説話

安倍晴明物語(安倍晴明記) 現代語訳 吉備公、野馬台の詩を読む 并びに読む法のこと

基本情報

安倍晴明物語とは

内容

夜が明けると、吉備公は宮中に呼び出されて参内した。

玄宗は臣下に命じて野馬台の詩を取り出し、吉備公に読ませた。

目を凝らして見ると、文字には普通の漢字が使われていて、書典にないわけではない。

しかし、読めないものは読めず、縦に読み、横に読み、紙の向きを逆さにして、韻を変え、読み方を変えて真っ直ぐに読んでみたが、ますますわからなくなった。

吉備公にとっては、歯がゆくて悔しいものだった。

目の前にあるのは見慣れた文字なのに、読めそうで読めないとは。

吉備公が赤面しつつ、ひたすら長谷の観世音を念じていると、玄宗もやはり読めないかと思い、諸臣下もみな手に汗握った。

もう駄目かと思ったその時、天井から小さな蜘蛛が降りてきて、野馬台の詩の右上に書かれている字の上に留まった。
蜘蛛はそこから糸を引いて横に進み、縦に上り、下に下がりながら「為」の字まで来たところで掻き消すように消えていった。

吉備公が蜘蛛の糸を追うようにして読んでいくと、意味が通じるようになったのでそのまま読み上げた。

「東海姫氏国」というところから「遂に空と為らん」というところまで一字も間違わずに読み終えたので、簾中をはじめ殿上も堂下もざわめき、感嘆の声がしばらくの間止まなかった。

玄宗もあまりの感動に堪えず「まことに並ぶもののない智人だ。神仏の化身の再誕だ」と直々に詔を下して称賛したのは、恐れ多いことだった。

「この上は命を許す。この国に留まり学問をよりいっそう究めるがよい」と言われて、吉備公は三年間唐に留められた。

吉備公は儒学・易暦・天文地理を尽く究めたので、ついに帰朝を許されることとなった。

帰朝のとき、吉備公は七つの宝を賜った。

一つ目は七廟の祭具、二つ目は暦書『簠簋』、三つ目は易書『内伝』、四つ目は野馬台の詩、五つ目は囲碁、六つ目は火鼠の皮衣、七つ目は金磬である。

日本の帝へは御返書と史観、文選ならびに大般若経および仏舎利などを贈った。

さらに、無事に帰朝し長生きして、天下の補佐となって帝の政治を助けよと激励した。

吉備公のために千人余りの僧を呼んで生活続命の法を行わせ、一万部の法華経を転読させたのは類を見ないことだった。

その後、吉備公は唐を出発し、遥かな波路を無事に渡って帰朝したのは、めでたいことだった。

帰朝してまもなく、吉備公は宮中に参内した。

帝は大いに感動して、唐での出来事についてあれこれと聞いた。

「かの野馬台の詩は我が国の未来を記したものであるゆえ、この識文を読み伝えよ」との勅定があった。

吉備公はすぐにこれを読んで帝に伝え申し上げた。

『安倍晴明物語』を読む

序
占兆根元のこと
伯道上人のこと
安倍仲麿入唐のこと
吉備大臣入唐付殿上にて碁を打つこと
吉備公文選を読むこと
長谷寺観音のこと付法道仙人のこと
吉備公野馬台の詩を読む并びに読む法のこと
吉備公仲麿が末を尋ぬること
晴明出生のこと
安倍童子竜宮に行きて秘符を得たること
安倍童子鳥語を聞き晴明という名を賜りしこと
道満のこと
道満と晴明智恵比べのこと
晴明入唐付伯道の弟子となること
晴明殺さるること
伯道上人来朝并びに道満法師ころさるること
人形を祈りて命を転じ替えたること
庚申の夜殿上の人々を笑わせしこと
花山院の御遁世を知ること
三井寺泣不動のこと
厭魅の法を以て蛙をころすこと

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