神仙 中国 道教

碧霞元君(泰山娘々/天仙娘々)―泰山府君の娘

碧霞元君は正式名称を天仙聖母碧霞元君といって、泰山府君(東岳大帝)の娘であるといわれている。
”碧”は五行観念で東方を表す青色で、”霞”は朝焼けの色を指す。
泰山信仰のなかでも特に人気があり、中国史上最も大きな影響力をもつ女神の一人とされている。
信仰心の薄い者にまで救いの手を差し伸べてくれる、優しい女神だとされている。

眼病の守護神眼光奶奶(眼晴娘娘)と、出産の守護神送子娘娘という二人の女神を従えている。
道教の経典『泰山聖母護世弘済妙経』に、その絵が描かれている。

名前碧霞元君
拼音bixiayuanjun
別名泰山娘娘・泰山玉女・泰山奶奶・泰山聖母・天仙聖母
信仰道教
誕生日農暦(旧暦)4月18日
ご利益商売繁盛・子宝祈願・夫婦円満・病気治癒

「元君」と「娘娘」

元君は道教において高位の女神の封号、もしくは称号であり、娘娘は一般的な女神を表している。

宋代までは東岳大帝が泰山の主神として信仰されていたが、明代(1368~1644)以降になると碧霞元君という女性神が信仰されるようになった。
東岳大帝への信仰は薄れていった。

基本情報

来歴

「東岳大帝の侍女」説

元々、碧霞元君は東岳大帝とともに泰山にいた玉女という名の侍女だった。
そこで人々が元君の石像を造って玉女池のほとりに置くと、ある日突然石像がなくなっていた。
北宋の大中祥符元年(1008)、皇帝真宗が封禅のために泰山に登ったところ、玉女池の泉が突然湧き出し、玉女の石像が浮かび出た。
ところが、石像は傷ついていたので、真宗は石像を作り直させた。
そして、玉女を東嶽大帝の娘とし、天仙玉女碧霞元君として封じたという。
明代には碧霞霊応宮という額を賜った。

『宋史紀事本末』に記録されており、碧霞元君が世に知られるきっかけとなった出来事である。

「黄帝が遣わした仙女の一人」説

かつて黄帝が代岳観を建立した際、管理者として西崑真人を迎えるために七人の女仙を遣わした。
そのうち、西崑真人の下で修行を重ね徳を積んだ女仙が現在の碧霞元君だった。(『瑶池記』)

「修行して仙女になった娘」説

後漢の明帝(在位57-75)の時代、中元七年甲子、4月18日子時に石守道の妻金氏が女子を出産した。名を玉葉という。玉葉は三歳で人の道を理解し、七歳のとき西王母に出逢った。
その後、十四歳で入山を欲し、天空山の黄花洞(泰山の後石屋)で修行を重ね、三年後に仙人となって泰山に住んだ。

「金丹を飲んで仙人になった」説

山東省に生まれた奶奶という女性が15歳の時に一人の神仙から道術を授かり、その道術で病人たちを救った。
それから泰山の黄花洞で金丹を作って服用し、碧霞元君となった。

碧霞元君信仰

碧霞元君の名が初めて文献上に現れたのは、『泰安志』巻六「重複玉女祠記」の「天順五年(1461)、許彬が泰山に登ったとき、泰山天仙玉女碧霞元君という神を見た」という記述である。

成化十五年(1479)、明朝によって碧霞元君を祀る廟の大規模な修復が行われた。

成化十九年(1483)、明朝は碧霞元君を祀る廟である昭真観へ「碧霞霊応宮」という名を与えた。

弘治十六年(1503)には弘治帝が碧霞元君に病気平癒を祈願させている。

その後は各地に碧霞元君廟が建てられた。

清朝初期は戦乱によって一時期衰退したが、順治帝の時代に入ると碧霞元君の廟の改修に取り掛かった。
乾隆帝は碧霞元君廟を参拝し、泰山巡礼は再び盛んになった。

香税

明清時代、巡礼者の増加に伴い、泰山では巡礼者から参拝料として香税(入山香税)を徴収していた。

泰山巡礼

泰山巡礼は碧霞元君に対する巡礼であり、華北を代表する巡礼とされている。

碧霞元君と炳霊公

炳霊公(炳霊帝君/泰山三郎)は碧霞元君の兄(弟)で、東岳大帝の第三子である。
誕生日は、5月12日、6月23日、7月18日の三つの説がある。『鑄鼎餘聞』巻一では、5月12日が炳霊公の誕生日とされている。
太中祥府元年に炳霊公に封じられた。(『宋史』)

「炳」という字が火と関係していることから、江南地域では一般的に火神として信仰されていた。雷神として扱われることもある。
宋代以降、炳霊公は主に笛を好み、冥界の審判者で、美青年の容貌として表現されるようになった。

出世を司ると信じられている。

一人の童子が、段承根の父段暉とともに欧陽湯のもとで学んでいた。二年後、童子は別れの挨拶をして帰ることになり、段暉に馬を請うた。段暉は木馬を作り、童子に与えた。童子は非常に喜び、謝して段暉に「私は泰山府君の子です。勅を奉って遊学し、今まさに帰りたいと思います。親切にしてくださいましたが、恩に報いることができません。後の位を常伯に至らせ、侯に封じましょう。これは恩に報いたのではなく、私に善くしてくれたからです」と言い終えると、大きな馬に乗って空に飛び去っていった。(『魏書』「段承根伝」)

