日本神話

大国主―国造りの神

基本情報

『古事記』『日本書紀』ともに大国主神と記される。
大国主の名前は大いなる国土(出雲国)を治める王という意味で、『古事記』に「始めて国を造りたまひき」とあるように、国造りの神として信仰されている。

『古事記』の大国主

須佐之男命の6世の孫で、天之冬衣神と刺国若比売との間に生まれた。
4つの異名(大穴牟遅神・葦原色許男あしはらしこお神・八千矛神・宇都志国玉うつしくにだま神)をもつ。

大穴牟遅神の「チ」は自然神の霊威に当てられる音で「地」を意味し、「大地の神」を表している。
宇都志国玉神の「国玉」は国土の霊魂を表す。

『日本書紀』の大国主

八段一書第一に清之湯山主三名狭漏彦八嶋野の5世の孫であり、同段一書第六に異名として大物主神・国作大己貴命・葦原醜男あしはらのしこお・八千戈神・大国玉神・顕国玉神の名が書かれている。
葦原醜男の「シコ」は葦原のように野生的で力強い男、という意味で、八千矛神の「八千矛」は武力・軍事力の象徴である。
「大国主神」としての名前はない。

大国主が関わる主な神話

大国主を主人公とした神話は以下の5つである。

大国主が主人公の神話
  1. 因幡の白兎神話
  2. 根の国神話
  3. 八千矛の神神話
  4. 国造り神話
  5. 国譲り神話

因幡の白兎神話

『古事記』のみ記載。

出雲国に大国主という神様がいた。大国主には兄弟がたくさんいて、その中でも一番心の優しい神様であった。
兄弟は因幡国に八上比売という美しい姫がいると聞き、皆で会いに行くことにした。
大国主は兄弟たちの荷物持ちとなり、一番後ろを付いていった。

兄弟が因幡国の気多岬を通りかかった時、体の皮を剥ぎ取られて泣いているうさぎがいた。
兄弟はうさぎに「海水を浴びて風に当たるとよい」と意地悪な嘘をついた。
うさぎは嘘を信じて言われるがままにしていたので、傷がひどくなってヒリヒリ痛みだした。
泣いているうさぎのもとに大国主が通りかかりなぜ泣いているのか聞くと、うさぎは皮を剥かれてしまった理由を話した。

隠岐の島に住んでいたうさぎは一度出雲国に行ってみたいと思っていたが泳げないので、泳がないで渡る方法を考えていた。
そこへワニがやってきたので、うさぎはワニを利用して海を渡ろうと思いついた。
うさぎはワニにどちらの仲間の数が多いか比べようと持ちかけた。
うさぎはワニが背中を並べているのを数えるふりしながら、向こう岸まで渡っていった。
しかし、あと少しというところでワニに真実を話してしまい、ワニを怒らせてしまったのだ。
怒ったワニはうさぎの皮を剥いでしまった。

痛くて泣いていると大国主の兄弟が海水を浴びて風に当たるとよいと言ったのでその通りにしたところ、ますます痛くなってしまったので泣いていた。

かわいそうに思った大国主はうさぎに「すぐに真水で体を洗い、蒲の花の上に寝転ぶといい。」と言った。
うさぎは川に浸かって蒲の花の上にそっと寝転ぶと、うさぎの体から毛が生えてきて元の白うさぎに戻った。

その後、大国主は兄弟よりも遅れて因幡国に着いたが、八上比売が求婚をしたのは、大国主であった。
これに嫉妬した兄弟によって殺されるが、母神の力によって再生。すると今度は兄弟に「赤い猪」と偽られ焼け石を抱かされて死ぬと、キサガイヒメとウムガイヒメという二人の若い娘たちによって蘇生させられた。

根の国神話

『古事記』のみ記載。因幡の白兎神話の続き。

兄弟からの迫害を逃れ、須佐之男命が支配する根の国へ向かった大穴牟遅神(大国主)は、須佐之男命の娘須勢理毘売の助力を得て蛇の室、百足と蜂との室、野火の難を逃れる。

そして、須佐之男命が寝ている間に妻となった須勢理毘売を背負って生太刀・生弓矢・天の詔琴を持って黄泉比良坂を通り逃げ帰る。
比良坂まで追ってきた須佐之男命は大穴牟遅神に向かって「太刀・弓で八十神を追い払い、大国主神・宇都志国玉神となって須勢理毘売を娶り、宇迦の山の麓に立派な宮殿を建てて住め」と言った。

八千矛神の神話

『古事記』のみ記載。

国造り神話

『古事記』及び『日本書紀』八段一書第六に記載。

少彦名神との農耕的国造り、神祭りによる大物主神との国造りの話である。

少名毘古那神との国造り

大国主は少名毘古那神とともに国土の修理や保護、農業技術の指導、温泉開発や病気治療・医薬の普及、禁厭の法を制定などさまざまな業績を残した。

禁厭の法

農作物に害をなす動物や虫のを防除する方法。虫送りや虫祈祷などの呪術が行われた。

『古事記』における伝承

大国主が出雲の御大の御前(美保町)にいた頃、小さな神が波の間から天の羅摩船(ガガイモの殻でできた船)に乗り、蛾の皮の服を着て近づいてきた。不思議に思った大国主が名前を聞いても答えず、家来の神々に聞いても知らないという。
すると、側にいた多邇具久(ヒキガエル)が「久延毘古(案山子)なら知っているでしょう」というのでさっそく呼んで尋ねてみると「出雲の祖神である神産巣日神の御子、少名毘古那神である」と答えた。
大国主が神産巣日御祖命に聞くと、確かに自分の手の俣より落ちてこぼれた子だという。

