平安時代 陰陽道

【安倍晴明を大河ドラマに!】シン・安倍晴明伝

シン晴明伝

安倍晴明をNHK大河ドラマに!《晴明伝(The Journey of Seimei)》は安倍晴明が生きていたとされる時代に起こったできごとに晴明伝説を加え、一代記の物語にした新しい安倍晴明伝説です。前後編50話。

安倍晴明は、NHK大河ドラマの主人公になってほしい歴史上の人物にもランクインしています!

概要

大河ドラマとして放送可能か?

大河ドラマの選定基準(暫定)

  • 日本史上の有名人物 → ○
  • 年間約50話分放送できるだけの史実(エピソード)がある → ◯(創作すればある)
  • 全国的な知名度がある → ○
  • 活動が国内複数箇所に及ぶ → ○(安倍晴明ゆかりの地参照)

1年間放送できるだけの話数はあるのか?

年表と創作をうまく組み合わせていけば1年間分の話数を書ける!

安倍晴明ゆかりの地

ゆかりの地の数

安倍晴明に関係のある場所が50ヵ所あるか検証する

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参考安倍晴明ゆかりの地

安倍晴明ゆかりの地 北海道 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 東京 茨城 神奈川 栃木 千葉 群馬 山梨 埼玉 新潟 長野 富山 石川 福井 静岡 岐阜 愛知 三重 滋賀 京都 兵庫 大阪 奈良 和 ...

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本編

あらすじ

九尾狐族の皇女葛の葉は人間界を放浪していたとき、安倍益財と恋に落ち晴明が生まれた。泰山府君の娘暮雪は飼っていた亀を地上に落としてしまったことで晴明に出会い、助けてくれたお礼として東海龍宮に連れて行く。その後、晴明は陰陽師を志して賀茂保憲の弟子となった。やがて、暮雪は冥官であった菅原道真が太政威徳天と化して平安京を滅ぼすのを止めることに成功したが、暮雪は神脈を封印され日本に落ちてしまう。その頃、成長して立派な青年となっていた晴明は彼女を発見し、ちょうど清明節の時期だったことから梨花と名付けた。やがて晴明と梨花は夫婦になり子どもを設けるが、残酷な運命によって二人は引き裂かれてしまう。その後、宮中で起こった大規模な火事によって傷ついた霊剣を修復した晴明は、朝廷の貴族たちから一目置かれるようになる。都を脅かす怪異を退治する過程で重傷を負った晴明は生死をさまよう中、魂だけになって地獄にたどり着いた。そこに姿を現したのは、なんと離別したはずの梨花だった。だが、彼女はかつて晴明に愛されていた記憶などなく、それどころか地獄の獄卒や冥官から神仙として敬われていた。果たして二人はもう一度手を取り合うことができるのだろうか。

『晴明伝(仮)』は、安倍晴明と泰山府君の娘・金霞の数奇な運命を書いた物語である。

各話あらすじ

第1話 星に願いを

延長八年(930)春、暮雪の飼っていた亀が暴風に吹かれて地上に落下してしまう。晴明は東海竜王に別れの挨拶をして、夢から醒めるように竜宮城から地上に戻ってきた。晴明は急いで家に帰ったが、益材は亡くなってしまった。

参考:安倍晴明物語/安倍保名:連夜説教

第2話 百鬼夜行

延長八年(930)春、晴明は、かつて祖先の阿倍仲麻呂が吉備真備から譲り受けた金烏玉兎集を箱から出し、陰陽道の勉強を始めた。この書は、かつて唐土の伯道上人が天地陰陽の理を究めようと修行をしていたときに文殊菩薩から託されたもので、悟りを開いた伯道上人は金烏玉兎集を唐王朝に献上した。その後、吉備真備が遣唐使として唐に渡った。真備は鬼と化した阿倍仲麻呂の力を借りてさまざまな試練を突破し、皇帝から金烏玉兎集を賜った。帰朝した真備は仲麻呂に恩義を感じ、彼の子孫に金烏玉兎集を譲り渡したのであった。ある晩、忠行と保憲が下京の辺りへ出かけていくのを見た晴明は、忠行の車の後ろを歩いて付いていった。しばらくして、晴明は恐ろしい鬼の群れがこちらへ向かってくるのを目にした。驚いた晴明は車の後ろに走り寄って忠行を起こし、鬼が現れたことを伝えた。忠行と保憲は車から降りて鬼の姿を見ると晴明とともに身を隠し、無事にその場をやり過ごした。こうして、晴明は忠行の弟子となった。
同年六月、突然空が曇って大雨が降り、激しい風が吹いてきた。清涼殿の柱に突然雷が落ちた。大地が裂けてしまうかのような雷鳴であった。醍醐天皇とその臣下たちは身を震わせ魂が消えるような思いであった。藤原清貫の衣に落雷の炎が燃え移り、転げ回っても火は消えず、胸を焼かれて落命した。平希世は顔が焼けて柱の下に倒れた。美努忠包は鬢が焼けた。安曇宗仁らも体を焼かれて落命した。藤原忠平もその場にいたが、少しも怪我はなかった。晴明は二羽の烏が囀り合っているのを見て、東海龍王からもらった龍仙丸を試してみた。晴明は烏たちの会話から、この事件が菅原道真の祟りによるものだと知り、陰陽寮に知らせる。忠行は晴明の実力を確かめるため、箱の中身を占わせた。晴明は箱の中に柑子が入っていると答え、見事に中身を当ててみせた。朝廷は道真を鎮めるために加階し、正二位とした。