かつて、慮瑩は「泰山三郎を見た者は官僚になれる」と聞いたことがある。そこで、瑩は草むらの中に伏して錦の袍を着た少年を目撃した。少年は、大勢の従者を引き連れていた。瑩は草むらを出て少年を拝して「官分と銭五百千をください」と頼んだ。瑩は家に帰った後、銭を獲得した。これはそれぞれの身分によって定められており、むやみに得ることはできない。(『古今類事』「慮瑩無官」)

神話伝説

泰山の主になるまで

ある日、玉皇大帝がすべての神仙を集めて集会を開き、泰山の主を決めることになった。
議論の末、「最も早くから泰山にいた者を主とするべきだ」という事になった。
仙人の柴王が「私が誰よりも早く松の木の下に木魚を埋めた」と名乗り出た。
一方、碧霞元君も「刺繍の靴をその場所(松の木の下)に埋めた」と言った。
実は、碧霞元君は柴王よりも後に泰山に来ていたのだが、柴王の木魚よりさらに深いところに靴を埋めていたので、「碧霞元君が泰山に一番乗りした者だった」ということが認められ、泰山の主となった。

『捜神記』より「泰山神の娘」

ある晩、周の文王は美しい女の夢を見た。

女が道に立ちふさがって泣いていたので、文王は理由を聞いた。

「私は泰山神の娘です。
東海神のもとに嫁いで里帰りをしようと思ったのですが、灌壇令様が暴風雨を起こして私の旅を邪魔するのです。
暴風雨が吹き荒れれば、灌壇令様の人徳を傷つけることになってしまうのです」

文王が夢から覚めると、太公望を召して昨晩暴風雨があったか尋ねた。
太公望は、確かに昨晩暴風雨が彼の町を通り過ぎたと答えた。
文王は太公望を大司馬に任じた。

役割

結婚・出産の女神

泰山府君は人の生死を司る神で、新しく生まれることも意味していた。
この信仰が碧霞元君の子授け・出産と結びつき、民間信仰として広まった。

碧霞元君には出産から子育てを支える六人の仙女がいた。
培始娘娘玄毓穏形元君(胎児の健康を守る)・催生娘娘順度保幼元君(出産を促進する)・送生娘娘錫慶保産元君(分娩を助ける)・斑疹娘娘保和慈幼元君(赤子を慈しむ)・引蒙娘娘道引導幼元君(子を導く)・乳飲娘娘哺食養幼元君(乳を飲ませて食物を与える)である。

碧霞元君と狐仙

清代になると、碧霞元君(泰山娘娘)は狐仙を従えていたという説話が登場する。

『醒世姻縁伝』によると、雍山の洞窟の中にいる狐姫は、一千年の修行によって神通力を得て、泰山元君の部下の中で四、五番目に名声があったという。
また、泰山聖母には仙狐が仕えている。

雍州は開元元年(713)に京兆府に昇格した。

袁枚の『子不語』巻一「狐生員勧人修仙」では、「泰山娘娘」が狐を生員にするための試験を主催している。
泰山娘娘は狐を管理する役職に就いており、狐を仙狐に登用するための試験を主催する。
年に一度開催される仙狐になるための試験に合格することで仙道の修行を行うことができるため、大勢の狐が試験を受けに来る。
文理に精通しているかどうかで合否が決まり、試験に合格したものは生員と呼ばれ、不合格となったものは野狐と呼ばれる。
生員になった狐は最初に人間に変身する術を学び、次に四海九州の鳥の言葉を学ぶ。
それらを皆習得して、初めて人間の言葉を学ぶことができ、人の形をとれるようになる。
仙狐となるためには人間で五百年、人間以外は千年かかるが、文章が上手いものは修行期間を三百年短縮できる。

また、同書『陳聖濤遇狐』で陳聖濤と夫婦になった狐仙の女は、毎月一日と七日に泰山へ行き、泰山娘娘に仕えるのだという。

紀昀の『閲微草堂筆記』巻十七「姑妄聴之三」では、碧霞元君に仕える女官となった女狐が登場する。

碧霞元君を祀る場所

碧霞祠

1008年、北宋の真宗が封禅のために赴いた玉女池で碧霞元君の像を発見したのがはじまりで、この女神を祀る廟は国家祭祀の対象となった。
やがて明代に霊佑宮となり、碧霞元君が出産の神様として注目されるようになると信仰が高まり、元々の主であった泰山府君をも凌ぐ人気となった。

正殿は碧霞元君銅像、その左右には眼光女神送子女神の銅像が祀られている。

碧霞元君廟

1572年、朱睦建が碧霞元君を祀る廟を建立し、昊天上帝像を祀った。
1591年、碧霞元君像が聖母寝宮楼に安置された。

参考資料

  • 干 宝(著), 竹田 晃 (翻訳) 「捜神記 (東洋文庫0010)」平凡社、1964年
  • 篠田耕一「幻想世界の住人たち 3 中国編 」新紀元社、2011年
  • 「アジア城市(まち)案内」制作委員会「山東省008泰山 ~天地爻わる「至高の聖山」 まちごとチャイナ」2018年、まちごとパブリッシング
  • E. シャヴァンヌ (著)、 菊地 章太 (翻訳)「泰山: 中国人の信仰」平凡社、2019年

晴碧花園 - にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 偉人・歴史上の人物へにほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

安倍晴明を大河ドラマに
安倍晴明関係の年表
安倍晴明関係の説話一覧
安倍晴明ゆかりの地
陰陽師たちの活動記録
Twitterをフォローする
平安時代について知る
TOPページに戻る
購読する
follow us in feedly rss
SNSで共有する