朝廷で行われる占いのことを御卜または御占という。
平安時代の天皇は日常的に陰陽師に占いを行わせ、その結果を頼りにしていた。
宇多天皇の訓戒書『寛平遺誡』には、御卜を行うのは重要な事だけだと書かれている。
特別なことがない時は御卜を行わない。(『禁秘抄』)
御卜
軒廊の御卜
軒廊は紫宸殿の東南の階下から宜陽殿までの屋根付き廊下である。
上卿(儀式の執行役)が執り行い、神祇官と陰陽寮の者が占う。
占いの結果を神祇官は卜文に、陰陽寮は占文に記して天皇に提出する。
上卿は職事(蔵人)を介して占いの詳細な結果を天皇に報告する。
天皇から質問があった場合、上卿は神祇官と陰陽寮に確認し天皇に報告する。
占いの結果によっては、天皇は物忌をすることもあった。
天皇が物忌をする必要があれば、職事が皆に知らせる。
軒廊の御卜が不要な場合
御卜をするほどのことでもない内々のことは、陰陽師と神祇官がそれぞれ占う。
内々に御卜を行うときは、蔵人所あるいは適当な場所で行う。(『禁秘抄』)
3人または7人の連署で占文を提出する。
神祇官は弓場で占う。
陰陽師と神祇官で占いの結果が異なるときは、神祇官の方を採用する。
軒廊の御卜の断絶
戦国時代に朝廷の力が弱まったことによって、軒廊の御卜は行われなくなった。
御体の御卜
天皇自身の吉凶を占う年中行事。
年2回(6月と12月)の1~10日に神祇官によって行われた。
まず、1日に卜庭神祭を行い、3~9日のうちの吉日に卜御体を行う。10日に奏御卜を行って終わる。
ただし、卜御体を行う吉日を選ぶ際、4・6・7日と子の日は候補から外される。
- 1日:卜庭神祭
- 3~9日:吉日を選んで卜御体を行う(4・6・7日と子の日は吉日の候補から外す)
- 10日:奏御卜
卜庭神祭
事前に宮主が亀の甲を破ったものを用意しておく。
当日になったら太祝詞神と櫛真乳神を祀る。
卜御体(ぼくごたい)
- 宮主が亀甲・季札・兆竹を持参する
- 手を洗って明衣(神事の際に着る白い狩衣)に着替える
- 季札に署判する
- 問札を持ち、兆竹を立て置く
- 亀甲を灼く
奏御卜
卜御体での占いの結果を奏という名の文書に記し、天皇に提出する。
このほか、神祇官が差文と仁解文を提出する。
差文
神祇官によって、お祓いをして身を清める神社に祓使を遣わすことを知らせる文書。
陣解文
奏と同じ内容を記し、神祇官の副・祐たちが解という文書形式で連署する。
御体の御卜の断絶
御体の御卜は応仁の乱をきっかけに行われなくなった。
その後、明王3年(1494)6月から再び御卜が行われはじめたが、やがて亀甲の不足を理由に消滅したという。
参考資料
- 菅原 正子「占いと中世人―政治・学問・合戦」講談社、2011年