平安時代

天徳内裏歌合(天徳歌合)

天徳歌合

天徳四年(960)3月30日、内裏の清涼殿において村上天皇が主催した歌合である。後の歌合の規範となった。
左方と右方に分かれて和歌の優劣を競い、結果は左方の10勝5敗5分で左方の勝ちとなった。

歌合

お題

3月初めに示された。
12題20番(霞・柳・山吹・藤・暮春・初夏・卯の花・夏草:各1、鶯・郭公:各2、桜:3、恋:5の計20)。

1:霞

藤原朝忠(左)

くらはしの やまのかひより はるがすみ としをつみてや たちわたるらむ
(倉橋山の谷間から、春霞が年を積み重ねて立ち渡っていくでしょう。)

平兼盛(右)

ふるさとは はるめきにけり みよしのの みがきのはらを かすみこめたり
(ふるさとはすっかり春めいています。吉野山の御垣原にも霞が立ち込めていました。)

2:鶯〈1〉

源順(左)

こほりだに とまらぬはるのの たにかぜに まだうちとけぬ うぐひすのこゑ
(氷ですら溶けてしまうほど暖かい春の風が吹いているのに、鶯の心はまだ打ち解けず、声を聞かせてくれません。)

平兼盛(右)

わがやどに うぐひすいたく なくなるは にはもはだらに はなやちるらむ

3:鶯〈2〉

このとき、右方の講師を務めていた源博雅は誤って四番の柳の和歌を読み上げてしまい、左方の方人から指摘されたため読み直すことになった。博雅は恥ずかしさのあまり真っ青になり、上手く読めなかったという。

藤原朝忠(左)

わがやどの うめがえになく うぐひすは かぜのたよりに かをやとめこし
(我が家の梅の枝で鳴く鶯は、風に導かれて梅の香りを求めて飛んできたのだろうか。)

平兼盛(右)

しろたへの ゆきふりやまぬ うめがえに いまぞうぐひす はるとなくなる

4:柳

坂上望城(左)

あらたまの としをつむらむ あをやぎの いとはいづれの はるかたゆべき
(幾年も年を積み続けている青柳は、何時かの春に絶えることがありましょうか。いいえ、決して絶えないでしょう。)

平兼盛(右)

さほひめの いとそめかくる あをやぎを ふきなみだりそ はるのやまかぜ
(佐保姫が糸を染め掛けた青柳を吹き乱さないでおくれ、春の山風よ。)

5:桜〈1〉

藤原朝忠(左)

あだなりと つねはしりにき さくらばな をしむほどだに のどけからなむ
(儚いものだと常々承知している桜花であるが、散るときを惜しむ間は落ち着いていたいものだ。)

清原元輔(右)

よとともに ちらずもあらなむ さくらばな あかぬこころは いつかたゆべき
(いつまでも散らずに咲いていてほしい桜花を、見飽きぬ心がいつか絶えてしまうときが来るのだろうか)

6:桜〈2〉

※引き分け

大中臣能宣(左)

さくらばな かぜにしちらぬ ものならば おもふことなき はるにぞあらまし
(桜花はよって散らないものであれば、散ることを惜しむ春にはならないだろうに)

平兼盛(右)

さくらばな いろみゆるほどに よをしへば としのゆくをも しらでやみなむ
(桜花の美しさに見とれて世を過ごしたならば、年を取るのも知らずにすむだろう)

7:桜〈3〉

少弐命婦(左)

あしひきの やまがくれなる さくらばな ちりのこれりと かぜにしらすな
(足引の山に隠れている桜花を、散り残っていると風に知らせないでおくれ。)

中務(右)

としごとに きつつわがみる さくらばな かすみもいまは たちなかくしそ

8:山吹

源順(左)

はるがすみ いでのかはなみ たちかへり みてこそゆかめ やまぶきのはな
(春霞がたなびく井手の川の景色は、今一度立ち返って眺めて行こう。山吹の花が咲いているから)

平兼盛(右)

ひとへづつ やへやまぶきは ひらけなむ ほどへてにほふ はなとたのまむ

9:藤

藤原朝忠(左)

むらさきに におふふぢなみ うちはえて まつにぞちよの いろはかかれる

平兼盛(右)

われゆきて いろみるばかり すみよしの きしのふぢなみ をりなつくしそ

10:暮春

藤原朝忠(左)