参考:簠簋抄/安倍晴明物語/今昔物語集/扶桑略記/日本紀略/體源抄

参考今昔物語集 現代語訳 安倍晴明、忠行に随いて道を習うこと

『今昔物語集』巻二十四第十六話「安倍晴明随忠行習道語(安倍晴明、忠行に随いて道を習うこと)」。 安倍晴明は幼い頃に百鬼夜行を目撃したことによって、師匠の賀茂忠行から陰陽道を隅々まで教わりました。晴明は ...

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第3話 承平・天慶の乱

承平八年(938)春、都で突然空に雲が集まってきて昼か夜かわからないほど暗くなった。人々が不安になっていると大地がおびただしく揺れて、洛中の民家や神社仏閣に至るまで多くの建物が破損した。巳の刻に始まったこの大地震は申の刻になっても止むことなく、皆奈落の底に引き落とされると泣き叫んだ。その場から逃げようとする者もいたが、地面がひどく揺れているためまともに歩くことができず、そのまま倒れて気を失った。そこへ、巨大な蛟のような怪物が二体現れて雲中から火炎を吐き出し、闇夜は白昼のごとく明るくなった。約一時間後、怪物は雷鳴のような鳴き声を上げ、東西に飛び去った。怪物を見た人々は恐怖に震え、肝を冷やした。朝廷は、これはただごとではないと陰陽寮にこの天変地異の吉凶を占うよう命じた。この天変地異はとても重大な異変で、朝敵が各地に起こり兵乱が起こる兆しだということだった。朝廷は諸社に命じて、ありとあらゆる祈祷をさせた。その後も地震はおさまらず、暴風や洪水などありとあらゆる災害に見舞われた。十一月、陰陽寮の暦博士が造暦について議論を行った。葛木茂経の暦本が採用された。十二月の夜、月蝕が起こった。その様子は、葛木茂経の勘文と完全に一致していた。茂経は有識の者だと讃えられた。

参考:扶桑略記/前太平記/本朝世紀

第4話 太政天神道真

天慶三年(940)二月、平将門が討ち取られた。将門の妻子や従類は彼方此方に散らばった。ある者は不本意ながらも出家し、ある者は裕福な家や身分の高い貴族に取り入った。中には山林に逃げ隠れた者もいたが食糧がなかったので餓死し、その屍は狼に食われたという。天慶四年(941)七月、賀茂保憲は暦生の身でありながら暦博士大春日弘範とともに翌年の御暦を作成することになった。同年八月、日蔵上人が参内し、神託があったことを奏上した。日蔵が道賢上人という名前であった頃、彼は世の中に災難が絶えないことを憂えて金峯山の山奥に籠もり修行していた。だが、暑さによって道賢は脱水症状を起こし倒れてしまう。気が付くと、道賢は金峯山の洞窟の外に立っており、辺りを見回していると蔵王菩薩を名乗る僧が近づいてきた。蔵王菩薩は長寿を望む道賢に改名を勧めた。そこへ光り輝くものが大群を率いて現れ、蔵王菩薩は道賢に太政天神が来たと告げた。太政天神は道賢を自身の居城へ連れて行き、かつて自分は菅原道真であったこと、生前の恨みを忘れられないことを話した。だが、道真を真摯に信仰する者がいたならば、天下の安寧を願う道賢の心に応えるという。太政天神の言葉を聞き終えた道賢は金峯山に戻り、蔵王菩薩によって地獄に連れて行かれた。道賢は地獄で延喜帝(醍醐天皇)とその廷臣が責め苦を受けている光景を目撃した。延喜帝から救済の願いを承ったところで、道賢は目を覚ました。道賢は日蔵と名を改めた。そして同年11月、御暦奏の日になった。しかし、朱雀天皇はお出ましにならなかったので内侍所に託して奏上した。

参考:符宣抄/日蔵夢記/本朝世紀

第5話 平安京を守れ

第6話 春雨を帯びる梨の花

晴明は彼女を見て、『白氏文集』の『長恨歌』の一節「玉容寂寞涙欄干、梨花一枝春帯雨」から梨花と名付け、本当の名前を思い出すまでその名前でいるように伝えた。さらに、晴明は梨花に暦に沿って生活すべきことを説明し、沐浴をする日や髪を梳く日などを教える。

