中国 道教

碧霞元君

碧霞元君は正式名称を”天仙聖母碧霞元君”といって、泰山府君の娘であるといわれています。
”碧”は五行観念で東方を表す青色で、”霞”は朝焼けの色を指します。

・出身地:泰山(山頂)
・誕生日:4月18日
・別名:天仙娘娘、玉女大仙、天仙聖母碧霞元君

「元君」と「娘娘」

元君は道教において高位の女神の封号、もしくは称号であり、娘娘は一般的な女神を表しています。

出自

「泰山府君の娘」説

元より、碧霞元君は泰山府君(東嶽大帝)とともに泰山にいた玉女大仙でした。
そこで人々が元君の石像を造って玉女池のほとりに置くと、ある日突然石像がなくなっていました。
北宋の真宗が泰山にやって来ると、玉女池の泉が突然湧き出し、玉女の石像が現れました。
石像は大理石像に改められて廟に安置され、明代には碧霞霊応宮という額を賜りました。

「西崑真人の下で修行の末、得道した女仙」説

かつて黄帝が代岳観を建立した際、管理者として西崑真人を迎えるために7人の女仙を遣わせました。
そのうち、西崑真人の下で修業を重ね得道した女仙が現在の碧霞元君でした。

「石守道の子・玉葉」説

後漢の明帝の時代、石守道の子・玉葉は3歳で人倫を理解し、7歳で西王母に会いました。
そして山中で修行を重ね、天空山(泰山)の黄花洞に入って碧霞元君となりました。

山東省生まれの老奶奶

山東省に生まれた奶奶という女性が15歳の時に一人の神仙から道術を授かり、その道術で病人たちを救っていました。
それから泰山の黄花洞で金丹を作って服用し、碧霞元君となりました。

碧霞元君の役割

結婚・出産の女神

泰山府君は人の生死を司る神で、新しく生まれることも意味していました。
この信仰が碧霞元君の子授け・出産と結びつき、民間信仰として広まりました。

泰山の主は誰!?

ある日、玉皇大帝がすべての神仙を集めて集会を開き、泰山の主を決めることになりました。
議論の末、「最も早くから泰山にいた者を主とするべきだ」という事になりました。
仙人の柴王が「私が誰よりも早く松の木の下に木魚を埋めた」と名乗り出ました。
一方、碧霞元君も「刺繍の靴をその場所(松の木の下)に埋めた」と言いました。
実は、碧霞元君は柴王よりも後に泰山に来たのですが、柴王の木魚よりさらに深いところに靴を埋めていたので、「碧霞元君が泰山に一番乗りした者だった」ということが認められ、泰山の主となったのです。

仙狐試験の主催者

狐は、年に一度開催される仙狐になるための試験に合格することで仙道の修行を行うことができます。仙となるためには人間で500年、人間以外は1000年かかりますが、文章が上手いものは修行期間を300年短縮できるので、筆記試験で文章力を見るのです。
試験に合格したものは生員と呼ばれ、不合格となったものは野狐と呼ばれます。
この試験を主催しているのが碧霞元君です。

生員になった狐は人間に変身する術を学び、次に世界中の鳥の言葉を学びます。
鳥の言葉を習得して初めて人間の言葉を学ぶことができます。

碧霞元君を祀る場所

碧霞祠

1008年、北宋の真宗が玉女池で碧霞元君の像を発見したのがはじまりで、この女神を祀る廟は国家祭祀の対象となりました。
やがて明代に霊佑宮となり、碧霞元君が出産の神様として注目されるようになると信仰が高まり、元々の主であった泰山府君をも凌ぐ人気となりました。

正殿は碧霞元君銅像、その左右には眼光女神送子女神の銅像が祀られています。

碧霞元君廟

1572年、朱睦建が碧霞元君を祀る廟を建立し、昊天上帝像を祀りました。
1591年、碧霞元君像が聖母寝宮楼に安置されました。

参考資料

  •  篠田耕一「幻想世界の住人たち 3 中国編 」新紀元社、2011年
  • 「アジア城市(まち)案内」制作委員会「山東省008泰山 ~天地爻わる「至高の聖山」 まちごとチャイナ」2018年、まちごとパブリッシング
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やみみん

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