泰山は中国・山東省にある山である。
中国の五岳(東岳泰山・西岳華山・南岳衡山・北岳恒山・中岳嵩山)の一つで、五岳の中で最も有名である。
五岳の中で泰山が最も重要視されたのは、泰山が五岳で最も東にある山だからである。東方は日の昇る方角であり、五行では木にあたり、四季では春にあたる。それゆえ、万物が生じる方角だと考えられていた。
五岳の神々は最高位の臣下を意味する三公に位置づけられた。(『史記』)
また、泰山は中国東部では最も高い山で、天に最も近い山と考えられていたことから、人々の願いを天帝に届けてくれる神と信仰されていた。
『醒世姻縁伝』によると、泰山の頂上からは中国全土や竜宮、仙宮などを実際に目にすることができるという。
泰山には多くの神々がいるとされている。
主神は東岳大帝(泰山府君)で、皇帝と天地の架け橋となる神だった。
東岳大帝は人間の寿命を司る神である。
泰山とは
前漢の讖緯(予言)の一つである遁甲の『開山図』には、「亢夫は生を司り、泰山は死を司る」とある。
仏教において泰山の地下には地獄があり、死者の魂は泰山に集まると信仰されていた。
唐の『募異記』では死者の名簿を管理する役人が登場する。その役人曰く、泰山が人の魂を喚ぶときは、死者の名簿を華山に送る。また、泰山も上帝(玉皇上帝=天帝?)の命令には逆らえないという。
泰山封禅
封禅とは、国家の完成を天地の神々に報告し、感謝するための儀式である。
儀式は「封」と「禅」に分けられ、天を祀る「封」は頂上の登封壇と山麓の封祀壇で行われ、地を祀る「禅」は降禅壇にて行われた。
儀式の際、皇帝は天下泰平・国家安泰を祈願した。
封禅が終わると、皇帝は朝観壇で百官を応接する。

泰山封禅をした皇帝たち
紀元前219年、秦の始皇帝は泰山に登り山頂で天の神を、麓で地の神をそれぞれ祀った。
元封元年(前110)、前漢の武帝のもと泰山を祀る封禅が行われた。
その後も、武帝は元封五年(前106)、太初三年(前102)、天漢三年(前98)、太始四年(前93)にも封禅を行ったという。
中元元年(56)、後漢の光武帝によって封禅が行われ、乾宝元年(666)にも唐の高宗によって封禅が行われた。
開元十三年(725)、泰山は玄宗によって天斉王に封じられ、大中祥符元年(1008)に北宋の真宗によって天斉仁聖王とされ、三年後には天斉仁聖帝と改めた。
その後も至元二十八年(1291)に天斉大生仁聖帝となったが、洪武三年(1370)に明の太祖は「神々への敬意を表すために人間の言葉である称号を用いても役に立たない」として称号の乱発を止めた。
「封」の祭祀
泰山の頂上にある登封壇と、麓の封祀壇で行われる。
「禅」の祭祀
降禅壇という八角形の壇で行われる。
泰山の名所
玉皇頂
泰山で一番高い場所にある。成化年間に再建された。本殿に玉皇大帝が祀られている。秦の始皇帝あるいは漢の武帝が泰山封禅に登ったときに立てたとされる無字碑がある。
黒竜潭
東海龍宮に通じていると伝えられている。
後石塢
泰山北天空山の麓にある、絶壁に取り囲まれた険しい幽谷。日観峰から見られる。
碧霞元君はここで昇仙した。姉妹松・臥虎松・燭炎松などの有名な松がある。
地名 | 説明 |
三尖峰 | |
西神霄峰 | |
君子峰 | |
西天門 | |
上桃峪 | |
秦観峰 | |
月観峰 | |
南天門 | |
御座 | 南天門を抜けた者はここで休憩する。 |
周観峰 | |
鳳凰山 | |
囲屏峰 | |
呉観峰 | 『論衡』によると、孔子が顔淵を連れて泰山に登ったとき、山頂から呉の都の門が見えたという。 |
虎頭峰 | |
老鴉峰 | |
丈人峰 | 泰山は人々にとって丈人(義父)であり、ほかの山は娘婿と考えられていたことに由来する。 |
天柱峰 | 泰山で最も高い峰。玉皇を祀る廟がある。 |
無字碑 | |
養雲亭 | 別名・迎旭亭。朝日の光と湧き上がる雲を観る。 |
乾坤亭 | 康煕二十三年(1684)、康煕帝が泰山に登った際に建立された。 当時は挟仙宮があり、康煕帝が「普照乾坤」という扁額を下賜したことに由来する。 |
探海石 | |
観海亭 | |
日観峰 | 大中祥符元年(1008)、北宋の真宗がここで封の祭祀を行った。 どこよりも壮麗な日の出を観られる。 |