第7話 記憶喪失の同居人

天慶五年(942)四月、朱雀天皇たっての願いで、東西の兵乱を平定したことを祝って石清水臨時祭が行われることになった。賀茂忠行は安倍晴明に、ずっと家に籠もっているのもよくないので梨花を連れて祭を見に行ってはどうかと提案する。晴明と梨花が出会って初めての庚申の日になった。晴明は梨花に、人間の体内には三尸の虫が潜んでおり、庚申の日になるとその虫が人間の体内から飛び出し司命神に罪状を密告するので、この日は寝てはならないのだと説明する。

参考:日本紀略/大鏡

第8話 雨乞いの儀式

天慶六年(943)、干ばつが続いていたので朝廷は諸々の神社で雨を祈る読経を修させた。陰陽寮もまた、五龍祭を奉仕することになった。

参考:北山抄

第9話 禊の遊び

第10話 唐船の来訪

第11話 村上天皇の即位

天慶九年(946)4月、村上天皇が即位し、藤原安子が女御に定められた。

参考:践祚部類鈔/貞信公記抄

第12話 天神の託宣

天暦元年(947)の春、近江国比良天満宮の禰宜良種が菅原道真の託宣を奏上した。良種には七歳になる息子がいたが、突然息子の様子がおかしくなったかと思うと「私は菅原道真の化身・太政威徳天である。北野に松の木を植え、天満大自在天神として祀ってほしい」と告げ、たちまち正気に戻った。

参考:扶桑略記/前太平記

第13話 群盗の襲撃

天暦二年(948)三月、群盗が京中に横行しているとの報せがあった。九月、晴明たちは藤原師輔に召されて霖雨の祟りについて占った。

参考:貞信公記抄/日本紀略/九暦抄

第14話 呪いの井戸

天暦三年(949)6月、陰陽寮の井戸で女子の死体が発見された。井戸の水は汲み上げられ、その穢が宮中に及んでしまった。

参考:日本紀略/九条殿記

第15話 霓裳羽衣の舞

天暦四年(950)10月、賀茂保憲は大春日益光とともに藤原実頼に召されて、造暦について問われた。翌年五月の暦ついて、保憲のは宣明暦を用いて作成したが、益光は会昌革を用いて作成した。

参考:西宮記/北山抄

第16話 梨壺の五人

天暦五年(951)10月、後撰和歌集の編纂が始まった。藤原伊尹が和歌所別当に任ぜられ、清原元輔らが昭陽舎において編纂を行った。

参考:本朝文粋

第17話 七夕の誓い

第18話 符天暦を求めて

天暦七年(953)

第19話 初めての弟子

第20話 未定

天暦九年(955)、安倍吉昌が誕生した。

第21話 未定

承平天慶の乱のとき平将門の妾は妊娠しており、将門が討たれた後に出産した。生まれたのは男子だったので、朝廷から追われぬよう奥州の姉如蔵尼のもとへ送られた。如蔵尼は良門の存在が朝廷に知られぬよう育てた。成長した良門に対して如蔵尼は出家して父の菩提を弔うよう諭すが、良門はなぜ今まで自分の本当の父について教えてくれなかったのかと責める。そして、良門は父の仇を討つと宣言し、上洛することに決めた。

参考:前太平記

第22話 未定

天徳元年(957)、日延が符天暦を持って帰朝した。

第23話 未定

第24話 梨花との別れ

天徳四年(960)5月、藤原師輔が亡くなった。生前、師輔は伊尹に自分の葬儀は簡素に行うように遺言を書いていたが、伊尹は遺言に従わず通例どおり葬儀を行った。

参考:日本紀略/大鏡

第25話 天徳四年の内裏焼亡

天徳四年(960)9月23日の深夜、内裏で火災が起こった。皆が慌てて逃げ惑うなか、多くの宝物が焼けてなくなった。三種の神器のうち神璽と宝剣は村上天皇が自ら手に持って脱出したが、神鏡だけは取り出せず宮中に残されたままだった。藤原実頼は急いで温明殿に向かったが、すでに焼亡していた。仁寿殿の棟木も半分焼け落ちていた。実頼が炎の中で鏡を探していると、温明殿の灰燼から鏡が浮き上がり紫宸殿の方へふらふらと飛んでいった。実頼は袖で涙を抑えながら感動した。翌日、勅命により宝物の捜索が行われた。霊剣はほとんど見つかったが、大刀と契という二つの霊剣は灰燼となっており元の形が分からず、未だ鋳造できずにいた。

参考:塵袋

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参考天徳四年の内裏焼亡と安倍晴明の霊剣鋳造

天徳四年(960)、内裏で大火事があり宝物として安置されていた御剣が消失した。陰陽寮の太一式盤も焼失した。天徳四年は安倍晴明が初めて史料に登場した年。この年、晴明は40歳になる。翌年に神護寺で五帝祭が ...

