陰陽道

晴明朝臣入唐伝

『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』(以下、『簠簋内伝』)は安倍晴明が編纂したとされる陰陽道の実用書。
実際は、晴明の死後作られたものである。

「序 晴明朝臣入唐伝」は、本書が晴明直伝の秘伝書として伝わっていく過程を描いたものである。

『簠簋内伝』とは

『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』書名の意味

「三国相伝」は、この書がインド(天竺)〜中国(震旦)〜日本の三国に伝承されたことを表している。
「陰陽輨轄」は、陰陽の二つの気を漏れなく管理することを表している。
「簠簋」は古代中国の神祭りの祭器で、「簠」は外側が大地を意味する四角で内側が天を意味する円形の祭器、「簋」は外側が円形で内側が四角の祭器である。
陰陽の気のさまざまな組み合わせを象徴しているのがこの簠簋である。

簠(ほ)
簋(き)

「内伝」は、これが表立って公表されていない秘伝書であること、「金鳥玉兎」は「金鳥」が太陽の化身である烏、「玉兎」は月の化身である兎であり、日月(陰陽)の象徴であることを表している。

構成

  • 序:本書が日本に伝来するまでの過程。
  • 一巻:牛頭天王縁起、方位の吉凶。
  • 二巻:盤牛王縁起、暦の吉凶。
  • 三巻:陰陽道占術の諸理論。
  • 四巻:風水・建築の吉凶。
  • 五巻:宿曜道。

序 晴明朝臣入唐伝

晴明、伯道上人の下で修行する

安元年中(1175〜1177)の3月、清明節の頃、晴明は帝の命を受け殿上で陰陽の占いを行い、怪異の災いを解決した。
その後、晴明は高級官僚の位に上り正四位殿となり、縫殿頭ぬいどののかみに任ぜられた。同時に、陰陽博士と主計権頭かずえのごんののかみにも任ぜられた。

清明節
人々がお墓参りをして先祖を祀り、野山に出かけて遊ぶ民間の祭日である。
旧暦3月、春分から15日目に当たる節日に行われる。

さて、天地陰陽の理を受け継いで伝えよと入唐を命じられた晴明は、その年の中秋8月の白露節に天皇の印符と奎章を賜り鎮西薩摩の浜で巨大な船を建造した。
こうして吉日を選び唐へ出発し、明州の港に着いた。

ある者に「天地陰陽の理を体得している方はどこにいらっしゃいますか」と尋ねた。
すると、その者は「その人なら、雍州城荊山の麓にいる。伯道という人を尋ねるといい」と答えたので、晴明は荊山の伯道上人のもとに進み、ついに弟子となったのである。

伯道は晴明に、弟子となる際に必要な三機(志・奉公・報謝)はあるか尋ねた。
晴明は、「志がなければ万里の波濤を越えて貴方に会うことなどできません。奉公なら、どのようなことでもお命じください。ただ、報謝については、遠い海の彼方からやってきたものですから、存分にというわけにはいきません」と答えた。

すると、伯道は晴明に毎日三度ずつかやを刈るよう命じた。
そうして修行に明け暮れているうちに年月が過ぎ、萱と柱を用いた堂閣が完成した。
伯道は赤栴檀しゃくせんだんの木で文殊菩薩の尊像を彫り、堂閣に納めて聖霊山と名付けた。

そして、伯道は晴明に文殊菩薩との因縁を語った。

伯道が小舟に乗って川に漕ぎ出し、崇陵の渚にたどり着くと、悟りを得たように見える子供が一本の流木に乗ってきて、「あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と問うた。
伯道が「私は天地の内に孕まれて震旦国に生まれました。いまだ天道の理を理解しておりません。それで、一人さびしく江湖の魚を採り、自然を眺めているのです」
伯道の話を聞いた子供は、そんな生活をしていては天道の理など分かるわけがないと嘲った。
伯道がどうやって天道の理を知るのか尋ねると、子供は伯道を天竺の聖霊山へ導いた。
実は、その子供の正体は文殊菩薩であった。
伯道は文殊に与えられた共命鳥ぐみょうちょうに乗って世界を飛び回り、芥子粒のような国々を見た。
このとき、仏法の奥蔵を深く理解し、天道の理を悟るに至った。
その後、伯道は荊山に戻って聖者となり、苦集滅諦の四つの真理の法縁を観じた。

