資料室 文学

安倍晴明と泣不動縁起

いろいろな説話

曽我物語

九八 三井寺の智興大師の事

十郎(曽我祐成すけなり)は、「足柄を越えて行こう」と言う。
一方、五郎(曾我時致ときむね)は「箱根を越えましょう」と言う。

これには理由がある。
この三、四年、別当から誘いがあったが、男になった面目のなさに、なかなか会うことができずにいた。
このついでに立ち寄ってお目にかかり、最後の別れの挨拶をするために参ろうと思っていたのだ。
聖教の一巻も、陀羅尼だらにの一遍なりとも、弔うべき善き人である。
そのうえ、師の恩を大切にすれば仏法の恩恵に預かることができる例があった。

最近のことだが、園城寺おんじょうじに智興大師という立派な上人がいた。
顕密有験の高僧として知られていたが、まだ生身の身体を離れていなかったので、重い病に冒されて耐えられないほどの苦痛を味わった。
すぐに晴明を呼んで占わせると、「前世での行いによって定められた報いなので、助かりません。ただし、たくさんの弟子の中から師の恩義を大切にして、自分の命を犠牲にしてでも師の身代わりになる者がいたならば、その者の寿命と師の寿命を交換しましょう」と言った。

上人は苦痛を感じながら、特定の個人の名前は挙げなかったが、目を上げて弟子を見回した。
並んで座っていた弟子は二百人余りいたけれども、身代わりを名乗り出る者は一人もいなかった。
目を互いに見合わせ、恥ずかしそうに顔を赤らめていた。情けないことだ。

ここに、證空阿闍梨しょうくうあじゃりという、十八歳になる者が末座から進み出た。
「私は、師に言葉では言い表せないほどの報恩の気持ちがあります。どのようにしてご恩に報いればよろしいのでしょうか。
私の命でも師の身代わりになれるのならば、この上もない悦びです。一刻も早く私を身代わりにしてください」

證空阿闍梨は墨染の袖を合わせて、晴明の前に跪いた。
上人はこれを聞いて、病に苦しむ目元に涙を浮かべ、顔を振り上げ、本尊の方を見た。
その顔には、證空の命を惜しんで、自分はどうなってもよいと思っているのが表情に顕れていた。
これもまた、慈悲の心であるように思われた。

證空は重ねて申した。
「固く心を決めたのですから、気持ちは変わりません。
それに、上人が苦しんでいるのを思えば、少しの時間でも惜しいのです。迷っている暇はありません、急いで法会を行い、儀式を急いでください。
ですが、私には八十を過ぎた母がおります。今一度、今生の姿を見てからまた戻ってまいります。しばらくお待ち下さい」
阿闍梨は暇を申し出て出発した。
證空阿闍梨を不憫だと思わない者はいなかった。

その後、證空は母のもとへ行き、このことを詳しく説明した。
母は聞き終わる前に證空の袖にしがみついた。
「考えもしなかったことだよ、師匠のご恩ばかり大事に思って、この母の悲しみを捨てるつもりなのかい。
おまえを残して私が先立つのが順番だろう。そんなことはあってはならない」と言って、證空の膝に倒れかかり、涙にむせぶばかりだった。
證空は母の心を鎮めて、
「よくよくお聞きください。師匠のご恩徳は何にも代えられないもので、母上に何と言われても気持ちは変わりません。
母上が私を生んだからこそ、尊い師匠の恩徳をこうむることができたのです。『母の恩、大海より深し』とは、一体誰が言ったのでしょう。
親は一世、師は三世。母上の情けは師匠よりも浅いのはご存知でしょう」

「どうして母に情けをかけてくれないのだ。今日の命も知らぬ身ならば、恥ずかしくはない。おまえを行かせはしない」と言って、證空に飛びついた。
「お聞きになったことがありませんか、浄飯大王の子悉多太子はただ一人の父大王を振り捨て、阿羅邏あらら仙人の弟子になったのです」
「それは生き別れで、これは死に別れなのだ。例えにもならぬ」
「母上のお言葉はありがたく思いますが、今にもお亡くなりになりそうな師匠を見殺しにはできません」
「本当に母の言うことが聞けないのなら、別れの挨拶などいらぬ。七生までの不孝になるぞ」
そう言って、證空の母は倒れてしまった。

