『日本霊異記』下巻第九話「閻羅王の奇しき表を示し、人に勧めて善を修せしめし縁」の訳。
基本情報
日本霊異記とは
『日本霊異記(日本国現報善悪霊異記)』は、平安時代初期、薬師寺の僧景戒が編纂した仏教説話集である。
上・中・下の全三巻。上巻35話、中巻42巻、下巻39巻の計116話である。
内容
称徳天皇の御代、藤原朝臣広足は突然病を患った。
病を治すために、神護景雲二年(768)の二月十七日、大和国菟田郡真木原の山寺に登り、そこへ住んだ。
八斎戒を守り、筆をとって字を書き習い、机に向かったまま日が暮れてもそこから動かなかった。
従者の少年は、広足は眠っているのだと思って、彼の体を揺り動かして「夕暮れになりましたので、仏に礼拝してください」と言った。
しかし、広足は目を覚まさなかった。
少年が力を込めて揺り動かすと、広足は手に持っていた筆を落とし、手足を曲げたまま倒れて息をしていなかった。
よくよく見ると、広足は亡くなっていた。
少年は怖くなって、走って家に帰り、親兄弟から仲間たちまでこのことを知らせた。
広足の不幸を知った親族たちは、葬儀の準備をした。
ところが、三日後に行ってみると、広足は生き返っていて、起き上がって座っていた。
親族たちが広足に尋ねると、広足はこう答えた。
「頬のひげが上向きに生えていて、赤い衣の上に鎧を着て、武器を身につけて桙を持っている男がいました。
その男が私を『広足よ、大王様がお呼びだ。早く行け」と言って、鉾で私の背中を小突き、後ろから急かして連れて行きました。
私は前の見張り役一人と後ろの二人に挟まれて、急ぎ走っていきました。
行く先々の道は途中で切れており、深い河がありました。
水の色は黒く、流れておりません。深そうに見えて、音を立てることなく静まり返っていました。
私は細くて若い木を橋の代わりにしようと河の中央に置いたのですが、木が短くて両端に届きません。
前の見張り役が『お前はこの河に入り、私の後を着いてこい』と言って、後を踏み渡らせました。
道の途中には屋根が重なり合った楼閣があり、照り輝いて光を放っていました。
四方には玉の簾がかかっており、中に人がいましたが、顔までは見えませんでした。
使いの一人が走ってきて『連れてまいりました』と誰かに報告しました。
すると、その人は『中に召し入れよ』とおっしゃいます。
使いは命令に従って私を中に入れました。
その人は『お前の後ろに立っているのは誰か分かるか』と私に尋ねてきました。
振り返ると、後ろに立っていたのは私の妻でした。
妻は懐妊しましたが、子を得られずに死んでしまったのです。
私は『間違いありません、私の妻です』と申しました。
その人はまた『この女の嘆き訴えによって、お前を呼んだだけだ。女の受けるべき罰は六年あり、すでに三年受け、まだ三年残っている。
今、女が訴えて言うには、お前の子を孕んだせいで死んだのだから、お前も一緒に残りの罰を受けてほしいそうだ』とおっしゃいます。
私は『妻のために法華経を写し、それを読み、供養して、妻の受けている苦しみを救いましょう』と申しました。
妻は『夫の申すことが本当ならば、すぐに許して帰してください』と申しました。
その人は、妻の言うことを聞き入れてくれたようで『すぐに帰って、早く仏道に励め』とおっしゃいました。
私は言われたとおりに御殿の門まで退出し、自分を召した人が誰か知りたいと思い、再び戻って『貴方様のお名前を教えていただけないでしょうか』と尋ねました。
すると、その人は『私の名を知りたいというのならば、教えてやろう。我が名は閻羅王。お前の国では地蔵菩薩と呼ばれているものだ』とおっしゃいます。
閻羅王と名乗ったその人は、右手で私の頭を撫でて『お前にまじないの印を付けよう。これで、災いに逢わずにすむだろう。早く帰れ』とおっしゃいます。
その手の指の大きさは、人間十人分ぐらいの大きさでした」
広足は、このように語り伝えた。
そして、広足は死した妻のために法華経を写し、読み、供養し、多くの善行を積んで妻の苦しみを償い清めた。
これは、不思議なできごとである。
補足
八斎戒
俗人が守るべき八つの戒律。