今回は密教が陰陽道にもたらした影響、陰陽道で重視される北極星と日本神話における蛭子神の解説です。
また、これまで仏教の十界曼荼羅、密教の両界曼荼羅について紹介してきましたが、今回は密教占星術が元になった星曼荼羅を紹介します。
"星の宗教"としての陰陽道
古代における天文とは、星の動きの意味や吉凶を探り、星を祀って災いを鎮める呪術の一種でもあった。
また、中国から宿曜道(密教占星術)、星に関する経典の伝来によって黄道十二宮や七曜・九曜が流入し、陰陽道と道教が重んじた北斗信仰と密教が習合した。
陰陽道と星
陰陽道において星は地上の吉凶を司る神そのものであった。
星は占いの対象であるとともに信仰の対象でもあった。
天智天皇3年(670) 唐の天文博士・郭務悰が『属星祭』を伝えた。
星辰信仰
星辰の祭祀は陰陽道祭祀の大半を占め、陰陽道の神々もこの星辰から派生したものが多い。
北極星
古代中国ではあらゆる星が北極星を中心に巡っていることから、北極星を最高神として崇拝するようになった。北極星の位置する星座は”中宮”と呼ばれ、天帝の住まいとして拝された。そのため、北極星は天帝の化身だと信じられていた。
陰陽道においても北極星は宇宙根源の神とされ、この星から日月五惑星が生まれ、それが五行になったといわれる。「人間の根源をたどれば自ずと北辰(北極星)に達する」ともいわれる。
- 泰山府君祭
- 鎮宅霊符神祭
- 玄宮北極祭
属星祭
その人の本命星(命運を司る星)を祀る。
生まれ年と日の干支により、北斗七星の中のいずれかの星が本命星に配当される。
北極星と蛭子神
曲亭馬琴(『南総里見八犬伝』の作者)は日本神話に登場する蛭子神は北極星を司る神だという説を提唱した。
馬琴は、「イザナギとイザナミは日の神(天照大神)と月の神(月読尊)を生み、星の神(蛭子神)と辰の神(素盞鳴尊)を生んだ」と結論づけ、三貴子の神生みは実は四貴子だったのだと述べている。
蛭子神とは
『古事記』においては、イザナギとイザナミの最初の子どもだったが、不具の子(女人先唱といって、イザナミの方から誘った)であったため葦の船に乗せて流されたと伝えられている。
『辺獄』とは
金星(太白星)
「宵の明星」「明けの明星」の名で呼ばれる金星は、「宵の明星=太白星」、「明けの明星=明星」としてそれぞれ祀られている。
太白星の方角は凶とされ、この星が他の星や星座に接近したり通過するのが観測されると政変が生じるといわれる。
一方、明星は星の宮として祀られ、求聞持法(虚空蔵菩薩の応化として記憶力の増進を祈念する)は明星の呪法であるともいわれる。
真言・天台密教の流入
平安時代、最澄と空海が唐から持ち帰った密教信仰が盛んになり、陰陽道とも密接に結びつくようになった。
密教占星術
9世紀初頭、空海が『宿曜経』を伝えてから本格的な研究が始まった。
後に『宿曜道』と呼ばれるようになったが、この宿曜道では陰陽師が扱う二十八宿、日月五惑星が占いの対象だった。
密教占星術の二十八宿はインドのもので陰陽道で扱う二十八宿の元になっている中国のものとは異なっていたが、日本においてはこれらが混同されて一つのものになった。
やがて密教占星術の流行は星曼荼羅となり、星神の重視にも繋がった。
また、密教が北斗七星を妙見菩薩(吉祥天)と習合させて祀ったことから、北斗信仰も民間に広まっていった。
そしてこの妙見菩薩と信仰される北辰(北極星)が陰陽道における鎮宅霊符神である。
陰陽師が鎮宅霊符神を祀り住居の邪気を祓ったことで、重要な神として位置づけられるようになった。
天台密教で最もスケールが大きい大曼荼羅供では、十六天、十二宮神、北斗七星、二十八宿その他70天にのぼる星神が供養されている。
七星如意輪曼荼羅

如意輪観音を中心に置き、北斗七星と訶梨帝母を配している。
妙見曼荼羅

中央に座しているのは妙見菩薩で、密教において北極星を象徴している。
妙見菩薩が持っている宝珠は太陽(金鳥)と玉兎(月)の象徴である。
陰陽道において天地陰陽の理を知ることができる秘伝書の名も『金烏玉兎集』である。
参考資料
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