はなだにも ちらでわかるる はるならば いとかくけふは をしまましやは

藤原博古(右)

ゆくはるの とまりをしふる ものならば われもふなでて おくれざらまし

11:初夏

※引き分け

大中臣能宣(左)

なくこゑは まだきかねども せみのはの うすきころもを たちぞきてける

中務(右)

なつごろも たちいづるけふは はなざくら かたみのいろも ぬぎやかふらむ

12:卯の花

壬生忠見(左)

みちとほみ ひともかよはぬ おくやまに さけるうのはな たれとをらまし

平兼盛(右)

あらしのみ さむきみやまの うのはなは きえせぬゆきと あやまたれつつ

13:郭公〈1〉

※引き分け

坂上望城(左)

ほのかにぞ なきわたるなる ほととぎす みやまをいづる けさのはつこゑ

平兼盛(右)

みやまいでて よはにやいつる ほととぎす あかつきかけて こゑのきこゆる

14:郭公〈2〉

※引き分け

壬生忠見(左)

さよふけて ねざめざりせば ほととぎす ひとづてにこそ きくべかりけれ

藤原元真(右)

ひとならば まててふべきを ほととぎす ふたこゑとだに きかですぎぬる

15:夏草

壬生忠見(左)

なつぐさの なかをつゆけみ かきわけて かるひとなしに しげるのべかな

平兼盛(右)

なつふかく なりぞしにける おはらぎに もりのしたくさ なべてひとかる

16:恋〈1〉

藤原朝忠(左)

ひとづてに しらせてしがな かくれぬの みこもりにのみ こひやわたらむ
(人づてに知らせたいものだ。ひっそりとした沼のように胸に秘めたまま恋し続けるのだろうか。)

中務(右)

むばたまの よるのゆめだに まさしくば わがおもふことを ひとにみせばや
(あの人に逢える夜の夢が正夢であったならば、私の想いをあの人に打ち明けたいものだ。)

17:恋〈2〉

大中臣能宣(左)

こひしきに なににつけてか なぐさめむ ゆめにもみえず ぬるよなければ
(あなたを恋しく想う辛さをどうやって慰めよう。夢に現れることもなく、寝る夜もない。)

中務(右)

きみこふる こころはそらに あまのはら かひなくて ふるつきひなりけり
(あなたを恋しく想う私の心は上の空でどうしようもなく、ただ月日だけが過ぎていきます)

18:恋〈3〉

本院侍従(左)

ひとしれず あふをまつまに こひしなば なににかへたる いのちとかいはむ

中務(右)

ことならば くもゐのつきと なりななむ こひしきかげや そらにみゆると

19:恋〈4〉

藤原朝忠(左)

あふことの たえてしなくば なかなかに ひとをもみをも うらみざらまし
(もう絶対に逢えないのならば、かえってあの人も我が身の辛さも恨むことはないのに。)

藤原元真(右)

きみこふと かつはきえつつ ふるものを かくてもいける みとやみるらむ
(あなたを恋しく思いつつもその想いを秘めて過ごしているというのに、このような私を見て生きている身だと思うのですか。)

20:恋〈5〉

『沙石集』によると、判者たちは忠見と兼盛の和歌はどちらも名歌であったため優劣をつけられず天皇の意向を伺ったところ、兼盛が勝った。
忠見は塞ぎ込んで食事も手につかず、病を患ってしまった。兼盛が見舞いに行ったところ、忠見は「兼盛のすばらしい和歌を聞いて胸が塞がり、このような重病を患ってしまった」と言ってとうとう亡くなってしまった。

壬生忠見(左)

こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか
(恋をしているという私の噂がたちまち広まってしまった。人に知られないよう心に秘めていたのに。)

平兼盛(右)

しのぶれど いろにいでにけり わがこひは ものやおもふと ひとのとふまで
(知られないようにしていたが、顔色に出てしまった。私の恋心は、物思いにふけっているのかと人に問われるまでに。)

作者

判者は左大臣藤原実頼が務めたが、天皇の意見を伺うこともあった。

藤原朝忠平兼盛
坂上望城藤原元真
橘好古中務
大中臣能宣藤原博古
少弐命婦 
壬生忠見 
源順 
本院侍従 

講師

和歌を読み上げる役。左方から先に読み上げる。

源延光源博雅

影響

歌合に使用された調度品や衣装は左右の色を赤と青で統一し、以後の歌合の規範になった。

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