『安倍晴明物語』第二巻に収録されている。
基本情報
安倍晴明物語とは
内容
天皇は「まことに、このような奇特の博士は昔にもまれなものだ。後世にもいないだろう。これより、ますます精進してその妙技を究めよ」と、晴明を四位の主計頭に任じて入唐を命じた。
晴明は家の留守を道満に頼み、妻の梨花を預けた。
そして、博多の港から船に乗り、纜をほどいて海上に浮かび、はるか遠くの大波を渡ってようやく大唐の明修の港に到着して、朝廷に参内した。
大唐は、宋の太祖皇帝の開宝年間の頃だった。
「さて、陰陽歴数を究めた者は誰かいるか」
ある人が答えて申し上げた。
「雍州の城荊山に伯道上人という方がおります。
この方は仙人の優れた教えを会得して天文地理の妙術を究め、加持秘符の深い理をまとめた名誉ある上人です。
いつからこの山に住んでいるかはわかりませぬが、昔から今に至るまで数百歳を重ねても容貌は衰えることなく、神通力で各地を巡っています。
遠い異国や離れた島でも一瞬で行き来できるという、まことに奇特な上人です」
「ならば、晴明を遣わしてその伯道上人に逢わせよ」
皇帝は、晴明に勅使を付き従わせて荊山に行かせた。
伯道は晴明を見て涙を流した。
「その昔、唐の天宝年間に日本から安倍仲麿という者が遣唐使として渡ってきて、この国で殺められた。
帰朝の望みを失った仲麿は亡郷の鬼と化して各地を彷徨っていたが、その志は無駄ではなかったのだ。
日本に帰って、今再びここに来た。
そなたはかの仲麿の生まれ変わりだ。
だから前世の才智を受け継ぎ、その智恵は昔よりなお優れているのだろう。
陰陽・歴数・天文・地理・加持・秘符の奥深きことを私に学ぼうと思って、身を惜しまず命も顧みず私に仕えると言うならば、私の持つすべてをそなたに授けよう」
「万里の波濤を越えてここまで渡ってきたのですから、身も命も惜しまず上人に仕えます。木こり、草刈り、菜摘み、水汲み等どのようなことでも仰せの通りにいたします」
「ならば、三年間毎日三度ずつ萱を刈って摘むように」
晴明は謹んで承り、毎日三荷の萱を刈った。
夜になると、深さ千丈の谷に突き出ている岩の上で寝させられた。
危険なことこの上ない。
こうして三年が過ぎると、伯道は赤栴檀を持ってきて晴明の身長を測り、大きな文殊菩薩の像を造った。
さらにお堂を建てて本尊と定め、晴明が三年の間に刈った萱で堂の屋根を覆った。
伯道は晴明に秘術を教えようと二十一日間の物忌をして、簠簋内伝の口伝を伝えた。
そして「急いで日本に帰りなさい」と言って、重ねて三つの戒めを伝えた。
一つ目は、七人の子を為しても妻に心を許してはならないこと。
二つ目は、酒に溺れてはならないこと。
三つ目は、不公平な言い争いをしないこと。
「この三つの戒めを固く守れば、素晴らしい未来が待っている。だが、もし背いたら必ず災難がお前の身に降りかかるだろう」
伯道は晴明に別れを告げて日本に帰した。
太祖皇帝は勅命を下して帰朝の文書とさまざまな財宝を晴明に与えた。
晴明は順調に唐を出発し、程なくして日本の博多の浦に着いた。
その後、上洛して宮中に参内した。
補足
主計頭(かずえのかみ)
主計寮の長官。主計寮は調・庸・雑物の計納や歳入・歳出、予算・決算を担当する役所。
太祖
趙匡胤の廟号(皇帝が亡くなったとき、その霊を祀るために贈る称号)。
趙匡胤は北宋の初代皇帝(在位960- 976)。
関連
「今昔物語集 巻二十四 第十四話 天文博士弓削是雄、夢を占うこと」に、「長年連れ添った妻であっても心を許してはならない」とある。