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第26話 霊剣を修復せよ

天徳四年(960)10月、右大将藤原師尹は「近頃、都では平将門の息子が入京したと噂になっている」と奏上した。そこで、朝廷は検非違使及び源満仲らに将門の息子を捜索させることにした。内裏焼亡により、村上天皇は冷泉院へ遷御してもよいか賀茂保憲に調べさせた。保憲は、遷御を行っても問題ないと奏上した。そして11月、村上天皇は冷泉院へ遷御された。保憲が反閇を奉仕した。火災により、宜陽殿や温明殿の宝物が焼失した。安倍晴明は賀茂保憲とともに大刀契の再鋳造を命じられた。二つの霊剣はそれぞれ護身剣と破敵剣という名前で、日月や星の文様が刻まれていた。晴明と保憲は文様を調べた。同年12月、晴明は宜陽殿の作物所で鍛冶師に霊剣の鋳造を始めさせた。内裏の復旧作業中に新造した柱に虫食いが発見された。その虫食いは三十一字の和歌の体をなしており「造るとも またも焼けなむ 菅原や 棟の板間の合はぬかぎりは」と読めた。朝廷では「何度造り直してもまた焼けてしまうだろう、菅原道真の胸の痛みが癒えぬ限りは」という意味だと解釈し、大騒ぎになった。応和元年(961)6月、高雄山の神護寺において霊剣を再鋳造するための儀式が行われた。保憲が祭文を読み、晴明が進行役を務めた。

参考:扶桑略記/塵袋/大刀契事

第27話 雨の夜の夢

梨花が晴明の前から姿を消して三年が経った。応和三年(963)8月の夜、空也上人が鴨川で万燈会を行った。晴明と保憲も参加した。

参考:日本紀略/扶桑略記

第28話 落花の時節、又君に逢う

第29話 小野篁の伝説

康保四年(967)2月、憲平親王が病を患ってから四ヶ月が経過した。藤原師尹は僧たちに加持祈祷を行わせたが、親王の病は一向に回復しない。そんな中、安倍晴明は現世と冥界を行き来していたという小野篁の伝説を耳にする。篁は六道珍皇寺の井戸から冥界へ行き、冥官として仕事をしていたという。晴明は珍皇寺の井戸を降りて冥界へ向かう。晴明は泰山府君に死者の命籍から憲平親王の名前を削るよう嘆願する。

参考:日本紀略

第30話 安和の変

安和二年(969)3月、源満仲らが源高明の謀反を密告し、高明は太宰外帥に左遷された。藤原師尹が左大臣に、藤原在衡が右大臣になった。翌日、高明は出家した。

参考:日本紀略

第31話 泰山府君への手紙

天禄元年(970)7月、藤原師氏が病に倒れた。師氏は自分の人生を振り返り、善行を積んでこなかったことを後悔していた。だが、今更後悔しても仕方ないと思い直して、師氏は自身の名前を書いた紙を空也上人に渡して「多忙ゆえに善行を修することができずにいたところへ、こうして病を患ってしまいました。今はただ、あの世に行くのを待つばかりです。地獄で報いを受けるのを逃れる術もありません。どうかお助けください」と懇願した。空也上人は師氏が亡くなったら棺の上にこの手紙を置き、お許しがあれば手紙は焼けずに残ると伝えた。また、空也上人は安倍晴明に事情を説明し、再び泰山府君のもとを訪れて師氏が無事に極楽浄土へ行くことができるよう説得してほしいと頼む。こうして、晴明は再び泰山へ行くことになる。その後、師氏が亡くなり葬儀が行なわれた。翌朝になって晴明が灰の中を見ると、手紙は少しも焼けていなかった。師氏は極楽浄土に行くことができたのだとわかった。

参考:古事談/日本紀略

第32話 思いがけぬ再会

参考平家物語 剣巻 宇治の橋姫伝説 現代語訳

あらすじ 源満仲の嫡子・摂津守源頼光の時代には、不思議な事が多かった。 第一の不思議は、多くの人々が行方不明になることだった。それも死ぬわけではなく、今まで一緒にいた者が忽然と姿を消してどこへ行ったの ...

