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『哲学と宗教 全史』を読んだ(前編)

「哲学と宗教 全史」第1章〜第6章の内容メモです。
ゾロアスター教、ヘレニズム、儒教、仏教などが登場します。

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第2章 世界最古の宗教ゾロアスター教がその後の宗教に残したこと

ゾロアスター教とは

BC1000年頃、古代ペルシャ、現代のイラン高原の北東部にザラシュトラという宗教家がいた
そのザラシュトラの英語読みがゾロアスター

ゾロアスター教はペルシャを中心に中央アジアを経て中国(唐)にまで広まった
(中国では祆教と呼ばれた)
サーサーン朝の時代に国教となり、経典も整備された

マニの登場とゾロアスター教との関係

3世紀に入ってゾロアスター教の経典『アヴェスター』が編纂された
ザラシュトラの言葉と彼の死後に付け加えられた部分で構成された全21巻から成る経典

シャープール1世の時代、宗教家マニが現れる
→彼はゾロアスター教の善悪二元論をさらに徹底させた
ユニークな人物で、自分の教えを舞踏によって伝道した”踊る宗教家”
マニの教えは東の中国、西の北アフリカにまで広まった

しかし、シャープール1世の死後ゾロアスター教の神官カルティールがマニ教を攻撃し、マニ自身も刑死
サーサーン朝の4代目バハラーム1世の時代にカルティールがバハラーム1世を説得し、ゾロアスター教を国教に引き上げさせた
サーサーン朝はイスラム帝国によって滅亡、ペルシャはイスラム教の支配下になる

善悪二元論と最後の審判

最高神アフラ・マズダー

ゾロアスター教の最高神はアフラ・マズダーが創造した世界には善い神のグループと悪い神のグループがあり、彼らはいつも争っている

善い神のグループは守護神スプンタ・マンユを筆頭とした七神
悪い神のグループは大魔王アンラ・マンユを筆頭とした七神

ソロアスター教では宇宙の始まりから終わりまでを1万2000年とし、それを3000年ずつ4期に分けた
今は善悪の神々が激しい闘いを繰り広げている時代で、苦しい日々は悪い神が優勢な時、楽しい日々は善い神が優勢な時なのだと教えた

1万2000年が経ち戦乱の時代が終わるとき、アフラ・マズダーが最後の審判を開き全人類の善悪を裁く
悪人は地獄に落ち、善人は天国へ
そのために現世で三徳(善思・善語・善行)を積まなければいけない

祖霊信仰

ゾロアスター教では精霊の存在が信じられている
死んだ祖先は自分の霊を守護してもらうために、自分と縁のある生者の守護霊になる
だから祖先を大切に祀りなさい、と教えた

拝火教

ザラシュトラはアーリア人だが、彼らはカスピ海の北方に住んでいて、インド→イランと大移動をした
民族大移動の途上でアゼルバイジャンのバクー地方を通ったが、この地方は石油の大産地で自然発火が見られる場所だった
どんな天候でも燃え続ける火を見て、彼らは敬虔な感情を抱いた
そうしてバラモン教の火の神アグニが誕生し、ザラシュトラにゾロアスター教を想像させる契機となった

第3章 哲学の誕生、それは”知の爆発”から始まった

BC5世紀頃、鉄製の農機具と温暖な太陽の恵みを受けて農作物の生産力が急上昇
→余剰作物が大量生産されて、貧富差が拡大
財産にゆとりのできた富裕層は現代で言う芸術家や知識人に食事を与えて遊ばせておくようになった
→”知の爆発”が起こり、哲学的思考が広まった

哲学の祖タレスと自然哲学者が考えた「アルケー」

ミュトス(神話・伝説)の時代とロゴス(言葉)の時代

ホメロスやヘシオドスがギリシャ神話を体系づけた『イリアス』『オデュッセイア』『神統記』というエーゲ文明の諸神話を融合させながら完成させたものを記した
この時代の人々は世界は神が作ったものだと信じていたので、ミュトス(神話・伝説)の時代と呼ばれた

しかし枢軸の時代になると学者たちは世界は神が作ったものではなく、世界には根源があるはずだと考え始める
この考えをロゴス(言葉)と呼び、「万物の根源」をアルケーと呼んだ
そして、ミュトスではなくロゴスによってアルケーを考えることを最初に提唱した哲学者がタレスである

アルケーは水である

タレスはイオニア地方出身だったので、彼に繋がる哲学者たちはイオニア派と呼ばれる
(自然探求の立場から自然哲学者ともいう)

