰も通らなくなった」と言い出した。すると、お調子者の男が安義橋の噂が本当か確かめるために、安義橋へ向かった。男が橋を渡っていくと、一人の女が立っているのが見えた。女の正体は鬼に違いないと思った男は、その場から逃げ出した。鬼は走って追いかけてきたが、とうとう男を捕まえることはできなかった。
その後、男の家に奇妙なことが起こったので、陰陽師に占わせたところ、厳重に物忌しなくてはならないということだったので、男はその日になると物忌のために家に籠もった。ちょうどその日に男の弟が訪ねてきた。男は弟を迎え入れてしばらく話し込んでいたのだが、突然取っ組み合いを始めた。弟は兄の首を喰い切り、かき消えるようにいなくなった。弟は、安義橋で男を追いかけた鬼であった。(巻27第13話)

播磨国の鬼、人の家に来たりて射らるること

陰陽師のしたこと:死穢の祓を行う、怪異の出現を占い、物忌が必要だと伝える

播磨国のある住人が亡くなったので、死穢の祓をさせるために陰陽師を呼んだが、陰陽師から「この日に鬼がやってくるから厳重に物忌してください」と忠告を受けた。家のものたちが門を固く閉じて物忌をしていると、門の外から家の中を覗いている男が見えた。陰陽師はあの男こそ鬼だというので、家のものたちは震え上がった。鬼が家に入ってくると、家の主人の息子は鬼に喰われるのならば後世に語り継がれようとして、鬼めがけて弓矢を射た。矢は鬼の体に命中し、鬼は見えなくなった。(巻27第23話)

中納言紀長谷雄の家に狗を顕すこと

陰陽師のしたこと:怪異(犬)の吉凶について占い、物忌が必要だと伝える

中納言紀長谷雄は世に並ぶものがないほど優れた学者だったが、陰陽道においては無知だった。ある日、犬が塀を越えて入ってきて小便をしたので、長谷雄が陰陽師に吉凶を占わせたところ「家に鬼が現れる兆しですが、害を及ぼすようなことはないでしょう。当日は物忌が必要です」ということだった。しかし、物忌の当日、長谷雄は物忌を忘れて学生たちと漢詩を作っていた。すると、塗籠の中から恐ろしげな唸り声が聞こえてきた。学生たちがおろおろしていると、塗籠がごそごそと動いて異形のものが中から出て来ようとしていた。学生の一人が異形の頭の方を蹴ると、出てきたのは白い犬であった。陰陽師が占ったのは本物の鬼ではなく、鬼に見えるものであった。紀長谷雄は陰陽師を褒め称えた。(巻28第29話)

平貞盛朝臣、法師の家において盗人を射取ること

陰陽師(賀茂忠行)のしたこと:怪異について占い、厳重な物忌が必要だと伝える

下京の辺りに住んでいた法師の家に不思議な兆しがあったので、賀茂忠行に占わせたところ「この日に固く物忌をしないと、盗人に襲われて命を落とすかもしれません」ということだった。物忌の当日、法師が固く物忌をしていると、夕暮れになって門をたたく音がした。法師が人を遣ると、法師と長年親しい間柄の平貞盛が陸奥国から上洛してきたという。法師が貞盛に物忌の事情を説明すると、貞盛は家来を帰して法師の家に上がった。夜が更けて盗人が入ってきたので、貞盛は盗人を射通した。逃げ出した盗人の仲間も捕えた。(巻29第5話)

徒然草

陰陽師有宗入道、鎌倉より上りて……

陰陽師(安倍有宗)のしたこと:庭を無駄に使用していることを諫める

陰陽師有宗入道が鎌倉から京に上ってきて私のもとを尋ねてきたのだが、家に入ってくるなり「この庭は無駄に広すぎます。嘆かわしく、あってはならないことです。道理を知っている者は植物を植えることに努めます。細道を一つ残して、後はみな畑として作りなさい」と諌めてきた。
本当に、少しの地でも無駄に置いておくのは益のないことだ。食物や薬種を植えておくのがよい。(第224段)

とはずがたり

巻一 東二条院の御産

陰陽師のしたこと:東二条院の出産に際し、祓えの準備をする

あれは八月のことだったか、東二条院(後深草院二条)の御産が隅の御所で行われたのだが、高齢ゆえにこれまでの御産も難産だったので、人々はみな肝を潰して大法・秘宝の限りを尽くした。それから二十日が過ぎて、ついに産気づかれたと大騒ぎになった。「今か、今か」と言いながら二、三日が過ぎて、誰もが気が気でなかったときに、東二条院は容態が悪化してひどく弱っていた。そこで、御験者が不動明王の絵像(証空の身代わりになった本尊だろうか)を掛けて祈祷した。すると、御産の気配があったので、陰陽師は庭に八脚の台を立てて千渡の祓えを行うよう勧め、殿上人が祓えに用いる形代を取り次ぐ。女房たちは御簾の下からその形代を受け取って渡す。そうして、僧たちが薬師経を読んでいる間に出産された。人々はみなめでたいと喜んだ。

巻二 

陰陽師のしたこと:病の吉凶を占う

まだ夜が深いうちから尼たちが起き出して夜の勤行を行い、即成院の鐘の音で目が覚めたので、自分も起きてお経などを読んだ。日が高くなって、また雪の曙からの手紙を、茨を切った人が届けてきた。
雪の曙との間に生まれた子がその後どのように育ったのか知らずにいたので「春頃より病を患ったのですが、ひどく重かったので、陰陽師たちに占わせたところ『生みの親が気にかけているからだ』と申すのです。まことに恩愛の尽きないことであれば、そうなのかもしれません。都に来たついでに逢いましょう」と書いた。

古記録の中の陰陽師

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参考陰陽師たちの活動記録一覧

活動年表一覧 天皇時期リンク継体天皇-嵯峨天皇継体天皇七年(513)-弘仁十一年(820)淳和天皇-宇多天皇天長三年(826)-寛平三年(891)醍醐天皇-朱雀天皇延長元年(922)-天慶九年(946 ...

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