摂政
天皇の代わりに政務を執り行う。
摂政の「摂」は「摂行」の意味。
応神天皇の時代、幼い天皇の代わりに母親の神功皇后が政務を行ったのがはじまりである。
当初は皇后や皇太子が摂政していたが、清和天皇の代に外祖父の藤原良房が摂政した、臣下による摂政が行われるようになった。
そして、摂政は職名となり藤原氏一門による摂政がはじまった。
関白
天皇を補佐して政務を行う。
『漢書』宣帝紀に「諸事皆先ず光に関わり白し然る後に天子に奏御す」とあり「関わり白す」という字が関白という職名になった。
元慶8年(884)6月5日、光孝天皇が太政大臣藤原基経に勅語を下したのがはじまりである。(『三代実録』)
今日より官庁に坐て就て万政を領べ行い、入りては朕の躬を輔け、出ては百官を総ぶべし。
『三代実録』より
奏すべきの事、下すべきの事、必ず先ず諮稟せよ。
朕まさに垂拱して成るを仰ぐべしと宣る御命を衆聞し給えと宣る。
五摂家
当初は関白もまた藤原氏が代々受け継いできたが、鎌倉時代以降は藤原氏の子孫たちが五つの家に分かれて交替で務めたので、五摂家と呼ばれた。
- 近衛家
- 鷹司家
- 九条家
- 一条家
- 二条家
復辟
天皇が成人すると職名が摂政から関白に変わるが、このとき一度摂政を辞めることになる。
これを復辟という。「復」は政を天皇に返すという意味。
摂政と関白のちがい
ポイント
★摂政 天皇(子供)の代わりに政務を行う
★関白 天皇(大人)の代わりに政務を行う
北政所
摂政・関白の妻は北の政所と呼ばれた。
また、摂政・関白の母は大北の政所(大政所)と呼ばれた。
参考資料
- 和田 英松 「新訂 官職要解」講談社、1983年