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第33話 大乗院点地

天延二年(974)五月、円融天皇の御願により比叡山に大乗院を建てることが進められていたが、担当の藤原典雅が障りを称して動かない。そこで、平親信が現地に向かうことになった。賀茂保憲は大乗院点地の日時を選び、安倍晴明・賀茂光栄とともに親信に同行することになった。夜、親信は保憲の家を訪問し、翌日のことを案内した。その夜は庚申に当たるため、寝ることができなかった。翌朝、晴明たちは比叡山に登った。一通り視察を終えた後、阿闍梨の房でもてなされた。本来であれば衣冠を着用すべきところを、保憲が視察する場所が多く不便だと言った。そこで、土地を鎮める儀式を行う時だけ衣冠を着用することになった。酉の刻に下山した。十一月、保憲が従四位に叙された。しかし、保憲は位を光栄に譲った。

参考:親信卿記

第34話 宇治の橋姫

天延四年(976)春、都に妖怪が多数出没し、老若男女問わず失踪者が続出した。失踪した人々は掻き消えるようにいなくなり、二度と帰ってこなかった。これによって、都の人々は申の刻を過ぎると家の門をきつく閉ざして外に出なくなった。朝廷は比叡山から大勢の僧綱を召して、清涼殿において仁王会を行わせた。また、源頼光をはじめ諸国の武士たちが禁門の警固にあたった。朝廷は安倍晴明を召して失踪者が多数出たのは神仏の祟りによるものか、あるいは悪霊の仕業か占わせた。晴明が占ったところ、宇治の橋姫の仕業であることがわかった。宇治の橋姫はとても嫉妬深い性格で、貴船神社に参詣した際、妬ましい女たちを殺めるために自分を鬼神にしてほしいと祈願した。すると貴船明神の神託があり、宇治の川原で鬼神になるための儀式を行うよう告げた。橋姫はお告げに従い、生きながらにして鬼神となったのです。5月になって再び内裏で火災が起こり、激しい魔風が吹いて炎が辺り一面に飛び散った。さらに6月には大地震が起こり、空が黒雲に覆われて大地は激しく震動し、民家が次々に倒壊した。未曾有の災害が続き、人々はこの世の終わりだと泣き叫んだ。ある晩、渡辺綱は源頼光の使いとして一条大宮まで行くことになりました。頼光は綱に髭切を持たせました。任務を終えた綱が一条戻橋を渡ろうとすると、橋の東詰を南の方へ渡っていく女の姿が見えました。綱が橋の西詰を渡っていると、女が馴れ馴れしく声をかけてきて、こんな夜更けに独りでは心細いので、家まで送ってくれないかと泣きついてきました。綱は女を馬に乗せました。途中で、女は一瞬のうちに鬼の姿となって綱の髻を掴み空高く飛ぼうとしました。綱は少しも動じず、髭切を抜いて髻を掴んでいた鬼の腕を斬りました。鬼は愛宕山へ逃げていきました。綱が鬼の腕を頼光に見せると、頼光は驚いて晴明を呼びました。晴明は綱に七日間物忌するように伝え、鬼の腕には厳重に封をして仁王経を読経するように言いました。綱が家に籠もってから六日目の夕方、門をたたく音がしました。訪問してきた女は綱の母親を名乗ったので、綱は門の前まで出ていきました。綱は物忌中だから会えないと言いましたが、女にしつこく頼まれたので仕方なく門の中にいました。女は、綱に鬼の腕を見せてほしいと頼んできました。綱が渋々鬼の腕を取り出して差し出すと、女は自分の腕だからもらっていくと言ってたちまち鬼の姿となり、逃げていきました。

参考:平家物語〈剣巻〉

土蜘蛛退治
参考源頼光の土蜘蛛退治

平安時代中期、源頼光は重病で病に臥しており、あらゆる薬を処方しても回復しなかった。ある夜、頼光の前に見知らぬ法師が現れ、病状を尋ねてきた。法師の正体は土蜘蛛の妖怪だと見抜いた頼光は、枕元に置いてあった ...

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第35話 土蜘蛛退治

秋の夜、源頼光の身体に冷たい風が吹き付けて、激しい頭痛に苛まれた。ようやく宿所に帰り着いたかと思うと寒気が増して、身体中が燃えているかのように汗が湧き出て倒れてしまった。安倍晴明や頼光四天王たちも必死に看病した。医師が頼光の脈を診てただの風邪だと薬を渡したが、一向に効果は見られなかった。あらゆる薬を試したが、熱は下がらなかった。夜になって、頼光は夢か現かも定かでない状態で、誰かが「我が背子が来べき宵なりささがにの蜘蛛の振る舞いかねてしるしも」と言う声が聞こえた。頼光が不審に思って目を開けると、燈火の影から見知らぬ法師が現れた。無数の糸筋を頼光に向かって投げつけてきたので、頼光が枕元に置いていた膝丸で蜘蛛を斬りつけると、跡形もなく消え失せた。燭台の下に血の跡があったので辿っていくと、大きな塚の前で巨大な山蜘蛛が傷を負って倒れていた。頼光は膝丸を蜘蛛切と改名した。

