説話

曽我物語 仮名本 現代語訳 巻第二 十八 泰山府君のこと

あらすじ

昔、大国に大王がいた。
大王は楼閣に住みたいと思って、明けても暮れても宮殿を造った。
楼閣の内部にも、しょうこう殿という高さ二十丈の高台を建て、柱には赤銅、桁と梁には金銀を用いた。
軒には珠玉や瓔珞ようらくを下げ、壁には青蓮の華蔓けまんを付け、天井から瑠璃の天蓋を下げ、四方に瑪瑙めのうの幡を吊り下げ、庭には珊瑚や琥珀が溢れんばかりに敷かれている。
吹く風、降る雨をたよりに沈麝じんじゃの香りが漂う。

山を築いては亭を構え、池を掘っては船を浮かべ、水辺で戯れる鴛鴦えんおうの声が聞こえ、まるで浄土の荘厳のようだ。
人々はこぞって楼閣を取り囲んだ。
仏や菩薩の影向でさえ、これには及ばないだろう。
そうして大王は玉楼金殿にいて、いつも遊覧していた。

ある時、大講堂の柱にイタチと鼠がやって来て、七日間鳴き騒いだ。
大王は怪しく思って、博士を召して占わせた。
博士が大王に奏聞して「この柱のうちに七尺の人形があり、大王の姿を隅々まで似せて、調伏の壇を設置して幣帛へいはくと供具を供えているので、これを割ってみてください。
東夷七百人がおりますので、亡ぼすべきです」と言った。

大王はすぐに上人にこのことを伝えて、優れた聖者を集めて、その柱を割って見ると、博士の言ったとおりだったので、恐ろしいなどと言っても余りあるほどだった。

やがて壇を破り、勘文に任せて色々な人々を集め、その中から怪しい者を召し寄せ拷問すると、悉く白状した。

こうして大王は七百人の敵を悉く召し捕え、その内の三百人を斬首した。
残りの四百人も斬ろうとしたその時、空が真っ暗になり夜と昼の区別もなくなって、光を失った。
人々は道端に倒れ伏した。

大王は驚いて、「我には、彼らの首を斬ることに対して私心は少しもない。
身分が下の者が上の者を嘲り下剋上しようとするのを戒め、後世のためを思ってのことだ。
もしまた我に私心があれば、天上の神々は我を諌めるだろう。天の意志を測ろう」
と言って、三十七日間断食して高床にのぼり、足の指を爪立てて、

「もし我に私心があるならば、我が命はここで消えるだろう。
だが、もし我に誤りがなければ、諸天憐れみたまえ」
と祈誓して、仁王経を書いた。

三十七日目の満願のとき、北斗七星が突然天上から降ってきた。
しばらくして、日・月・星宿が光を放った。

大王は「これは、我が政事に邪なところはなかったということだ」と思って、残りの四百人も斬首した。

再び博士が参内して、大王に奏聞した。
「大敵は滅びて、貴方様の御代は長く久しくなることに間違いありません。
しかし、調伏の大行の効験はまだ残っております。恐ろしいことです。
ですから、天から降ってきた北斗七星を祀り、しょうこう殿に宝物を積んで、一時に焼き捨てて災難の兆候を止めてください」

大王は博士の意見を聞き入れて、すぐに曜宿を操り、諸天を祀って、かの殿を焼き捨てた。

そうして、今の世にもイタチと鼠が鳴き騒ぐのを鎮めて水を注ぐまじないがあるのだが、それはこの儀式がはじまりである。

こうして七百人の敵は亡び、北斗七星が眼前に降ってきて光を放っているのは、七難即滅、七福即生の明文のとおりであった。
これが、今の泰山府君祭である。

大王はかの殿を焼き、政治を行って、位は長生殿に栄え、春秋を忘れて不老門に日月の影が静かに巡り、風に吹かれても枝は折れず、雨に降られても塊は動かず、末永く栄えたそうだ。めでたい例えである。

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