東天門 | |
東神霄山 | |
愛身崖 | 泰山山頂の東端にある崖。ここから飛び降りて命を絶つ者が多かったことから、捨身崖と呼ばれた。 明の何起鳴が崖の上まで行けないように壁を築き、愛身崖と呼ばれた。 |
仙人橋 | 三つの岩を置いて橋の代わりとしている。 |
独秀峰 | |
孔子廟 | 万暦年間(1573~1620)に建てられた。 孔子たちの彫像が置いてある。 |
望呉跡 | 乾隆二十二年(1757)、李樹徳によって孔子廟の前に建てられた。 |
北斗台 | 万暦年間(1573~1620)に建てられた。孔子廟と碧霞祠の間にある。 泰山と北斗七星を象徴する二本の石柱があり、輔弼星と呼ばれている。 |
寝宮 | 碧霞宮の奥にある。碧霞元君は普段寝所にいるが、雨が降ると湿気で衣が傷むので卓に就く。 |
青帝宮 | 東方を司る神・青帝を祀っている。 |
碧霞宮 | 泰山の山頂にあり、多くの参拝者が訪れる。 洪武年間(1368~1398)に改修され、霊応宮と改称した。 嘉靖年間(1522~1566)には碧霞霊佑宮と改称した。 |
更衣亭 | 皇帝が封の祭祀を行う際、ここで着替えた。 |
東岳廟 | 東岳大帝を祀る廟。碧霞祠と比べて寂れている。 |
摩崖碑 | 開元十四年(726)、玄宗が封禅を記念して立てた。 |
桃花洞 | 摩崖碑の西にある。 |
升仙坊 | |
寿星亭 | |
龍門坊 | |
翔鳳嶺 | |
飛龍石 | |
白雲洞 | 雲が湧き上がって大きくなり、雨を降らせるという。 |
対松山 | |
蓮花峰 | 蓮の花が開くように、五つの峰があることから。 |
夢仙廟 | |
獅子峰 | 獅子のような形をしていることから。 |
朝陽洞 | |
万丈碑 | 官を捨てた隠者の名が由来。 |
元君殿 | 碧霞元君を祀っている。 |
五松樹 | 『史記』によると、二十八年(前219)に雷雨に襲われた始皇帝が松の木に宿ったことを称えて、五大夫に封じたという。 |
飛来石 | |
御帳坪 | 大中祥符元年(1008)、真宗が泰山に登ったときに雨風から身を守る建物が造られた。 |
臥馬峰 | 馬が臥しているような形であることから。 |
九女砦 | 赤眉の乱を逃れた九人の女が籠もった。 |
廻雁嶺 | |
黄西河 | |
快活三里 | |
傲来峰 | |
扇子崖 | |
仙人掌 | |
黄峴嶺 | 黄色い岩肌をしている。 |
増福廟 | 増福神を祀る廟。 |
二天門 | 一天門と南天門の間にある。 |
二虎廟 | 廟の裏側に、臥した虎の形をしている岩がある。 |
霊官廟 | |
三大士 | 三大士=文殊菩薩・観音菩薩・普賢菩薩。 |
薬王殿 | 旧名・金星亭。 |
廻馬嶺 | 馬はここから上に登れず、引き返すことから。 |
玉皇廟 | |
壺天閣 | 乾隆十二年(1747)建立。 |
歇馬崖 | |
水簾洞 | 水が簾のように注ぐことから。 |
石経峪 | 武平年間(570~576)に金剛般若経が刻まれた。 |
試剣石 | |
龍泉峰 | |
摩天峰 | |
鵓鴿崖 | |
三官廟 | 三官=天官・地官・水官。かつて始皇帝を祀っていた。 |
雲頭埠 | |
高老橋 | 黄老道の信者高某によって築かれた。 |
斗母宮 | 北斗七星の神・斗母と侍女二人の像がある。 |
万仙楼 | 万暦四十八年(1620)建立。二階では碧霞元君と侍女二人が祀られている。 |
白騾塚 | 開元十四年(726)、玄宗の封禅の際に献上された白い騾馬が由来である。 |
観音閣 | 旧名・飛雲閣。 |
紅門宮 | 天啓六年(1626)建立。泰山中腹の碧霞元君廟。 |
合雲亭 | 雍正三年(1725)建立。 |
弥勒院 | 皇帝に付き従う高官が着替える場所。 |
孔子登臨処 | 孔子がこの場所から魯を臨み、小さきものと語った。 |
一天門 | 康煕五十六年(1717)再建。 |
関帝廟 | 関羽を関帝として祀る廟。 |
老君堂 | 老子・仏陀・孔子の三尊を祀っている。 |
薬王廟 | |
王母池 | 西王母が由来。 |
呂祖楼 | 嘉慶二年(1797)建立。 |
虬在湾 | |
小蓬莱 | 蓬莱山が由来。 |
呂祖洞 | かつて呂祖が住んでいた。 |
虬仙洞 | |
東眼光殿 | 碧霞元君の侍女眼睛娘娘を祀っていた。 |
