妖怪 鎌倉時代

玉藻稲荷神社

玉藻稲荷神社は九尾の狐伝説を伝える神社である。

安部泰成によって正体を暴かれた玉藻の前はこの地に逃げ込み、蝉に姿を変えて桜の木の陰に身を潜めていたのだが、鏡ヶ池に映った真の姿を見られ、討たれてしまった。

玉藻稲荷神社とは

由緒

ここは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊とを祭った由緒深い社である。
宝前の社殿改建記念碑と石の鳥居の柱にいわれなどが記してある。
建久四年(1193)源頼朝が那須狩猟のときこの社に参詣したという伝えがある。
また元禄二年四月十二日松尾芭蕉は、この篠原の地を訪れている。
『おくのほそ道』に
「ひとひ郊外に逍遥して、犬追物の跡を一見し那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ。」とある。
境内に芭蕉の句碑「秣おふ---」と源実朝の歌碑「武士の矢並みつくろふ---」がある。
また九尾の狐退治の伝承地としての「鏡が池」と「狐塚」の霊を移したという祠がある。
なお「狐塚」は、ここより北東の地の県道沿いにある。

源実朝の歌碑

武士もののふの 矢並つくろふ 手の上に 霰たばしる 那須の篠原

源実朝の紹介文
鎌倉第三代の征夷大将軍、右大臣源実朝は承久元年正月(1219年)拝賀の礼を鶴岡八幡宮に行い、帰途公暁に殺され、二十八歳にして劇的な死を遂げる。
後世の人々は、将軍右大臣実朝としてよりも、悲劇の歌人実朝として不朽の名を称える。
実朝は、十四歳のときより歌を詠み、萬葉集・古今集・新古今集を愛読した。特に萬葉集は重宝として愛読した。
また、中央歌壇の巨匠藤原定家に教えを受け、歌を愛す武士との結びつきも、不朽の業をなす基となった。
実朝の歌は各種の歌集にのせてあるが、『金槐和歌集』は実朝の歌集として名がある。

もののふの 矢並みつくろふ 手の上に 霰たばしる 那須の篠原

が入集している。
これは歌枕「那須の篠原」を詠んだ歌で、萬葉調でしかも実朝の歌境がよく表現されている。賀茂真淵も「人磨のよめらん勢ひなり」と称えている。

『金槐和歌集』の「金」は鎌倉の「金」偏を取ったもので、「槐」は槐門(大臣)の意で、「鎌倉右大臣の歌集」という意味。
人磨」は万葉集の代表的歌人柿本人麻呂のことである。

松尾芭蕉の句碑

まぐさ負う 人を枝折しおりの 夏野哉

鏡が池

三浦介義明が九尾の狐を追跡中姿を見失ってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見まわしたところ、池の面近くに延びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので、三浦介は難なく九尾の狐を狩ったと伝えられ、これが鏡が池と呼ばれるようになったという。

『玉藻社略縁起』(1808年成立)

里人等是を埋て狐塚と呼ぶ。その霊、化して一塊の石となる。
殺生石と号て今なを存せり。其後建久四年四月、源頼朝公那須の御狩の時、悉事跡を尋給ひ、狐冢の傍なる林中に祠を造立有て、玉藻社篠原稲荷大明神と祭り奉られけるに……

基本情報

神社情報

総本社伏見稲荷神社(京都府京都市伏見区)
ご祭神宇迦之御魂、玉藻の前の神霊
ご利益商売繁盛、五穀豊穣 他
参拝形式二拝二拍一拝

アクセス

住所〒324-0244 栃木県大田原市蜂巣709
電話番号0287-54-1110
アクセス(電車・バス)JR那須塩原駅から大田原市営バス「雲巌寺線・須賀川線」で約20分「篠原公民館前」下車徒歩約5分
アクセス(車)矢板ICから約40分または西那須野塩原ICから約30分
駐車可能台数5台
駐車料金無料

地図

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