「伯道上人の事」は『安倍晴明物語』巻第一に収録。
基本情報
安倍晴明物語とは
内容
昔、唐土が周の時代、雍州の荊山にある洞窟の中に、衆生に合わせて姿を変えた仏が住んでいた。
仏がいつからここに住み始めたのか、世間の人々はまったく知らない。
彼はただ山の奥深くに住み、ある時は空を眺め、ある時は地面に伏して、昼も夜も熱心に修行をしていた。
人々はみな、彼を尊敬して"伯道上人"と呼んだ。
さて、伯道は何としても天地陰陽の真理を明らかにしたいと思って修行に専念していたが、四方には峰が高くそびえ、木々も生い茂っていたので、月・日・星がどのように巡っているのか、はっきりと目にすることができずにいた。
そこで伯道は、大海の広いところに出て四方が塞がれていない場所で天体を観察しようと思い、小船に乗り沖に出て、波に揺られていた。
そうしているところに、角髪に結った一人の童子が筏に乗って伯道に近づいて来て尋ねた。
「あなたはどこから来て、荒々しい波風が吹く海の上に漂っておられるのですか」
「私は、天と地の間に身を置いているにも関わらず、天地の理をまったく理解しておりません。
どうにかして乾坤陰陽の理と月・日・星の巡りを理解し明らかにしようと思い、周りの景色がよく見える海の上に船を浮かべて、昼も夜も空を観て修行をしているのです」
童子は手を叩いて大いに笑った。
「山に住んで陰陽五行のことがわかるのなら、鹿を追う猟師は悟りの境地に達しているでしょう。
海の船を浮かべて、波に棹を差すだけで天地のことがわかるのなら、亀を釣り魚の漁をする人たちはみな天地の理を悟った賢人となっているでしょう。
それらは深い理ですから、師の教えがなければまったく知ることはできないのです」
童子の言う通りだと思った伯道は、自分に情けをかけて深い理を教えてくれないか頼んだ。
「私は、秘術を一つ持っています。もし学びたいのなら、五台山に来てください。
私の真の姿を現してあなたに教えましょう」
そう言って童子は飛び去っていった。
伯道は、あの童子の正体は文殊菩薩ではないだろうかと考えた。
伯道は両手を合わせて礼拝し、童子に教えを乞おうと決心して五台山に赴いた。
あちこちを見回して嶺から峯へ移ると、嵐が松の木々の間を通り抜けるように吹き、木こりの姿すら見えなかった。
谷から谷へ移っても、ただ水の音だけが聞こえ、鳥の声はかすかに聞こえるぐらいだった。
さらに山奥へ入ってみると、木立から草葉の色まで地上では見たことのないような景色だった。
珍しい色や鳴き声の鳥もいて、この世ではない場所にいるように感じられた。
しばらく立ち止まっていると共命鳥という鳥が飛んできて、伯道の服の裾をくわえて山の奥深くへ連れて行った。
伯道が辺りを見回すと、瑠璃色の地面に珊瑚の砂が敷かれていた。
七宝の樹々には花が咲き、果実が実っていた。
奥には七宝が施された楼門があり、門の上には『五台山』と書かれた額が掛けられていた。
伯道が中に入ってみると、宮殿の楼閣が重なっていて、鳳凰の甍が空高く突き出ていた。
虹梁が反り上がり、瑠璃でできた瓦や瑪瑙の垂木、黄金の長押、車渠の簾があった。
玳瑁の垣の元からは、栴檀の匂いがした。
七宝の池に四色の蓮が鮮やかに咲いていて、水際には黄金の砂の上に白鵠、孔雀、迦陵頻伽が羽先を並べてさえずっていた。
その声は、心も言葉も及ばないほど美しかった。
宮殿の中に入ると、七宝が飾られた荘厳な獅子の台座の上に大聖文殊菩薩がいた。
百、千の菩薩が雲霞のように並んでいた。
極楽世界もこのようなところなのだろうかと、伯道は心を打たれた。
伯道は両手を合わせ、涙を流して礼拝した。
文殊は伯道の方を向いて、一日のうちに天地陰陽五行の理を教えた。
伯道は心が開け、羅漢果に達して神通力を得て、文殊菩薩の宮殿を後にした。
それから、伯道は少しの間人間界を巡り、あらゆる山々や海川の果て、遠くの島々までを巡り、荊山に帰った。
文殊菩薩に説かれたことを暦典・易典・加持典百六十巻として記し、天地・陰陽・日月・星辰の吉凶、祈祷、加持などのあらゆる秘術を書きつくして、洞窟の中に隠し納めた。
伯道はこれを密かに太公望に伝え、それから范蠡にも伝え、さらにその後張良にも伝えた。
だが、彼らは秘術を心の奥深くに留めて世に広めることをしなかったので、孔安国や河上公らがわずかにその一端を伝えるだけだった。
そのため、たとえ易道で名を上げた者がいたとしても、実際のところは十分の一も理解できていないそうだ。
その後、伯道は仙人となり、五台山に通って文殊菩薩の弟子となった。
かの百六十巻の書は漢の武帝に献上されたが、東方朔がこれを預かって密かに読み、奇妙な占いをしたそうだ。
彼も最後は仙人となったが、それもこの書のおかげだった。
補足
東方朔
東方朔(前154頃-前92頃)は、前漢の文人。