愛知県の晴明伝説
阿寺の七滝
伝説
晴明が若い頃、第四の滝で修行をしたと伝えられている。
阿寺集落には晴明屋敷跡・晴明塚・晴明井戸があったとされている。
上野天満宮
平安時代中期、晴明の一族の一部が現在の名古屋市千種区清明山に移住してきた際、菅原道真公を偲んでその神霊を祀ったのが起源とされている。
その後、安倍一族はこの地を後にして京に戻ったという。
晴明神社(名古屋市千種区)
神社の祭神として祀られている。
ご利益は方除守護、火災守護、進学、開業、結婚、病気平癒など。
晴明は孝元天皇の皇子大彦命の子孫で、幼いときから天文暦学の道に秀でており、神道自在の妙術を得ていた。
やがて天文陰陽博士として朱雀天皇をはじめ六代の天皇に仕え、数々の功績を残した。
特に、村上天皇の御代に入唐し、城刑山にて伯道仙人のもとで修行に励み、帰朝して陰陽道を確立させるとともに、今日の生活基準となっている年中行事や暦術、占法について定めた。
伝説
寛和二年(987)、晴明は尾張国狩津荘上野邑に住んでいた。
当時、村には蝮や蛇が多くいたが、晴明が加持を行ってからは姿を見せなくなった。
その後、再び蝮や蛇が現れたが、安永七年(1778)に晴明の住居跡に標木を立てると再び見えなくなったという。
補足
- 大彦命 第八代孝元天皇の第一皇子で、阿部氏(安倍氏)など諸氏族の祖。
- 朱雀天皇 生没:923-952 在位:930年10月16日 - 946年5月23日。
晴明神社(岡崎市)
晴明井
晴明が諸国を旅していたとき、この地に住んで陰陽術を伝えた。
ある日、晴明が夢のお告げによって井戸を掘ると霊水が湧き出て、萬人を助けて人々から慕われるようになった。
その後、この井戸は晴明井と名付けられた。
晴明神社(唐沢町)
晴明が諸国を旅していたとき、この地に住んでいたと伝えられている。その住居は晴明屋敷と呼ばれていた。
弘化三年(1846)、材木町の住人阿部理八が五輪石の一部を納めて晴明の霊を祀ったことが起源とされている。
晴明塚(あま市)
伝説
晴明がこの地を通った際、田の中に雑草が多くて苦しんでいた農民のために祈祷をした跡と伝えられている。
晴明塚(蟹江町)
晴明がこの地を訪れ、火伏せの祈祷をしたと伝えられている。
塚の下には、晴明が使用した法螺貝や剣が埋められているという。