日本神話

玉藻鎮石

玉藻鎮石とは「藻の中に沈んでいる、玉のような石」という意味で、『日本書紀』内の『崇神紀』で登場する。

鎮石は出雲にて祀られている、武日照命が天より持ち来たったという神宝であり、出雲大神の神体。
日本書紀の記述によると、朝廷の要請によって出雲より持ち出され、後に河内に祀られるようになった。
おそらくは後の八咫鏡であり、つまりは天照大神の神体である。
鎮石は物部の十種神宝の原型と考えられ、魂と生命力を活性化させる力を持ち、死者さえも蘇らせる冥界の力を秘めた神宝なのだとか。

Fate/EXTRA material より

『崇神紀』における記述

時に、丹波の氷上の人である氷香戸辺ひかとべが、皇太子活目尊に申し上げた。
「私の子が自然に歌うようにこう言った。
『玉菨鎮石は、出雲の人々が祀っている誠に見事な鏡である。力強く活力を振るう立派な神の鏡。水底の玉であり、宝の主。山河の水を洗う御魂である』
これは子供の言葉ではありません。もしくは、神託ではないでしょうか」
皇太子は天皇にこのことを奏上し、天皇は勅命を出してその鏡を祀らせた。

美具久留御魂神社

氷香戸辺ひかとべの子供が神託を受けて天皇が玉藻鎮石を祀らせたのが美具久留御魂神社である。

崇神天皇の十年この地に五彩の巨蛇が現れて農民を悩ましたので、天皇は親しく妖蛇の巣窟を見られ「大国主神の荒御魂の荒振るなり宜しく祀るべし」と仰せられて、祀らしめられた。
その後、同天皇の六十年丹波国氷上の人氷香戸辺の小児に「玉菨鎮石出雲人祭真種之甘美鏡押羽振甘美御神底宝御宝主山河之水泳御魂静挂甘美御神、底宝御宝主」という神託があった。
天皇はそれをお聞きになって皇太子活目入彦命を遣わして、河内国支子に祀らせ美具久留御魂神社と御名を称え祀られたのである。

美具久留御魂神社略記 「創建の由緒」より

武日照命

建比良鳥命たけひらとりのみことの別名。『崇神紀』では武日照命という名で登場する。
天照大御神と須佐之男命の誓約の段で登場。
『古事記』では天之菩卑能命の子で、国造らの祖神として登場する。
だが、『日本書紀』では天穂日命が国造らの祖神となっているため、建比良鳥命は出てこない。

『日本書紀』崇神天皇六十年七月己酉条に、武日照命が天から納められた出雲大神の神宝が天皇に献上されたことをめぐって、出雲臣の遠祖・出雲振根と弟・飯入根と揉めたという記述がある。

十種神宝

十種神宝とくさのかんだからは物部氏伝来の秘法で死者をも蘇らせるといわれる。

鏡2種、剣1種、玉4種、比礼(スカーフのようなもの)に分類されるため、三種の神器の原型だとする説もある。

十種の神宝
  1. 沖津鏡
  2. 辺津鏡
  3. 八握剣
  4. 生玉
  5. 死返玉
  6. 足玉
  7. 道返玉
  8. 蛇比礼
  9. 蜂比礼
  10. 品物之比礼

参考資料

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