地獄界曼荼羅の伊吹童子、クリスマス2020のヴリトラ、正月の村正など、最近は素盞鳴尊や八岐大蛇に関連する鯖が多く実装されているので、八岐大蛇の話をします
大蛇は縄文時代から信仰されてきた神や地霊でしたが、大陸から伝わった竜蛇信仰と融合して自然の驚異を体現した怪物に変遷していきました。
八岐大蛇
『記紀』に登場する最大最強の災害竜。
『古事記』では八俣遠呂智、『日本書紀』では八岐大蛇と記す。
年ごとに人身御供を喰らう悪神として恐れられていたが、素盞鳴尊に退治された。
大蛇の死骸から出た草薙剣は三種の神器の一つとして皇室に受け継がれている。
『古事記』の八岐大蛇退治
高天原を追放された須佐之男命は、出雲国の斐伊川上流に位置する鳥髪に降り立った。
すると、川の上流から箸が流れてきたので、須佐之男命は川の上に人がいると考え尋ね上っていった。この地に住む足名椎と手名椎の夫婦が間に娘を挟んで泣いていたので、須佐之男命がなぜ泣いているのか問うと、夫婦は「自分たちには八人の娘がいたが、毎年高志に棲む八岐大蛇という蛇の怪物に喰われてしまう。今年はとうとう最後の櫛名田比売の番になってしまった」と嘆いた。須佐之男命は夫婦に「大蛇を倒したら櫛名田比売と結婚させてほしい」と頼んで自らの正体を明かすと、老夫婦はこれを快諾した。
須佐之男は櫛名田比売の姿を櫛に変えさせて、その櫛を髪の結ったところに刺した。
さらに、老夫婦に「何度も繰り返し醸した強い酒(=八塩折之酒)を作り、八つの門を作り、それぞれの門に八つの仮設の棚を設け、その棚ごとに船型の大きな器を置き、器ごとに強い酒を盛って待て」と頼んだ。
そうしてあれこれ準備をしていると、ついに八岐大蛇がやってきた。
大蛇は八つの頭をそれぞれ酒舩に入れて酒を呑み、酔っ払ってその場で眠ってしまった。
その時、須佐之男命は十拳釼を抜いて大蛇を斬りつけると、簸の川が血に変わって流れた。
大蛇の内側の尾を斬った時に刀の刃が欠けたので、ふしぎに思った須佐之男命が蛇を割いてみると、蛇の身体から太刀が出てきた。
須佐之男命はこの太刀を天照大神に献上した。
この太刀こそ、草那芸の大刀である。
『日本書紀』の八岐大蛇退治
高天原を追放された素盞鳴尊は出雲の鳥髪に降り立った。
すると上流から箸が流れて来たので、素盞鳴尊はこの先に人が住んでいると思いさらに上流に上って行った。
そこには一組の国津神の足名椎と手名椎の老夫婦と娘の奇稲田姫が暮らしていた。しかし老夫婦が泣いていたので、素盞鳴尊が理由を問うと、八岐大蛇がやって来る時期が近づいてきたからだということだった。
興味を持った素盞鳴尊は大蛇がどのような姿なのか足名椎に問うと、足名椎は八岐大蛇の姿を説明した。
- 鬼灯のように真っ赤な目
- 八頭八尾
- 背中に苔や杉、檜が生えている
- 八つの谷、八つの峰に跨るほど巨大な胴体
- 血が滲み、爛れた腹
素盞鳴尊は恐ろしい大蛇の姿を聞いても怯まず、大蛇を倒したら奇稲田姫と結婚させてほしいと足名椎に頼んだ。足名椎は申し出を快諾し、娘を差し出すことを約束した。
普通に大蛇に戦いを挑んでも勝ち目はないと考えた素盞鳴尊は、奇稲田姫の姿を櫛に変えさせて自分の髪に刺し、大蛇が来るのを待った。
やがて八岐大蛇がやって来ると、酒の匂いがしたので八つの頭を八つの酒壺に突っ込み、酔いが回って眠ってしまった。
その時、素盞鳴尊が立ち上がって十拳剣を抜き、八つの首を斬り落とした。さらに大蛇の身体をずたずたに切り裂いたが、中央の尾を切った時に刀の刃が欠けたので、不思議に思って尾を割くと中から剣が出てきた。
たいへん立派な剣であったため、自分のものにしておくにはもったいないと考えた素盞鳴尊は剣を天照大神に献上した。