参考:平家物語剣巻/前太平記

第36話 占事略決

天元二年(979)、晴明は『占事略決』の執筆を始めました。ある日、一人の老僧が晴明の家を訪ねてきました。老僧は、お供として二人の童子を連れていました。老僧は陰陽道を学ぶために播磨国から都へ上ってきて、特に晴明は優れた陰陽師だと聞いたのでここにきたと語りました。自分の実力を試しに来たのだと思った晴明は、老僧が連れてきた童子が式神であれば隠すように念じました。そして、老僧には忙しくて時間が取れないからまた来るように伝えました。老僧は感謝して帰っていきました。しかし、しばらくすると老僧は戻ってきて童子を返してほしいと頼んできました。晴明が童子を返すと、老僧は晴明を試そうと思って来たのだが、他人の式神を隠すことは容易ではないと言って、ぜひ弟子にしてほしいと名札を差し出しました。

参考:今昔物語集

第37話 未定

第38話 花山院出家

花山天皇は重い頭痛を患い、特に雨の降っている日はひどく痛んだ。ありとあらゆる治療が施されたが、一向に治らなかった。安倍晴明が占ったところ、花山天皇の前世によるものであった。晴明は天皇の前世は優れた行者であったこと、前世の髑髏が大峰の岩の隙間に挟まっていること、雨が降ると髑髏が岩に押されるので痛みを感じるので、御頭を取り出して広い場所に置けば痛みが治まるであろうことを奏上した。天皇が現地に使者を遣わしたところ、谷底に髑髏が挟まっていた。使者が髑髏を取り出して都に帰ってくる頃には、天皇の頭痛は平癒していた。寛和元年(985)十一月、安倍晴明は大嘗会において吉志舞を奉納した。
寛和二年(986)六月の夜、花山天皇は出家のため密かに内裏を出発した。その夜は月がとても明るく輝いていたので、天皇は人に見つかってしまわないか危惧したが、神璽と宝剣が懐仁親王に渡ってしまった今、後戻りすることはできなかった。弘徽殿の女御からもらった手紙を忘れてきたことに気づいた天皇は手紙を取りに戻ろうとしたが、出発するほかなかった。その頃、晴明は家の縁側で涼んでいたところに、帝座の星が突然移動したのを目にした。晴明が帝の退位を示す兆しだと驚いているところに、家の前を花山天皇が通り過ぎた。晴明は大急ぎで参内し、このことを奏上した。

参考:古事談/園太暦/安倍晴明物語

第39話 花山院の熊野参詣

花山院は出家の思い出作りに熊野へ参詣し、熊野三山を巡礼した後、瀧本に卒塔婆を立てました。その銘文には「智證門人阿闍梨滝雲坊 行真」と書かれていました。花山院が修行のために籠もっているとき、天狗が襲いかかってきて修行を妨げようとしました。そこで、晴明は狩籠の岩屋にたくさんの魔類を祭り置き、天狗を撃退しました。こうして、花山院は千日間に渡る修行を成し遂げました。花山院の信心深さに感銘を受けた東海竜王は老人の姿となって地上に現れ、花山院に如意宝珠と水精の念珠、九穴の鮑貝をそれぞれ一つずつ授けました。しかし、花山院は自分のものにはせず、未来の行者のためにと、宝珠を岩屋に納め、念珠を千手堂に納め、鮑貝は滝壺に放ちました。

参考:源平盛衰記

第40話 泰山府君祭

永祚元年(989)二月、藤原詮子が急病を患ったので、安倍晴明は泰山府君祭を奉仕することになった。

参考:小右記

第41話:永祚の風

永延三年(989)八月、都で暴風雨が起こり、酉の刻頃から子の終刻まで続いた。激しい風によって普門寺が焼亡し、右馬寮が倒壊して馬が下敷きになってしまった。安倍晴明が占ったところ、この災害は西の山に棲む幻術を得意とする鬼の仕業であり、源頼光を辺境に下向させれば鬼はいよいよ勢いを増して、必ずや朝廷に災いを及ぼすと奏上した。藤原兼家は、源頼光を奥州に向かわせることは考えていたもの口には出していなかったところ、このようなお告げあったのならば神託にちがいないと大いに驚嘆した。まずは年号を改めて災いを消そうと永祚に改元が行われ、源頼光の奥州下向も延期となった。