タレスはアルケーを水と考えた

「万物は流転する」

ヘラクレイトスの思想は「アルケーは水だとか火だとか言っているが、万物は流転し変化していく」というもの
変化と闘争を万物の根源とし、その象徴を火とした

アルケーは原子である

デモクリトスはアルケーはアトム(原子)だと考えた
→物質を細分化していくと、これ以上分解できない最小単位の粒子(アトム)となり地球や惑星、太陽を構成するから
そしてそのアトムによって構成された物体と物体間の空間は空虚(ケノン)であると考えた

第4章 ソクラテス、プラトン、アリストテレス

ソクラテス

ソクラテスの時代、アテナイでは弁論術や修辞法が盛んで市民が雄弁を競い合う弁論大会も開催されていた
中には「ソフィスト」と呼ばれるお金を貰って弁論術を教える人々もいた

ソクラテスの弁論は相手にさまざまな質問をしてその答えを論破しながら物事の核心に迫るという対話方式だった
彼が教えようとした命題は「不知の自覚」と呼ばれるもの

不知の自覚

世界は広くて複雑であるにも関わらず、人間は自分たちが何でも知っていると思いがちである。それは愚かであり、不知の自覚を怠ったがゆえに驕り高ぶる人がたくさんいる。人間の知性は神と比べれば無に等しいことを自覚することから哲学は始まる、という考え。

ソクラテスは問答を仕掛けて相手に不知を自覚させようとしたが、そのためには相手が不知であるがゆえに主張していることを論破する必要がある
相手がソクラテスに嫌がらせや妨害をしてくることもあったが、ソクラテスは一切動じなかった

ソクラテスは彼が論破した人々に逆恨みされ、告訴される
ソクラテスは裁判で反論するが死刑になり、毒人参の杯をあおって刑死してしまった

プラトン

イデア論

プラトンによる洞窟の比喩
①人間は物心ついてから大人になるまで身体を固定されて地下の洞窟の壁に向かって腰掛けている
②ずっと壁面だけを見て生きてきた人間は、そこに映る影が真実であると考える
③環境が変わらない限りは自らの誤認に気づかない
④もし自由の身になって火を見ようとしても、陰に見慣れているから火を見た瞬間目がくらんで見ることができない
⑤眩しさに慣れて影の本体(=物事の真実の姿)を見た後に元の壁面を見ると、今度は暗闇に戸惑って影がおぼろげにしか見えなくなる
⑥実体を見た人がずっと影を見ている人に真実を語っても、実体を見たことがない人はその姿を信じられず、火を見た人を疑ってしまう

プラトンは「物事にはイデアという本質があり、自分たちが現世で見ているのは本質の模造品である」と説いた

アリストテレス

中庸

人間の行為と感情における超過と不足という両極端の中間に徳が存在する
都市国家において、人間の幸福は中庸の道を採って政治を行うことで実現される
→”善”は共同体によって実現される

第5章 孔子、墨子、ブッダ、マハーヴィーラ

孔子

「礼」の実践

「礼」とは、社会の秩序を保つための生活規範
さまざまな身分の人々が豊かに生きるためには、この「礼」が大切だと説いた
また、代々の親を大切にすることに繋がるとして祖先崇拝も重んじた

「仁」の実践

「仁」とは自分の欲を克服し他人への思いやりを大切にする心

孔子が理想とした政治の原点は「礼(祖先崇拝)と仁(身分制度を認めた上での人道主義)」
しかし、当時は力こそが正義だった
諸侯たちは孔子の思想を手本とすることはできないと考え、彼を政治顧問として登用することはなかった

しかし孔子の死後、漢王朝以降の中国王朝が儒教を重んじた
孔子を師とする学派は”儒家”と呼ばれ、彼の教えは”儒教”と呼ばれた
そうして儒教は中国の政治・倫理思想の軸となって生き続けた

「修身斉家治国平天下」

「天下を治めようとするならまず自分が努力して立派な人になれ。次に家族を愛し平和な家庭をつくれ。そして天下を平らかにせよ。この順序が大切なのである」という教え

この教えは権力者たちに重用された

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墨子

兼愛思想

墨子が孔子の仁愛思想について指摘したこと
①身分社会の存在を前提としている
②家族を大切にすることを第一に掲げることは、他者への無条件な愛を二の次とすることにつながる
→不平等であって、真実の愛ではない

墨子は老若男女貧富を問わず皆平等に尊重されなければいけない、と説いた。
また、「敵国への愛を重んじて憎しみを捨てれば、そこに平和の道があるはずだ」とも言った。

非攻思想

墨子は「誰かが罪を犯せば非難されるが、一国の君主が他国を侵略したくさんの人を殺しても罪に問われないのは弾劾される行為ではないのか」と考えた。
墨子は攻める行為を封印せよと主張し、もし攻められても防御に徹しろ、理不尽な相手であれば戦えと説いた。