八岐大蛇の尾から現れた剣は天叢雲剣という三種の神器の一つで、後に日本武尊命が東夷征伐を行った際に草薙剣と名を改めた。現在は熱田神宮に祀られている。
また、素盞鳴尊が大蛇の頭を斬り落とした剣は天羽々斬といって、備前赤磐郡の石上の社に納められた。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1039967/28
天叢雲剣と鉄器製作
大蛇が棲む斐伊川の仁多郡は日本有数の産鉄地で、鍛冶部という鍛冶集団が鉄器製作をしていた。
製鉄民が採掘を行う際は砂鉄を含んだ花崗岩を川に流して鉄を選別していたが、その時鉄分を含んだ水で川が赤く染まり、下流に住む農耕民が被害を受けた。
そこで製鉄民を討った話が八岐大蛇退治の元になっている説がある。
大蛇の腹から滴り落ちる血は、川が錆びた砂鉄で赤く染まっていたことに由来すると言われている。
『出雲風土記』に八岐大蛇の記述はない
出雲国の風土・伝承を編纂した『出雲風土記』に八岐大蛇に関する逸話の記述はない。
このことから、素盞鳴尊による八岐大蛇退治の逸話は大和朝廷による創作とする説もある。
しかし、素盞鳴尊や奇稲田姫ゆかりの地名や八岐大蛇退治に登場した場所も存在する。
そのため、八岐大蛇の正体は出雲土着の神だという説もある。
自然災害の化身としての姿
川の流れが「蛇行」と呼ばれるように、人間の力では到底制御しきれない洪水や川の氾濫は大蛇そのもので畏怖の対象となる。
人智を超越した流動する自然を象徴する獣であるともいわれている。
安徳天皇=八岐大蛇の化身説
さまざまな説
『平家物語』における記述
ある陰陽博士が占って申すには、「昔、出雲国の簸河上で素盞鳴尊に斬り倒された八岐大蛇の霊剣を惜しむ心が強かったので、八つの頭と八つの尾を示すしるしとして人王八十八代の後、八歳の帝となって霊剣を取り返し、海底に沈まれたのであろう」と申した。
海底で神竜の宝となったのだから、再び人間のもとに帰ることはないのも道理であった。
『源平盛衰記』における記述
壇ノ浦の戦いで海に沈んだ宝剣を探しに竜宮に向かった海女は、口に宝剣を咥えて7〜8歳の子供を抱きかかえている大蛇に出会った。
大蛇曰く、宝剣は元々竜宮の宝であり、大蛇の次男は素盞鳴尊に退治された八岐大蛇であった。
日本武尊の東夷征伐の際、八岐大蛇は伊吹山の大蛇となって宝剣を取り返そうとしたが、結局宝剣を手に入れることはできなかった。
その後、何度か宝剣を取り戻そうとしたが叶わず、簸川上の安徳天皇となって源平争乱を起こし、宝剣を竜宮に持ち帰った。
大蛇が口に咥えていたのは宝剣で、抱いていた子供は安徳天皇であったという。
『愚管抄』における記述
安徳天皇が海に沈んでしまったのは、平清盛が安芸国(広島県)厳島明神のお恵みによって生まれた天皇だからである。
この厳島の神は竜王(娑伽羅竜王)の娘で、清盛の信心深さに感応した神が自ら天皇となってこの世に生まれ、最後は海に帰っていったと言い伝えられている。
八大竜王の一で、竜宮の王。仏法を守護し、海を支配する。
剣山(徳島県)の伝説
1185年、壇ノ浦の戦いに敗れた平国盛と安徳天皇は平家一行とともに剣山に向かった。祖谷に落ち着いた国盛と安徳天皇は、平氏の再興を願って三種の神器の一つである宝剣を剣山に納めた。
参考資料
書籍
久保田 悠羅「ドラゴン (Truth In Fantasy)」新紀元社、2002年
多田克己「幻想世界の住人たち 4 日本編」新紀元社、2012年
高山宗東「もののけ解題 おろちの棲処―――日本神話に登場する伝説の生物『八岐大蛇』」キニナルブックス、2018