さらに、「葦原色許男命(大国主)と兄弟の契りを結んで国を造って守れ」といわれたので、大穴牟遅神(大国主)と少名毘古那神の二柱で力を合わせて国を造って守り、少名毘古那神は常世の国に渡った。

この話は『播磨国風土記』『出雲国風土記』にも記され、『万葉集』にも詠まれている。

『日本書紀』における伝承

大己貴神(大国主)が鷦鷯(ミソサザイ)の羽を着た小男を手の平で玩んでいたところ、小男は跳んで大己貴神の頬に噛み付いた。
高皇産霊尊にこの事を話すと、「それは自分の子供の一人だが、悪戯好きで私の指の間からこぼれ落ちてしまったのだ」という。
そして、大己貴神と少彦名命は力を合わせて国を造った。

国譲り神話

天照大御神と須佐之男命の誓約によって、天照大御神が身に着けていた珠から最初に生まれた正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は、天照大御神から中つ国(豊葦原の瑞穂国)を統治するよう遣わされた。
ところが、中つ国に行く途中で天の浮橋に立って中つ国を眺めると騒々しかったので、高天原に引き返して天照大御神に中つ国の様子を報告し、葦原中つ国が平定されるのを待った。

高天原では、誰を中つ国の平定に遣わすか議論が行われ、天照大御神と須佐之男命の誓約の際に天照大御神の珠から生まれた天之菩卑能命が遣わされることになった。
しかし、天之菩卑能命は中つ国の盟主である大国主に媚びへつらって三年もの間報告を怠った。
そのため、天若日子命が代わりに遣わされた。

ところが、天若日子命もまた大国主の娘下照比売を娶り、八年もの間報告を怠った。その上、高天原から報告しない理由を問うために遣わされた雉を射殺してしまった。その雉は高天原まで射上げられた。
これを見た高御産巣日神は雉から矢を抜き、「もし天若日子命に邪心があったなら、この矢に当たれ」と、矢を中つ国に投げ下ろした。矢は寝ていた天若日子命の胸に当たり、絶命した。

その頃、高天原では次に中つ国に遣わす神として建御雷之男神が選ばれた。この神は『古事記』では天鳥船神と、『日本書紀』では経津主神とともに大国主のもとに遣わされて中つ国を天孫に譲るよう求めた。

『古事記』では、出雲国の稲佐の浜に下りて十拳剣を突き立て、剣先に足を組んで座り、大国主に国譲りを迫った。
大国主は子供の事代主神の意見を聞くように求め、事代主神は国譲りに同意したことを大国主に告げると、もうひとりの子供である建御名方神を連れてきた。

建御名方神は建御雷之男神に力比べを挑んで手を掴むと、建御雷之男神の手が氷柱に変じ、剣の刃になった。建御雷之男神は怖気づいた建御名方神の手を若葦を採るように掴んで投げ捨てた。
建御雷之男神は逃げ出した建御名方神を追いかけて、信濃国の諏訪湖まで追い詰めて倒そうとしたが、建御名方神が服従することを誓ったのでこれを許し、大国主に伝えた。
大国主は子供たちが国譲りに同意したので国譲りを行い、天孫に服従することを誓った。

こうして葦原中つ国は天孫の支配する国となり、建御雷之男神の報告を受けた天照大御神は天孫日子番能邇邇芸命ひこほのににぎのみことを降らせることにした。

大黒天との習合

中世以降、大国主の音読み「ダイコク」と大黒の音が通じることから、神仏習合によって大黒天と同一視されるようになった。
さらに、大黒天はシヴァ神の化身であるマハーカーラと同一視される。

「だいこくさま」と呼ばれるようになった大国主は七福神の大黒さまとも同一視されるようになり、打ち出の小槌を持つ財福の神となった。

大黒さまとネズミ

大黒さまの御使はネズミ(十二支の子)である。

大国主が根の国で須佐之男命から試練を与えられた際にネズミに助けられた神話と、ネズミは屋敷を守る霊獣であるという民間信仰が結びついたものである。

恋多き神として

大国主は艶福家で美男であり、『日本書紀』に「その御子すべて一百八十一の神ます」と記されるほどである。

大国主が妻とした女性は因幡の白兎神話の八上比売、根の国神話の須佐之男命の娘須勢理毘売、越後国(新潟県)糸魚川の翡翠の精霊奴奈川姫命、宗像三女神の多紀理毘売命、事代主命を生んだ神屋楯比売命、八島牟遅能神の娘鳥取神の六人である。

このような話が元となり、縁結びの神として信仰されるようになった。

参考資料

書籍

  • 「日本の神々の事典―神道祭祀と八百万の神々」学研プラス、1997年
  • 戸部民夫「八百万の神々―日本の神霊たちのプロフィール 」新紀元社、1997年
  • 戸部民夫「『日本の神様』」がよくわかる本 八百万神の起源・性格からご利益までを完全ガイド」PHP研究所、2004年

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