古代中国において天文観察の基準となった星を『辰』という。
最初は特定の星を指すものではなく、蠍座のアルファ星やオリオンが辰とされたこともあった。
前2世紀頃、人々は夜空の北にひとつの動かない星を見つけ、その星を人間界の天子だと考えた。
こうして辰は北極星あるいは北斗だと見なされるようになり、北に輝く星(辰)=北辰信仰が生まれた。
北辰は、北極星や北斗七星を含む紫微垣あるいは天の中宮(天帝の住居)と呼ばれた中心に座す天帝を表している。
不動の北辰の周囲を他の星が回転しているように見えるので、天帝の座所と定められた。
そのため、中心に座す北辰は太一や天一と呼ばれた。
また、昊天上帝、玄天上帝、北極大帝、天皇大帝、北辰聖神星とも呼ばれた。
8世紀後半、中国で密教と道教が融合し多数の雑密経典が作られ、9世紀に日本に流入した。
9世紀後半から陰陽師による属星祭や本明祭が執り行われるようになった。
太一・天一
太一は根源の道という意味で、天一は天で唯一のものという意味である。
太一・天一の成り立ち
殷代、中国では天の北極がこぐま座のベータ星の近くにあったので、この星が太一・天一であると考えられた。
しかし、北極星は毎秒17キロメートルで太陽系に近づいているため、ベータ星が少しずつ北極から離れていく。やがて、天の北極とこぐま座のベータ星およびアルファ星がほぼ等距離で並ぶことになる。
さらに、
太一:天の中宮の紫門の外の右側のりゅう座の南にある星
天一:中宮の外にいる神
この認識が広まったことによって、太一・天一は北極星ではなくなり、天帝そのものから天帝の部下と見なされるようになった。天の右大臣と左大臣である。
また、太一は周囲の四星や十二星とともに紫宮(紫微宮)と呼ばれたが、紫は五行で最も貴い色とされている。
北極紫微大帝
道教の神。紫微宮に住んでいるため、こう呼ばれている。
元始天尊の第五化身で三界の星や鬼神を統括する。
雷や風雨を使役し、天の中央で玉皇上帝の命を受ける神である。
誕生日は旧4月18日。
天一
室町時代の陰陽家・賀茂在方の『暦林問答集』(1414)によると、天一とは地皇の霊で太一は人皇の霊であり、この太一・天一の両神を最も尊い星だとしている。天一は戦闘を司り吉凶を知る。太一は風雨・水旱・兵革・飢疫・災害を司り九宮(紫微宮に八方位を加えた数)を遊行するという。
さらに、九宮を遊行する時は人頭蛇身や人頭魚身、人頭鷹身、人頭鶏身などに姿を変える。
北斗七星
七星
- 貪狼星
- 巨門星
- 禄存星
- 文曲星
- 廉貞星
- 武曲星
- 破軍星
第一星 貪狼星(正星)
天を管轄し、陽徳を司る。
第二星 巨門星(法星)
地を管轄し、宮刑を司る。
第三星 禄存星(令星)
火を管轄し、災難を司る。
第四星 文曲星(伐星)
水を管轄し、道徳に背く者を伐つ。
第五星 廉貞星(殺星)
土を管轄し、罪ある者を殺す。
第六星 武曲星(危星)
木を管轄し、天の倉庫の五穀を守る。
第七星 破軍星(部星)
金を管轄し、兵や戦争を司る。
天の車
天の中央に座す太一・天一が北極から動かない時は、世界も動かない。
そのため、太一・天一は天の車である北斗七星に乗り、1年かけて宇宙を一巡し五行の気を循環させた。
南斗六星との関係
南斗六星は、古代中国において皇帝の祖先の霊を祀る『天廟』であり、天子の寿命を司る。
天を支配し、祖霊と寿命を司る北斗と南斗から成る南北軸は最も神聖な軸として崇拝された。
この南北軸は王権と連動した軸として認識され、皇帝の権威と重ね合わされた。
伊勢神宮における北斗信仰
伊勢神宮・伊雑宮の御田植神事で使われる高さ9メートル程の巨大な扇には「太一」と書かれている。
神宮最大の神事である杣始祭でも「太一」と書かれた幟が立てられる。
ほかにも、「心の御柱」に捧げられる食事に用いられる牡蠣や海松は、かつて「太一」の旗が立てられた櫃に入っていて、各地から神宮に搬入される御贄を運ぶ船の旗印も「太一」だったのである。
日本の神々と習合
こうして太一・天一は伊勢神宮の神事に取り込まれ、日本の最高神である天照大御神と習合した。
乗り物である北斗七星は、外宮の豊受大神と習合し、「天照大神が豊受大神に乗って宇宙を循環し、統治する」という図式が描かれた。
伊勢神宮の祭神で、天照大神が食べるものを調達する。この役割が発展して食物神として考えられるようになり、同じく食物を司る神である宇迦之御魂神と習合し、同一視されるようになった。
