『宇治拾遺物語』より「晴明、蛙を殺す事」の現代語訳。
『宇治拾遺物語』百二十七に収録。
内容
ある日、安倍晴明は広沢の寛朝僧正の御坊に赴いて雑談をしていた。
広沢僧正(寛朝)は宇多天皇の孫。嵯峨広沢の遍照寺に住んでいたことから「広沢の僧正」と呼ばれた。
そこへ若い僧たちがやって来て、晴明に「式神を使役するならば、容易く人を殺せるのでしょうか」と尋ねた。
「簡単にはできません。力を入れると必ず殺めてしまいます。
虫であればほんの少し力を入れるだけで必ず殺めることができるでしょう。ですが、生き返らせる術を知らないため、殺生の罪に問われてしまうのでそのようなことはしません」
すると、庭に五、六匹の蛙が出てきて、池の方へ飛び跳ねていった。
「あれをひとつ、殺してみてくれませんか」僧は晴明に言った。
「罪作りな人ですね。ですが、私を試すというのなら殺してみせましょう」
晴明は草の葉を取って呪文を唱えるようにして、蛙の方へ投げやった。
草の葉が蛙の上にかかると、蛙は押しつぶされてぺしゃんこになってしまった。
これを見た僧たちの顔は真っ青になり、恐ろしいと思った。
家の中に誰もいないときはこの式神を使っていたのだろうか、誰もいないのに蔀を上げ下ろしたり戸締まりをしていた。
関連説話
『今昔物語集』巻二十四第十六話「安倍晴明随忠行習道語(安倍晴明、忠行に随いて道を習うこと)」に同様の説話がある。