説話

月刈藻集 安倍晴明の説話 現代語訳

月刈藻集つきのかるもしゅう』は、江戸時代に成立した説話集。

内容

原文

人語って曰く、安倍晴明は大膳大夫従四位下(安倍)益材の子なり。
賀茂保憲に従ひて天文暦等権歩の術を究め始める。
保憲に逢ふとき「此の術全く邪道乱心を嫌う、心中正しくすべし」とて、三七日別居して、時三七夜になる夜、有夢一人老人来て云う「我荊山に年久しく敷きおこなう者や心中やさしく侍る哉、弥功つもり天下に名誉をあらはし修へ」とて一巻を残すと見る。
則みるに書有り、開いてみば考え一つとして明ならずと云う事なし。
これを秘して出すことなし。
それより功つもりて名誉かくれなかりける。

真此播磨国に道満と云う者、都にのぼりて六条あたりに住して明が術をうばわんとて、此由申し遣たり。
しかば明則心得たる由申したり。
来る何日と定む此事洛中取沙汰有ける。
これを見んと論す哉、上達部の家に會す殿上の雲客袖を揃てこれを見物す。
内證より先長持に大柑子十五入て鎮(おもり)懸て大勢にてかき出る。
此内石へしとて時、道満にいわしみても勝たらんにかしたのむへきと約諾して満いわして此内に大柑子十五といふ。明は思能はうらなふたりと心中に忽に加持仕替て鼠十五疋有と云い、しかれば明し損じたりとかたづを呑てこれを守る満云弥鼠相違あらずや明別義なしと云い、則蓋を取柑子は無く、鼠十五疋有てはしり出四方へ飛去ぬ。満しほしほと成て家に帰る。晴明弥考の名誉し人貴しあへり。終達叡聞後に天文博士相続す。道満弥腹あしく成て、かれを亡さんとす。
或時、晴明一条橋に至る。兼て明は十二神将をつかひちるに、此はしを渡るとき大男出て道満法師あたしなさんとか者をたのんで此向かの家待つけたりしかはそれより明道をかへて外道を渡て難にあはず。
其後度々心かけたれも恙無くのみありし。満は堀川顕光にたのまれて御堂の道長を呪詛すること晴明して終に道満播磨国へ流されし彼国にて死す。
此晴明が母は人間あらず。父、明が母に嫁明生す。三才ときに父ことかたに心さしある女侍りしをうらみて行衛しらずうせたり。
一首歌をのこす。
こひしくは 尋てもとへ 和泉なる しの太のもりの うらみくづの葉
父、不思議に思ひて和泉に行て信太森の社にいのりけるに、何方なり狐一疋来て、これぞこひしくは尋てもと云へる社なり。尋ね給ふことうれしとて失たり。これこの神の化身といへり。
今此旧跡中村と云処にあり。
明十三才の時に信太神に詣明神夢に現れ、水精玉をあたへ得たり。此玉両耳に蓋ふ鳥獣の声明に通ずと云う。
あやまって後に明が妻これをやぶるいへり。晴明一条院寛弘二年に卒す。

情節

安倍晴明は、大膳大夫で従四位下の安倍益材ますきの子である。

晴明は賀茂保憲やすのりの弟子となって、天文道や暦道などをきわめた。
初めて保憲に出逢ったときに「この道は邪道乱心を嫌うゆえ、心を正しく持て」と教えられて、晴明は三十七日間別室に籠もって修行した。

三十七日目の夜、晴明の夢に一人の老人が現れた。
「私は長らく荊山で修行をしている者だ。心を清めた功績が積もり、天下に名誉をあらわすだろう」
そう言って、老人は一冊の書物を残していった。
晴明はその書物を誰にも見せず、奥深いところに隠した。
それから、晴明は多くの功績を上げて名誉を顕した。

その頃、播磨国から道満という者が都に上り、六条の辺りに住み、晴明の術を奪おうとして勝負を持ちかけた。晴明はこれを受け入れて日取りを決めた。
二人の対決を見るために大勢の月卿雲客が見物した。
大きな柑子が十五個入った箱が出されてきて、道満は十五個の大きな柑子が入っていると言った。晴明は、心の中で加持を行い箱の中身を替えて、鼠が十五匹いると言った。
皆が晴明は占い仕損じたのではないかと固唾を呑んで見守るなか、道満が鼠に相違ないのか念を押して尋ねると、晴明は間違いないと答えた。
蓋が開けられると、そこに柑子はなく、鼠が十五匹飛び出して四方へ走っていった。
道満はとぼとぼと家に帰った。その後、晴明は天文博士を相続し、道満の心は邪悪になり、晴明を亡き者にしようと企んだ。

ある時、晴明は一条橋を渡ろうとしたとき、道満は仇を為そうとして後をつけていったが、晴明は遠回りの道を渡ったので、難を逃れた。
やがて道満は藤原顕光の依頼で藤原道長を呪詛するが、晴明に見破られて播磨国へ流され、そこで亡くなった。

この晴明の母は人ではない。晴明が三歳のとき、父の浮気が原因で母は歌を一首残して行方をくらました。
父が母を追って信太の森へ行くと、どこからともなく狐が一匹来て、尋ねに来てくれて嬉しいと言ってどこかへいなくなってしまった。

晴明が十三歳のときに信太神が夢に現れ、水精玉を授けた。
この玉で両耳を塞ぐと、鳥や獣の声を理解することができるという。
晴明の妻は誤ってこの玉を破ってしまった。
晴明は一条院の御代、寛弘二年(1005)に没した。

補足解説

大膳大夫安倍益材

『安倍氏系図』において、安倍晴明は大膳大夫安倍益材の子とされている。

晴明の夢に現れた老人

荊山で修行していることから、『簠簋抄』『安倍晴明物語』などに登場する伯道上人が元になっている人物である。
老人の残した書物は陰陽道の秘伝書『金烏玉兎集』と思われる。

水精玉

『簠簋抄』『泉州信田白狐伝』『安倍晴明物語』『安倍保名:連夜説教』では、晴明が竜宮を訪れた際に竜王から賜った龍仙丸という宝珠によって、鳥の言葉を理解できるようになった。

関連

伯道上人

『簠簋抄』『安倍晴明物語』『泉州信田白狐伝』に登場する伯道上人は、唐の(城)荊山に住んでいる。後に、晴明は伯道上人のもとで修行をする。

安倍晴明物語伯道上人のこと
簠簋抄三国相伝簠簋金烏玉兎集之由来

晴明と道満の術くらべ

『安倍晴明物語』『泉州信田白狐伝』も同様に、箱の中身を当てる術くらべの話が収録されている。

安倍晴明物語道満と晴明智慧比べのこと
泉州信田白狐伝

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