廻龍峪 | |
四陽庵 | |
大王廟 | 南宋の理宗の皇后一族の一人である謝緒を祀っている。 |
白鶴泉 | かつて白鶴がここで遊んでいた。 |
玉皇閣 | 万暦年間(1573~1620)建立。玉皇大帝を祀っている。 |
北斗殿 | |
行宮 | 乾隆三十五年(1770)、乾隆帝の行在所(旅先の宿所)となった。 |
升元殿 | 東華帝君(東岳福神)を祀っている。 |
三皇廟 | 伏義・神農・黄帝を祀っている。 |
岱宗坊 | 隆慶年間(1567~1572)建立。 |
元帝廟 | 別名・北極廟。 |
観音堂 | 別名・白衣堂 |
将軍石 | |
霊官廟 | |
青雲庵 | 永暦五年(1651)建立。 |
文昌閣 | |
銅器街 | |
白衣閣 | 白衣=観音菩薩の衣。 |
環水橋 | |
青龍橋 | |
先農壇 | |
九衢 | |
宋封祀壇 | 大中祥符元年(1008)、封の祭祀に用いた壇。 |
太陰碑 | 大中祥符元年(1008)の碑文が刻まれている。 |
演武庁 | 軍事訓練の監督のために使用された。 |
感恩亭 | |
火神廟 | 乾隆十九年(1754)建立。毎年6月13日に火の神を祀っている。 |
準堤庵 | |
白虎橋 | |
迎旭観 | 康煕四十二年(1703)建立。 |
霊派侯廟 | |
五哥廟 | |
金星廟 | |
真君廟 | 康煕六十一年(1722)建立。 |
霊応宮 | 万暦三十九年(1611)建立。山麓の碧霞元君廟。 |
岱嶽禅院 | 万暦九年(1581)の石碑がある。 |
森羅殿 | 地獄の法廷七十五司と三曹の像があり、東側に日直司と年直司、西側に月直司と時直司を祀っている。 |
十王殿 | 豊都大帝と地獄の十王の像が祀られている。 |
社首山 | 唐の高宗・玄宗、北宋の真宗がここで禅の祭祀を行った。 |
文峰塔 | |
汶陽橋 | |
天書観 | 大中祥符元年(1008)の一月と六月に天書の降下があった。ここは二度目の天書が降った場所である。 碧霞元君廟などがある。 |
醴泉 | 心を清めて跪けば水が出てくるが、粗末に扱うと水は出ない。神が水を汲む人を試していると考えられていた。(『捜神記』)不死の霊薬として知られていたが、枯れてしまった。 |
泰山書院 | 乾隆二十九年(1764)建立。 |
玄帝廟 | 北方を司る神・玄武を祀っている。 |
社稷壇 | 毎年二月と八月、社(土地神)と稷(穀物神)を祀った。 |
娘娘廟 | 碧霞元君と眼晴娘娘、送子娘娘を祀っている。 |
普慈寺 | |
厲壇 | 毎年四月四日または五日、七月十五日、十月一日に悪鬼と化した霊魂を鎮める祭祀が行われた。 |
梳粧院 | 泰山に登る前に、碧霞元君はここで化粧をする。 |
清虚観 | |
迎仙橋 | |
広生泉 | 広生帝君(青帝)の泉。 |
西眼光殿 | 眼病に効く泉がある。 |
普照寺 | 唐代に建立。 |
投書潤 | |
五賢祠 | |
講書堂 | 別名・泰山上書院。 |
授経台 | |
三陽庵 | 嘉靖三十年(1551)に明の道士王三陽が隠棲した。 |
淩漢峰 | |
白楊坊 | |
元始廟 | 元始天尊を祀っている。 |
鶏籠峰 | |
百丈崖 | |
白龍池 | 元豊五年(1082)、北宋の神宗は白龍に淵済公の称号を賜った。 |
遥参亭 | 弘治十七年(1504)以降、碧霞元君を祀った。 |
簫公祠 | 万暦年間(1573~1620)、兵部侍郎簫大亭を祀った。 |
和聖祠 | 春秋時代の柳下恵の像がある。 |
張仙廟 | |
龍王廟 | 乾隆三十年(1765)建立。 |
劉将軍廟 | 元の劉承忠を祀っている。 |
城隍廟 | 乾隆二十四年(1759)建立。城隍神は町の守護神。地獄の法廷が作られた。 |
普済堂 | |
奎星楼 | |
岱麓書院 | 乾隆五十七年(1792)建立。 |
資福寺 |
泰山と地獄
泰山の麓にある蒿里山は冥界に繋がっていると信じられていた。
死後に泰山へ召された人々
南宋の洪邁は『夷堅志』において「孫黙・石倪・徐階や優れた役人である王太守は、泰山に召されたそうだ」と述べている。
参考資料
- E. シャヴァンヌ (著)、 菊地 章太 (翻訳)「泰山: 中国人の信仰」平凡社、2019年