こうして、證空はどうすることもできなくなった。
師匠の恩徳に報いようとすると、母への不孝から永遠に逃れられなくなってしまう。
どうしようもなくなって母の前に跪いた。
「私のことを不孝と仰られて、悲しみは余りあります。奈落の責めから逃れることはできないでしょう。
この世は、仮の宿です。未来こそ本当の住まいなのです。
師匠の身代わりになれたら、母上を迎えに参ります。そうすれば、ひとつ蓮の縁にでもなるでしょう。
どうか分かってください」
證空は名残の袂を引き離した。

母はなおも諦められず、
「それならば、母を連れて一つ蓮の縁にしなさい。子に捨てられて、老いた身であるからにはそうするしかない」とひたすら悲しんだ。

證空は母をなだめかねて、「こんなことになってしまうのならば、言わなければよかった。それに、母に別れの挨拶をせずとも、心に決めたことなのだからと思いながらも、意志の弱さゆえにこうして憂き目を見てしまったのだ。
母が私を惜しむのも当たり前なのだ。
たった一人の子で、月とも星とも私のほかに頼れる者はいなかった。
一日片時も姿を見られないときは心配になって、休む暇もない行法の間でさえ、ふと思い出してしまうこともあった。
私の帰りが遅いとき、母は杖にすがって来て、跪いて私の後ろに立ち、夏は扇を使い、冬は暖めた。
私が『そのようなことはおやめください』と言っても、『先が短いのだから、好きなようにさせてくれ』と仰って、上人も不憫に思って『好きにさせなさい』とご慈悲をかけてくれたので、片時も離れなかったのだ。

私もまた、母の情けを放っておけずに、暇を見つけては母のもとに通っていた。
まことに、此度の別れをさぞ悲しんでおられるだろうと思うと、涙が止まらなかった。
本当に、自分がいなくなったらすぐに母も息絶えてしまわれるのだろうと思うと、なかなか母のもとを去ることができず、いてもたってもいられず、
ただ呆然として泣いてばかりいた。
その上、母はしがみついた袂を放さず證空に寄りかかり泣き沈んでいたので、袖を引き離すこともできず、手を合わせて、
「私がお話することを、よくよくお聞きになってください。私が命を惜しく思っているのは、嘘ではありません。
ですが、これまでも言っていた通り、この世は夢幻の住まいなのです。
仏と申すのは、仏のほかにはおられません。
私の胸の内に月輪が曇りなく輝いているのを『悟り』といって、月輪が雲の中に隠れているのを『迷い』といいます。
ですので、仏は衆生しゅじょうに善悪の区別なく救済すると説いておられるのです。
そうであれば、親となり、子となり、師となり、弟子となるものも、みな一心の願いによるものです。
三箇大事はすべて『阿』の一字に込められているのです」

證空が強い態度で説くと、母は袖をつかんでいた手を少し緩めた。
そこへ證空が棄恩入無為信実報恩謝の理を詳しく説くと、母は涙を抑えて「ならば」と言って許した。
證空は嬉しくて、急いで僧坊に帰った。
本当に、證空の孝行ぶりには、天上の神々も地上の神々も感動しただろう。

九九 泣不動の事

晴明は證空を待ちわびて、七尺に床をかき、五色の幣をそれぞれ立てて並べた。
金銭を撒き散らして菓子を盛り付け、證空を中心に据えた。
晴明は礼拝恭敬して、数珠をさらさらと押し揉み、上は梵天帝釈、四大天王、下は堅牢地神八大龍王まで勧請して、祭文を唱え始めた。
すると、牛王が来たかと思うと、いろいろな三千幣帛が空に舞い上がってひらひらと舞い遊んだり、壇上で踊り回っている。

絵像の大聖不動明王が剣を振りかざしたとき、晴明は立ち上がり、数珠を手にして證空の頭を撫で、平等大慧一乗妙典と唱えた。
すると、病は上人から離れて、證空へ移った。

やがて、證空は全身から汗を流し、骨が砕かれるほどの苦痛に襲われた。

これを見た人々は、晴明の奇特な力の尊さ、證空の志のすばらしさにみな涙を濡らした。
それから證空の頭から煙が立って、耐え難い苦痛を味わっていたので、證空は絵に描かれた不動明王の方をじっと見つめた。