参考:前太平記

第42話 酒吞童子との戦い

正暦元年(990)、都の人々が次々に失踪する事件が起こった。安倍晴明が占ったところ、大江山に棲む鬼の仕業だとわかった。大江山には鬼神が住んでおり、日が暮れると都だけではなく近隣諸国の者までも数知れぬ程さらって行くという。攫われるのは、決まって見目麗しい女房であった。そこで、一条天皇は源頼光に鬼神を退治するよう命じた。頼光は勅命を承ったものの、自分たちの力だけでは無理だと思い神仏の加護を祈願することにした。大江山の翁たち曰く、この山の鬼神はよく酒を呑むことから酒吞童子と名付けられ、酒を呑ませれば前後不覚になるという。晴明は翁から神便鬼毒酒を受け取り、この酒を鬼が呑めば力を失い、晴明たちが呑めば薬になると伝えられた。翁たちは、八幡・住吉・熊野の三社の神が人の姿をとって顕れたのであった。晴明たちが翁に言われたとおりに河上を登ると、貴族の娘たちを発見した。彼女たちは家族を恋しく思い、さめざめと泣いていた。河上をさらに登ると酒吞童子の居城があり、夜になると娘たちが召される。入口では酒吞童子の眷属として星熊童子・熊童子・虎熊童子・金熊童子の四天王が見張り番を務めている。彼ら四人の力は例えようがないほどだという。晴明たちは酒吞童子の居城にたどり着き、頼光が都から持参した酒を酒吞童子に勧めた。酒吞童子は盃を受け取って呑んだ。その味は甘露のようであった。酒吞童子は女たちにも呑ませると言って、姫君たちを呼び寄せた。彼女たちもまた、都の貴族の娘であった。酔いが回った酒呑童子は、身の上話をし始めた。さらに、自分の眷属である茨木童子を都に行かせた際に渡辺綱に遭遇したことを話した。その後、酒呑童子は眷属の四天王にも酒を呑ませ、鬼たちは泥酔して床に転がった。この様子を見た頼光は姫君たちに近づき、今夜必ず鬼を倒して都へ返すと約束した。鬼の手足を鎖で繋いで四方の柱に縛り付け、頼光が首を切った。酒呑童子の断末魔は、雷が天地に響くかのようであった。星熊童子や金熊童子など十人余りの鬼たちも倒した。晴明たちは捕らえられていた娘たちを連れて都に帰った。

参考:御伽草子/大江山絵巻

第43話 未定

正暦四年(993)二月、一条天皇が急病を患ったので、安倍晴明が御禊を奉仕したところすぐに平癒した。その功績によって、晴明は正五位上に叙された。長徳元年(995)七月、陣の座において藤原道長と藤原伊周が口論になった。その様子は闘乱かと思うほどであった。その数日後には、道長の従者と藤原隆家の従者が闘乱を起こし、道長の従者が隆家の従者に殺された。八月、晴明のもとに高階成忠の邸宅において法師陰陽師が道長を呪詛したとの報せが届く。その呪詛は、藤原伊周の命によるものだったという。

参考:小右記/百錬抄

第44話 長徳の変

長徳二年(996)一月、藤原隆家の従者が射た矢が花山院の衣の袖に当たった。互いの従者同士が闘乱になり、隆家の従者が花山院の従者を殺めた。花山院は女のもとに通っていたことを知られたくなかったので事件を公にせず包み隠していたが、結局のところ大勢の人々に知られることとなった。三月、藤原詮子の病について安倍晴明が占ったところ呪詛の可能性があるため、寝殿を捜索した。すると、板敷の下から呪物が縛り付けられた土器を発見した。また、藤原伊周が太元帥法を私的に行っている噂もあった。四月、隆家と伊周は花山院を射た罪、藤原詮子を呪詛した罪、太元帥法を私的に行った罪で配流されることとなった。十二月、法師陰陽師が道長を呪詛したことがわかった。