節葬思想

墨子は「国を治めるためには財貨は合理的に無駄なく使用すべきであり、いたずらに浪費して民衆の苦しみを増やしてはならない」と説いた。
彼は節約の思想を説き、これを「節用」と表現した。さらに節用の理念を踏まえて「節葬」を強調した。

ブッダ

八正道

正しい見解・決意・言葉・行為・生活・努力・思念・瞑想
日々の生活の中で正しい行いを持続することの難しさに耐えて実行する強い意志が輪廻転生の苦しみから抜け出せる人格に導くのだと説いた

マハーヴィーラ

ジャイナ教

苦行と瞑想に充填を置き、不殺生を説いた

第6章(1) ヘレニズム時代にギリシャの哲学や宗教はどのような変化を遂げたか

ヘレニズム時代→BC330〜BC27年

ヘレニズムの由来は古代ギリシャ人が自らを「ヘレネス(ヘレネの子孫)」と呼んだことによる

四大学派
  1. アカメディア
  2. リュケイオン
  3. エピクロス派
  4. ストア派

エピクロス

快楽主義

エピクロスの定義する「快楽」は身体的に苦痛を感じることなく、精神的に不安がない静かな状態でいること
これをアタラクシア(心の平静)という

パトス

人間の心には現世の快楽に影響されてしまうパトスがある
パトスに対する理知的な精神や持続的に持っている性質をエートスという

エピクロスはパトスに精神が犯される機会を断ちなさいと教えた

そして人生において心の平成を保つために世間から隠れて生きろと説いた

ストア派

創始者はゼノン
彼がアテナイの中心となるアゴラのストア・ポイキレと呼ばれる彩色柱廊で講義をしていたことから”ストア派”と呼ばれるようになった

アパテイア

幸福とは徳を追求した結果として得られるパトスに動揺しない心に至ることだという考え

ストア派は4つの形状(知恵・勇気・正義・節制)が最大の徳であると考えた
そして悪徳(無思慮・臆病・不正・放埒)と戦う

第6章(2) ヘレニズム時代に中国では諸子百家の全盛期が訪れた

主な諸子百家

・儒家
・墨家
・法家(法を重んじて信賞必罰を定め、権力を君主に集中させ民を治めることを説く)
・名家(名(言葉)と実(実践)の関係を明らかにしようとする論理学派)
・道家(老子が祖で、莊子の時代に大成)
・兵家(春秋・戦国時代の兵法を論じた)
・陰陽家

孟子の性善説

人間は元々立派な本性を持っているから、きちんと教育すれば皆主体的に努力するようになる、という考え方

荀子の性悪説

人間は元々賢くないので、社会システムや制度を上手に打ち立てて半ば強制的に教えなければダメだ、という考え

「人間は元々善人として生まれてくるのか、悪人として生まれてくるのか」というよりは「教育に大切なことは個人の主体的な努力なのか、社会システムとして教育の場を整備することなのか」という論争

第6章(3) ヘレニズム時代に旧約聖書が完成して、ユダヤ教が始まった

BC597年、ネブカドネザル二世がユダ王国を制圧、バビロン捕囚を行う

ユダヤ人たちは約60年に渡ってバビロンで暮らした
新バビロニア王国がアカイメネス朝のキュロス2世に滅ぼされたとき、キュロス2世がユダヤ人を解放
ところが、ほとんどのユダヤ人はバビロンを離れなかった
祭祀階級をはじめとした人々はエルサレムへ帰り、破壊されたユダヤ神殿を再建
自分たちのアイデンティティを確立するために旧約聖書を作り始めた

選民思想

自分たちは今苦しみの中にいて不幸だが、元々は神に選ばれし民である、必ず救世主が表れて自分たちを救ってくれるのだという考え

第6章(4) ギリシャ王が仏教徒になった?ヘレニズム時代を象徴する『ミリンダ王の問い』

ヘレニズム時代はアレクサンドロス大王の指揮のもと大勢のギリシャ人たちが東方へ向かい、「ポリスが空っぽになった」時代でもあった

しかしギリシャ人たちが積極的に世界へ進出し、グローバリゼーションを実現させたことも事実

アレクサンドロス大王の死後、ギリシャ人はセレウコス朝〜バクトリア王国〜インド・グリーク朝と進出した
その8代目の王がメナンドロス1世(インドでの呼称はミリンダ)

ミリンダ王の問い

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ミリンダ王がインドの仏教僧ナーガーセーナにさまざまな質問を投げかけ、ナーガセーナが回答する
⇒ギリシャ哲学と原始仏教の接触

そうしてミリンダは仏教に興味を持ち、仏教徒になったという

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