「私の二つとない命を師匠に捧げます。召し取って我がかばねを壇上に留めてください。曇りなき心とともに極楽浄土へ連れて行ってください。知我心者即身成仏、誤りなさるな」と一心の願いを立てたので、不動明王も不憫に思ったのか、絵に描かれた眼から紅の涙をはらはらと流した。
「そなたは、立派なことに報恩を重んじ、ただ一人の親を振り捨て、師匠の身代わりになろうとする志は報いても余りあるだろう。
私もまた、何とかしてそなたの命に代わろう。行者を助ける大聖明王の誓いは、地蔵菩薩だけではない。私が受ける苦痛を見よ」

あらたかな霊験が顕れ、不動明王の頭上から激しい炎が出て、全身から汗を流した。
ありがたいとも、かたじけないとも、言葉では言い表せなかった。

證空の苦痛はあっという間に治まり、智興大師も助かり、證空も不動明王の誓いを預かったすばらしい例である。

こういうことがあったので、三井寺には泣不動と呼ばれた寺の宝物の一つがある。
不動明王が流した紅の涙は胸まで流れかかって、今でも残っているという。
本当に、師匠の恩はこのようにすばらしいものだった。

安倍晴明物語/安倍晴明紀

三井寺鳴不動の事

園城寺(三井寺)の智興阿闍梨は、世に並ぶものがいないほど徳のある僧だった。

ところが、智興は疫病にかかり、高熱に心身ともに苦しめられた。
大法秘法の修法や医療鍼灸の限りを尽くしても、一向に効験は見られなかった。

弟子たちは大いに嘆いて、安倍晴明を呼んで祈禱を頼んだ。

晴明は智興の容態を見て、
「これは前世の報いだから、祈禱を行っても効果はないだろう。
だが、私は秘符を一枚持っている。
師匠の身代わりになろうという者がいるならば、祈祷して命を取り替えてみよう」と言う。

智興にはたくさんの弟子がいた。
日頃からあれほど「もし叶うならば、我らが命に代えても此度ばかりはお命を延ばしてもらおう」と言う者が大勢いたのに、
晴明がこのように言ったときは「我こそ師の命に代わろう」という者がいない。

その中に、證空しょうくう法師という今年で十八歳になる僧がいた。
證空は、「仏法のために身を捨てるのは菩薩の行だ。智興は天下一の仏法の才能を持つ御方なのだ。
師が亡くなったら、我が国の仏法は滅んでしまうだろう。
私が師の身代わりになって、命を棄てよう」と思い進み出て、晴明にそのことを伝えた。

晴明は、
「それこそが、師への大きな恩返しになるだろう。
そなたのような志を持つものは、まことに類稀な例だ」と深く感動して涙を流した。

人々もみな同様に證空を褒め上げた。

證空には、年老いた母親がいた。
證空は母の元へ行き、別れの挨拶をした。
「私は学問を究めて名を上げ、母上の恩に報いたいと思っておりましたが、この度、このようなことがあって、師のために身代わりになります。
この世で会うのは今日が最後ですから、思い残すことは母上のことばかりです。
とても名残惜しく思っていらっしゃるでしょう」と何度も言った。

母親は泣きながら言った。
「私は年老いていつ死ぬかわからない。
頼りになるのはおまえだけなのに、おまえにさえ先に逝かれては、私の命も長く持たないだろう。

けれども、おまえの師への恩は山のように高く、義は金のように堅い。
師への恩義と仏法のために己を犠牲にすることを、決して私が嘆いて止めるべきではない。
師の病は、急を要するだろう。早く帰りなさい」

證空は名残惜しく思ったが、泣く泣く寺に帰っていった。
晴明はすぐに壇を準備して、不動明王の絵像を本尊とし、二十四の灯明とうみょうと十二の幣を打ち振り、お香の煙が燻るなか祈祷を行った。

智興の病はたちまち回復して、病は證空に移った。
證空は心身ともに高熱にうなされ、計り知れないほどの苦しみを味わっていた。
證空が心の中で不動尊を念じると、夢が現かも分からないような状態のなか、不動明王のお告げがあった。

「そなたは師の命に代わる。我を念じるのも久しぶりだ。また、そなたは世に類なき情け深い志を持っている。
我がまた、そなたの身代わりになろう」

そう言ったように思えると、證空の病はたちまち回復し、絵像の不動尊が病にかかったような顔になり、両目から涙がはらはらと流れ落ちて、お顔を伝っていた。
その涙の跡は今でも残っており、世の人々から「泣き不動尊」と名付けられた。

證空には忠があり、母には義があった。
晴明にはふしぎな力があった。
不動明王のご加護があった。

師弟ともに命を永らえたのは、まことに希有な例ではないだろうか。

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