参考:小右記/安倍晴明物語

第45話 泣不動縁起

園城寺の智興阿闍梨は疫病にかかって心身ともに苦しみ、高熱にうなされました。しかし、大法秘法や医療鍼灸のかぎりを尽くしても、一向に効果が見られない。大いに悲嘆した弟子たちは、晴明を呼んで師匠を助けてほしいと懇願した。晴明は智興の様子を見た後、弟子の中から誰かが師の身代わりになればその者の名を都状に記し、泰山府君に祈祷して寿命を取り替えると言った。智興には大勢の弟子がいたが、なかなか名乗り出る者はいなかった。晴明の言葉を聞いてもなお身代わりになろうとする者はいないのであった。弟子たちは互いに顔を見合わせ、しばらくの間静寂が続いた。そこへ、十八歳になる證空という弟子が晴明に身代わりを申し出た。彼は、長年師匠に付き従っていた弟子だった。しかし、師匠に特別気に入られていたわけではなかった。證空は、自分は人生の半分以上を生きたのだから残りの人生もそう長くなく、貧しくて善行を積むこともできないため、自分が身代わりになると決めたのであった。晴明は、證空の志は大いに師の恩に報いるだろうと感動し、ほかの弟子たちも涙を流した。身代わりの祈祷を行う前に、證空は故郷の母に別れの挨拶したいを申し出たので、晴明はこれを許可した。證空の母は證空が身代わりになることを嘆いたが、證空の師匠への想いを受け入れて送り出した。證空が戻ってくると、晴明は泰山府君祭を行い、香の煙が燻るなか祈祷した。すると、智興の病はたちまち平癒し、證空が苦しみだした。師匠が助かったので、弟子たちは證空の死に備えて死穢に触れても構わない部屋を用意し、證空も自分の持ち物を整理して遺言を書き、部屋の中で念仏を唱えた。證空は高熱にうなされ、計り知れないほどの苦しみに苛まれた。眠りについた證空の夢の中に神託があり、證空は助かった。夜が明けても證空が生きていたので、周囲の人々は驚いた。晴明は泰山府君の慈悲によって師匠と弟子ともに助かったと伝えた。師匠と證空は泣いて喜んだ。長徳四年(998)九月の庚申の夜、晴明が殿上に伺候していると、一条天皇をはじめ若い殿上人の多くが眠気を覚えて長い夜を持て余していました。晴明は天皇に何とかして皆の眠気を覚ますよう命じられます。晴明がしばらく祈祷を行うと、天皇の御前にあった剪灯台をはじめありとあらゆるものが一ヵ所に集まって踊り跳ね出しました。しかし、ものすごく激しい動きだっだので皆驚いて震え上がってしまいました。天皇から皆が怖がらないことをするように命じられた晴明は、それならば皆を笑わせてみると申しました。晴明は明るい場所へ算木を運んでいき、置き広げました。殿上人たちは嘲笑しましたが、晴明が算木を置き終えると皆は不思議と可笑しい気持ちになって笑い出しました。天皇も笑いが止まらなくなり、部屋の奥へ入っていきました。笑い声は宮中に響き渡り、笑うのをやめようとしてもやめられませんでした。殿上人たちが晴明に向かって手をすり合わせながら笑いを止めるように懇願すると、晴明は算木を押し崩しました。すると、何事もなかったかのように笑い声は止みました。

参考:今昔物語集

第46話 道長を襲う呪詛

長保二年(1000)5月、藤原道長が病に倒れた。安倍晴明が占ったところ、道長の病は式神による呪詛ではないかということになった。その後、道長の邸宅で呪物が発見された。

参考:小記目録

第47話 陰陽の達者

長保三年(1001)閏12月、藤原詮子が亡くなったことによって、藤原顕光は天応・延暦の先例に倣って追儺を停止すべきだと奏上した。その結果、年末は大祓だけ行い、追儺は中止となった。しかし、安倍晴明が自宅で追儺の祭文を読み始めたところ、都の人々も晴明に呼応してそれぞれ追儺の儀を行った。その噂は朝廷に届き、人々は晴明を陰陽の達者だと評価した。

参考:政事要略

第48話 道満の厭術

藤原道長のもとに早瓜が献上されたが、物忌の期間中だったので、受け取っても良いか晴明が占った。晴明が瓜を調べたところ、一つの瓜から毒気が感じられた。晴明が祈祷をさせると瓜は左右にゆらゆらと揺れ始めた。源頼光が刀で瓜を叩き割ると、瓜の中で小さな毒蛇がとぐろを巻いていた。頼光が瓜を割ったときに蛇の頭も切られていた。長保六年(1004)二月、藤原道長が法性寺の修理巡検のために門に入ろうとした時、連れていた白い犬が道長の前に立ちはだかり、門の中に入れないように吠え回った。道長はしばらく立ち止まって様子を見ていたが、特に変わったことはなかったので再び入ろうとした。すると、犬が道長の衣の裾を加えて引き止めようとした。何か理由があるのだろうと思った道長は晴明を呼び、吉凶を占うよう命じた。晴明はしばらくの間占い、犬が道長を引き止めたのは道の下に厭物が埋められていたからだと伝えた。さらに、晴明は道長に命じられて厭物が埋まっている場所を占い掘り起こすと、土を五尺程ほったところに厭物が埋められていた。そこには、土器を二つ打ち合わせたものに黄色い紙が十文字に縛り付けられていた。土器の中には何も入っていませんでしたが、底に朱砂で一文字が書かれていた。道満の仕業だと察した晴明は懐から紙を取り出し、鳥の形に折って空へ投げた。紙の鳥はたちまち白鷺になり、南方へ飛んでいった。晴明たちが鳥を追っていくと、古民家の中に落ちていくのが見えた。そこは道満の家だった。道満は播磨国へ追放された。

参考:古今著聞集/御堂関白記/宇治拾遺物語

参考宇治拾遺物語 御堂関白御犬晴明等奇特事 現代語訳

犬が神通力によって藤原道長を呪詛から救った説話は、『宇治拾遺物語』『古事談』『十訓抄』などに収録されています。道長が法成寺に入ろうすると連れていた犬に引き止められたので、道長が安倍晴明を呼んで占わせた ...

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第49話 決戦!平安京

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