北斗真君
北斗七星を神格化した道教の神。
人間の寿命・富貴・貧賤を司る。
ある時は真皇老人の命を受けて天・地・水の三官とともに地上の人間や死者たちの善悪を調べ、またある時は四方を巡り人民の生死禍福を司る。
人間が悪事を働くと三官が北斗に報告し、北斗は悪事を働いた人間が地獄から出られないように地獄の王に命じたり、罪人の魂を司るともいう。
三箇の悪日
三箇の日取り(大禍日・狼藉日・滅門日)は、貧窮・飢渇・障碍の三神や貪欲・瞋恚(怒りや憎しみ)・愚痴の三毒が現れる日である。
唐の陰陽家・桑道茂曰く、これらの悪日のうち大禍と滅門は歳月に現れた北斗七星のことである。
北斗七星には人の運命を暗転させたり、死をもたらす神という暗黒面があるのだという。
北辰菩薩
北斗信仰
『陀羅尼雑集』において、北辰菩薩は「衆星中の最勝、神仙中の神仙、菩薩の大将」とされ、あらゆる利益を持つとされる。
中でも、「死を除き、生を定め、罪を滅し、福を増し、年齢を益して寿命を延ばす」のが北斗信仰の中心となっている。
北辰菩薩経
『北辰菩薩経』によると、北斗七星に祈れば現世の福を獲得し、来世は天上に生まれ、地獄で苦しむ先祖たちは極楽世界に転生し、鬼魅・悪夢・怪異は去り安寧を得て、立身の希望は叶い、病は癒え、財貨を掴み、牧畜もうまくいき、妊婦は安産で生まれた子はみな端正長命だと説かれている。
魁星符
魁星は北斗七星の柄杓の水を汲む部分の四星の総称である。
文章を司る神として信じられ、科挙の守護神として厚く信仰された。
右手に筆を持ち、その上に北斗七星が描かれている。
陰陽道における北辰
陰陽道において北辰は宇宙根源の神とされ、この星から日月が生じ、五を生じて五星になり、五行となったと考えられている。
さらに五行からは人が生じるため、人間の根源をたどると北辰に達するといわれた。
北辰祭祀
四方拝
四方拝の手順
①午前4時、天皇は清涼殿の東庭に設けられた三個所の御座所の内、属星を拝するための座へ笏を持って出御する
②着座した天皇は北に向かって、その年にあたる北斗七星中の当年属星の名と字を唱える
- 第一星 名:貪狼 字:希神子(子)
- 第二星 名:巨門 字:貞文子(丑・寅)
- 第三星 名:禄存 字:録会子(寅・戌)
- 第四星 名:文曲 字:微恵子(卯・酉)
- 第五星 名:廉貞 字:衛不隣子(辰・申)
- 第六星 名:武曲 字:大東子(巳・未)
- 第七星 名:破軍 字:持大景子(午)
③天皇は十二支の年に配当された属星の名と字を7回唱え、北に向かって再拝し以下の神呪を唱える。
賊寇之中過度我身、毒魔之中過度我身、危厄之中過度我身、毒気之中過度我身、五兵口舌之中過度我身、五危六害之中過度我身、百病除癒、所欲従心、急急如律令
(いかなる災厄も我が身を害することなく通り過ぎ、一切の病は癒え、意のままに事が進むよう速やかに天帝の勅命を行え)
④神呪を唱えた後は北に向かって再拝し、天地を拝する座に移る。西北に向かって地を拝し、四方の天を拝する。それから第三の座に移り、笏を正して先祖が眠る山陵を拝して、四方拝が終わる。
宇多天皇による四方拝
寛平2年(890)元日、宇多天皇による四方拝が行われる。
この時の四方拝は、古代からあった四方の神々を拝する儀礼に北斗祭祀を組み合わせ、宝祚の安泰と延命長寿を祈るために弘仁年間(810〜824)には行われ始めた朝議だと考えられている。
御燈(北辰奉燈)
毎年3月3日と9月3日に京都北山の霊厳寺で天皇が北辰に御燈を献じ、『北進菩薩陀羅尼経』を読む。
それから、神呪を唱えて国土安泰を祈願する。
霊厳寺は円行が開いた密教寺院で妙見菩薩を祀っている。
現在は廃寺となっている。
妙見菩薩
北極星・北斗七星の化身
妙見菩薩は北極星・北斗七星の化身である。
”菩薩”と呼ばれているが、実際は天部の神である。
僧・沢了の『鎮宅霊符縁起集説』によると、鎮宅霊符の尊像が妙見菩薩であるという記述がある。
参考資料
「陰陽道の本―日本史の闇を貫く秘儀・占術の系譜」 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 6) 学研プラス、1993年
藤巻一保 「秘説 陰陽道 」戎光祥出版、2019年
- 窪 徳忠「道教の神々」平河出版社、1986年