鎌倉時代

北条氏の執権政治

『執権』とは、鎌倉時代に北条氏が就いていた鎌倉幕府の役職である。
鎌倉時代中期以降、執権は二人体制となり、二番目の執権は連署と呼ばれた。

北条氏とは

史料によって異なる系譜

桓武平氏の平直方を始祖とする点は同じだが、各人の系譜にはさまざまな説がある。
『源平闘諍録』では桓武平氏を始祖としているものの、直方の子孫ですらなくなってしまい、いまだに定説がない。

伊豆国を拠点とした豪族

北条氏は、北条時政の祖父北条時方の代から拠点としていた伊豆国田方たがた郡北条から「北条」をとって名字として名乗っていた。

北条氏の勢力

北条氏の拠点は伊豆国府の周辺にあったこと、「介(国の次官で、都道府県の副知事のようなもの)」と呼ばれた祖先がいること、京都の政界と独自の繋がりを持っていたらしいこと、京都方面との流通に力があったらしいことから、伊豆国内では有力な武士団のひとつであったと考えられる。

北条氏を有力な豪族とする根拠
  1. 本拠地が伊豆国府の近くにあった
  2. 「介(国の次官)」と呼ばれた偉い祖先がいること
  3. 朝廷と独自の繋がりを持っていた(らしい)こと
  4. 京都との流通に力があった(らしい)こと

『得宗』という家系

北条時政から北条高時に至るまでの北条九代は得宗とくそうと呼ばれている。

得宗は「徳宗」「徳崇」とも記されるが、「得宗」「徳宗」が「徳崇」を簡略化した字だとすると、法名と結びつく。

執権政治の成立時期

『吾妻鏡』で「執権(政治の実権を握る者)」という言葉は使われているが、「執権」という地位がこのときからあったわけではない。
執権政治が始まった時期は、北条氏の権力が大きくなったそれぞれの時期を成立期と考えられる。

治承四年(1180)の頼朝挙兵当時から北条時政が執権の地位にあるという考え方は、北条氏をはじめから強大な豪族とし、幕府最大の実力者とする誤った考えである。

①北条時政が政所別当になったとき

建仁三年(1203)10月、比企氏を滅ぼして源頼家を幽閉した北条時政が源実朝を擁立し、自ら政所別当となったときである。

『吾妻鏡』でも、この日の記事から時政が”執権”と呼ばれている。

将軍家のものだった武蔵国を支配

相模国・武蔵国の両国は源頼朝の代から将軍家の永代知行国となっており、幕府の政所が支配していた。
政所別当(=執権)として政権を掌握した時政は、武蔵国まで支配領域を拡大しようとした。
武蔵守平賀朝雅には牧の方の娘を嫁がせ、武蔵国の有力御家人だった畠山重忠も時政の先妻の娘婿になっていた。
さらに時政は重忠に謀反の罪を着せ、義時・時房兄弟の反対を押し切ってこれを誅殺した。
こうして、武蔵国の勢力は一掃され、北条氏の支配下に置かれることとなった。

②北条義時が政所別当になったとき

元久二年(1205)閏7月20日、父時政を追放した北条義時が執権に就任した。
政所別当には就任していなかったが、官位は従五位下相模守とほかの御家人たちとは一線を画していたことから、幕府の最高権力者だったことは確かなのだろう。

義時が政所別当に就任するのは承元三年(1209)7月から12月の間だと考えられている。

『吾妻鏡』では「義時が『執権』を奉った」と記している。

③和田合戦に勝利したとき

建保元年(1213)5月、義時が和田合戦に勝利して幕府内での地位を確立したときである。

千葉常胤が差し出した法師が伝えた陰謀に和田義盛の子義直・義重と甥の胤長が加担していたので、義時は和田氏を挑発した。
義盛を討ち取ったことによって、義時は義盛が保有していた侍所別当の地位をそのまま引き継ぎ、ますます幕府の中での権力を確固たるものにした。

④藤原氏摂関家から将軍を迎えたとき

承久元年(1219)、藤原氏摂関家から将軍を迎えたときである。

それぞれの執権政治

北条泰時の執権政治

元仁元年(1224)、父義時が没したことにより北条泰時が執権に、連署として叔父時房が就任する。

評定衆の設置

泰時は幕府運営を有力御家人や吏僚による合議制で進めることにした。

御成敗式目の制定

貞永元年(1232)7月10日、御成敗式目がまとめられ、8月10日から施行された。
これは51ヵ条から成り、武家社会の道理や源頼朝以来の先例を基準として制定された法典で、最初の武家の手本となるものになった。

北条氏はなぜ『将軍』になれなかったのか

『貴種性』がなかった

北条氏の家柄の低さによるものとする説。
将軍になるには、源家三代やその縁者にあたる摂家将軍、天皇家出身の親王将軍などの生来保有する門地(=貴種性)が必要だった。

そのため、北条氏は頼朝の妻政子の権威を利用しつつ幕府の吏僚の代表である大江広元と手を結び、政務代行者(執権)として幕府の実権を握るしかなかったのだ。

参考資料

  • 石井 進「日本の歴史 (7) 鎌倉幕府」中央公論新社、2004年
  • 歴史読本編集部「増補改訂版 日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本」KADOKAWA、2014年
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