基本情報
安倍晴明物語とは
内容
園城寺(三井寺)の智興阿闍梨は、当時誰よりも徳を積んだ名僧だった。
しかし、智興は疫病にかかって心身ともに苦しみ、高熱にうなされているさまは、まことに堪え難いように思われた。
大法秘法や医療鍼灸の手立てを尽くしても、一向に効果が見られない。
弟子たちは大いに嘆いて、晴明を呼び祈祷を頼んだ。
晴明が来て智興の様子を見た。
「これは定業ゆえ、祈祷をしても効果はないだろう。
だが、ひとつだけ師を助ける方法がある。
誰か師の身代わりになろうという者がいれば、祈祷して命を取り替えてみよう」
智興には、弟子が大勢いた。
日頃はあれほど「叶うならば、我らが命に代えても此度ばかりは御命を延べ奉ろう」という者が多かったのに、晴明がこのように言ったときは「我こそが師の御命に代わろう」と名乗り出る者がいない。
弟子の中に、證空法師という今年十八歳になる僧がいた。
證空は、
「仏法のために身を捨てるのは菩薩の行である。
智興阿闍梨は仏法において天下一の才能を持つ御方だ。
師が亡くなれば、我が国の仏法は滅んでしまうだろう。
自分が師の身代わりとなって、命を捨てよう」と思い、進み出て、晴明に身代わりを申し出た。
晴明は「それこそが、大いに師の恩に報いることだろう。
お主の志は、まことに類稀なことだ」と深く感動して涙を流した。
人々もみな同様に、證空を褒め上げた。
證空には、一人の年老いた母がいた。
證空は母の元に行って別れの挨拶をした。
「私は学問を究めて名を上げ、母上の恩に報いたいと思っておりましたが、今、このようなことがあって師のために身代わりになることを決めました。
この世で会うのは今日が最後、心残りなのは、ただ母上のことばかりです。
とても名残惜しくいらっしゃるでしょう」
證空が繰り返し言うので、母は泣きながら言った。
「私は年老いていて、いつ死ぬか分からない。
頼みはお前だけなのに、先に逝かれてしまったら一日も長生きできないだろう。
でも、お前のお師匠さまへのご恩は山のように高く、義は金のように堅い。
お師匠さまへのご恩と仏法のために我が身を犠牲にして命を捨てることを、嘆いて止めるようなことはしないよ。
お師匠様のご病気には時間が差し迫っている。
一刻も早く戻りなさい」
證空は名残惜しかったが、泣く泣く寺に戻った。
晴明はすぐに壇を飾って不動明王の絵像を本尊とし、二十四の灯明を上げて、十二の幣を打ち振り、香の煙が燻るなか祈祷した。
すると、智興の病はたちまち平癒して證空に移った。
證空は身も心も高熱にうなされ、計り知れないほどの苦しみに苛まれた。
證空が心のなかで不動尊を念じていると、夢が現か、不動明王のお告げが会った。
「お前は師の命に代わる。
我を念ずることも年久しい。
また、お前の志は世に類まれな情け深い心だ。
我もまた、お前の身代わりとなろう」
そう聞こえたかと思うと、證空の病はたちまち快復し、絵像の不動尊が病にかかったような表情になり、両眼から涙がはらはらとこぼれて、顔を伝っていた。
その涙の跡は今も残っていて、世の人々は”泣不動尊”と名付けた。
證空に忠があり、母に義があり、晴明に奇特な力があり、不動明王のご加護があった。
師弟がともに命を永らえたのは、本当に珍しいことではないだろうか。