説話

安倍晴明物語(安倍晴明記) 現代語訳 安倍仲麿入唐のこと

あらすじ

安倍晴明物語とは

内容

ここで、この書が日本に伝わった経緯について話そう。

昔、元正げんしょう天皇の御代に安倍仲麿という者がいた。

仲麿は孝元天皇の息子太彦命ふとひこのみことの子孫・倉橋麿の末孫で中務なかつかさ太輔正五位上・安倍朝衡の息子である。

仲麿は博学才智として誉れ高い者だったので、霊亀二年(716)八月二十三日に遣唐使として唐に渡った。

ところで、仲麿は熒惑星の仮の姿でもあった。

漢の武帝の御代、熒惑星は東方朔という名の文人として地上に降り立ち、武帝の政を支えて世を豊かにした。

今の仲麿もまた、帝の政を支えて世を治めた。

大唐国は仲麿の帰朝を惜しみ、彼を高い楼閣に閉じ込めて日本に帰さなかった。

仲麿はひたすら故郷に帰りたいと願い、日本に帰りたくて嘆き悲しんでいた。

そして、月が明るく輝いているのを見て、

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に出でし月かも

と詠んだが、仲麿の願いが叶うことはなく、とうとう餓死してしまった。

その後、仲麿の霊魂は鬼と化して唐土をさまよい、その鬼に出遭った者は重い病を患い亡くなったそうだ。

関連

こちらもCHECK

no image
江談抄 現代語訳 類聚本 安倍仲麿(阿倍仲麻呂)、歌を詠むこと

基本情報 江談抄とは 平安時代後期、大江匡房(1041-1111)の言葉を藤原実兼(1085-1112)が筆録したもの。 『古本系』と、それを内容によって分類し並び替えた『類聚るいじゅう本系』の二種類 ...

続きを見る

『安倍晴明物語』を読む

晴碧花園 - にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 偉人・歴史上の人物へにほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

安倍晴明を大河ドラマに
安倍晴明関係の年表
安倍晴明関係の説話一覧
安倍晴明ゆかりの地
陰陽師たちの活動記録
Twitterをフォローする
平安時代について知る
TOPページに戻る
購読する
follow us in feedly rss
SNSで共有する