承久の乱

鎌倉時代

慈光寺本『承久記』現代語訳(後編)

2021/5/8    

『承久記』下 押松の復命 後鳥羽院をはじめ大臣・公卿・大納言・中納言・参議・諸人が集まり、「押松が義時の首を持って参上する、ご覧に入れよ」と言って、人々は賑わった。 さて、押松は前庭で顔を下に伏してし ...

鎌倉時代

慈光寺本『承久記』現代語訳(前編)

2021/5/4    

『承久記』上 仏教の話〜日本の天皇の話 人の世に、衆生のためになろうとして仏が現れるのは、始まりも終わりもなく、限りがない。特に申すならば、過去に千の仏、現在に千の仏、未来に千の仏、三世に三千の仏が世 ...

no image

鎌倉時代

【承久の乱】戦いの結果〜上皇、公家たちのその後〜

2021/3/26    

承久三年(1221)7月1日、乱の首謀者で公卿以下の人々を処刑せよとの宣下があった。北条泰時は、速やかに彼らを連行して関東に下向するよう命じた。 死罪 乱の首謀者で公卿以上の身分の者は皆、洛中で死罪す ...

鎌倉時代

【承久の乱】宇治川の戦い

2021/3/27    

概要 承久三年(1221)6月13日、北条時房らは野路よりそれぞれの道に分かれた。北条泰時は栗子山(京都府宇治市の東南部の丘陵)に陣を構えた。足利義氏・三浦泰村は泰時には報告せず、宇治橋の辺りに向かい ...

鎌倉時代

【承久の乱】将軍実朝の暗殺

2021/7/22    

実朝暗殺 実朝暗殺の予兆 建保七年(1219)正月二十七日、源実朝が右大臣の拝賀のために鶴岡八幡宮に参拝した。 出発する時になって、前大膳大夫入道(覚阿、大江広元)が異変を感じてこう言った。「私は成人 ...

鎌倉時代

【承久の乱】北条政子の大演説〜山よりも高く海よりも深い鎌倉殿のご恩〜

2021/4/4    

背景 承久三年(1221)5月15日午の刻(正午頃)、伊賀光季が誅殺され、藤原光親に勅して北条義時追討の宣旨が五畿七道に下された。さらに5月16日寅の刻(午前4時頃)、義時追討の宣旨を託された押松(藤 ...

© 2021 源氏画報 Powered by AFFINGER5