晴明、妻を寝取られる

伯道は晴明に一巻の書を授けた。
晴明はその書を『文殊裏書陰陽内伝集』と名付けた。

修行を終えて日本に帰ってきた晴明は、書を石の箱に納め、神祭の祭器として使う簠簋に納めた天神への供物同様決して開けず、長い年月が過ぎた。

ある日、晴明は用事があって出かけた。
すると、弟子の道満が「自分が師匠の下で修行をしてきた成果のしるしはあるのだろうか」と晴明の妻梨花に尋ねた。
梨花は、「一つ石箱があるのは知っていますが、中身は知りません」と漏らしたので、道満は箱を開けて見せるように迫った。
すると、箱のふたには縦に「拍」という一文字が書かれており、「うつ」という訓みが振られていた。

そこで道満が手を拍ってみると、ふたが開いた。
梨花はその書を道満にこっそり書き写させ、書写が終わった後で元の箱に戻した。

ある時、道満は晴明にこう言ってきた。

道満

お師匠さま、私は夢の中で天竺の聖霊山に行きました。
そこで、偶然にも文殊大聖尊にお会いしたところ、文殊は私に一巻の書をお授けくださいました。
その書の名は『金烏玉兎集』といって、天地陰陽の理を知ることのできる書です。

晴明

はるか昔、私の師匠伯道和尚は一日中真理を求めて頭を垂れ、修学に励んだ。
ついに悟りの境地に至り、文殊菩薩に助けられて三界の芥国をくまなく飛び回ったのだ。そうして陰陽の理を明らかにし、それを伝えた明鏡の書を『金烏玉兎集』と名付けたのを、私が改めて『簠簋袖裏伝』と名付けた。
どうして私以外のものがこの書について知ることがあろうか。
夢で金の玉を手に入れたとしても、目覚めた時はその手に玉が握られているはずもない。

晴明と道満はしばらく言い争っていたが、ついに首を掛けようという話になった。
道満は懐から書を取り出して、晴明に示した。その書は、晴明が持っていた書と一言半句も違いがなかった。
道満は勝ち誇ったように、誤っていたのは貴方だと言って晴明の首をはねたのであった。

晴明の復活

晴明が首をはねられたちょうどその時、荊山が燃えて亡くなった。
伯道は不思議に思って天竺の穀成山に行き、泰山府君法を勤修した。

晴明の死を悟った伯道は深く悲しみ、人に尋ねながら晴明が埋められている塚までやってきた。
伯道は塚を掘り返し、小石をはねのけて晴明の屍を見た。
伯道は生活続命の法を修して晴明を蘇らせた。

伯道は晴明に「お前の敵は、この儂が討つ」と言って道満の家に行き、敢えて晴明はいるか尋ねた。
道満が、晴明は人と争って首をはねられたと言ったので、伯道は少し前に晴明に会ったと話した。
道満は、もし晴明が生きていてここに来ることが会ったなら、自分の頭をかち割っても構わないと言った。
その時、晴明が悠然とした様子で現れた。
こうして、道満の首ははねられた。

晴明は、道満が書き写した『金烏玉兎集』を焼き捨て、梨花も殺害した。
そして、この書は蘇生後に再び書き直した書のため、処々に口伝等がある。その道に通じた師に習い解き明かすよう伝えた。

「七の子は産むとも女人には心を許すな。千日の萱刈りの修行も一日で滅す」ということわざがある。

  • この記事を書いた人

やみみん

FGOの考察ブログです。 妄想9割、真面目な考察が1割なので基本当たりません。 Twitter→ @yamimiin

-陰陽道

© 2021 Studio Yamimin Powered by AFFINGER5