各史料の考え方

鎌倉幕府による文献

『吾妻鏡』

鎌倉時代後期(13世紀末〜14世紀初頭)に鎌倉幕府関係者の誰かが編纂したとされる、鎌倉幕府の歴史書。
鎌倉幕府研究の基本文献であり、以仁王・源頼朝が挙兵した治承四年(1180)から文永三年(1266)六代将軍宗尊親王が送還されるまでの86年間が記されている。

編年体で日記形式で記載されており、各巻は将軍の実録や実話の形をとっているため、”関東記録”とも呼ばれた。

『吾妻鏡』は北条氏の全盛期に幕府の歴史を書き残したものとされているが、特に北条氏を賛美した記述をそのまま鵜呑みにするのは危険である。 『吾妻鏡』において北条氏は最初からほかの東国武士を圧倒する飛び抜けて強力な豪族であり、終始源頼朝を助け、常に御家人の中で最上位に位置したかのように読み取れるが、そんな訳はない。

だからといって、『吾妻鏡』に書かれていることはすべて北条氏の悪辣な陰謀の成功の記録だと考えて読むのも、けして正しくない。

貴族もしくはその関係者による文献

『玉葉』

平安時代末期〜鎌倉時代初期の貴族九条兼実の日記で、鎌倉幕府の成立などを考える際の最重要史料の一つ
長寛二年(1164)〜建仁三年(1203)までの記事が残っている。
永万元年(1165)と建仁二年(1202)を除く。

九条兼実は長期間に渡り右大臣を務めていたが、中央政権とは距離を保って政治・社会状況を客観的・批判的な視点で記している。

『愚管抄』

九条兼実の弟で天台座主となった慈円の著書。
承久二年(1220)頃に成立し、承久の乱後に加筆されている。
全七巻だが、慈円は巻第三から書き始めたので、巻第三のはじめに「序」にあたる文章が記されている。
巻第一、第二には皇帝年代記が記されている。

同時代に生きた人間の視点から叙述する一方、史実から離れた記述もあるので、史料として用いる場合は注意が必要。

『山槐記』

平安時代末期〜鎌倉時代初期の貴族藤原忠親の日記。
仁平五年(1151)〜建久五年(1194)までの記事が残っているが、欠けている部分も多い。

藤原忠親は後白河院政期に朝廷の要職を務め、平氏一門とも親しい関係だったため当時の国政運営や平氏の動向、治承・寿永の乱の伝聞など記事が数多く残されている。

『吉記』

平安時代末期〜鎌倉時代初期の貴族藤原(吉田)経房の日記で、治承・寿永の乱の記事が豊富である。
仁安元年(1166)〜建久九年(1198)までの記事が残っている。

藤原経房は安徳天皇の蔵人頭や高倉上皇の院別当などを務め、文治元年(1185)には源頼朝から議奏公卿の一人に推挙され、初代の関東申次にも任じられている。

軍記物語

『平家物語』

平家一門の興隆から滅亡までを描いた軍記物語。

成立過程からさまざまな系統があり、「長門本」「源平盛衰記本」「延慶本」などがある。

サイトのデザイン

デザインコンセプト

シンプル イズ ベスト

サイトの色

基本的に日本の伝統色を使用しています。

NIPPON COLORS - 日本の伝統色

サムネイル(アイキャッチ)

できごと

治承・寿永の乱〜承久の乱までを季節(春→源頼朝挙兵〜壇ノ浦合戦、夏→源義経追討〜頼朝没、秋→源頼家政権発足〜源実朝暗殺、冬→承久の乱)に大別しています。
時期をまたいでいるものについてはメインとなる時期の方に振っています。

Canvaで作成したアイキャッチは仮のものなので、後々差し替え予定です。

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