資料室

安倍晴明の出生地(生誕地)について考える

いろいろな説

「大阪府」説

大阪府の晴明神社に「安倍晴明生誕伝承地」がある。

信田明神の狐

『人国記』巻上「和泉国」によると、信田明神には野狐が多く、よく人間を誑かしていた。この国はただの狐に衣服を着せたようなもので、和泉府の日根は最悪である。

「常陸国猫島」説

『簠簋抄』では、安倍仲丸(=阿倍仲麻呂)の子孫は関東の常陸国筑波の麓にある吉生(現・茨城県石岡市吉生)及び眞壁猫島(現・茨城県筑西市猫島)に住んでいると聞いた吉備真備は吉生に赴き、安倍童子(後の安倍晴明)に『金烏玉兎集』を渡す。
その後、童子は鹿島明神に百日の参籠を行い、百日目に竜宮に連れて行かれた。
童子の母は化来の人で、童子が三歳の暮に「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる しのだの森の うらみ葛の葉」という歌を残して姿を消した。
童子は上洛の折、和泉国(現・大阪府)へ尋ね行き、信田の森を尋ね入った。

注意

吉備真備の生没年: 持統天皇九年(695)~ 宝亀六年(775)。安倍晴明の生没年:延喜二十一年(921)~寛弘二年(1005)。真備と晴明は、生きていた時代が合わない。

「讃岐国」説

『讃岐國大日記』巻上では、「安倍博士清明」は讃岐国香東郡井原庄生まれ、『讃陽簪筆録』でも同じく井原庄生まれとされている。
一方、『西讃府志』では、香川郡由佐生まれと記されている。

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