朝廷で行われる占いのことを御卜または御占という。
平安時代の天皇は日常的に陰陽師に占いを行わせ、その結果を頼りにしていた。
宇多天皇の訓戒書『寛平遺誡』には、御卜を行うのは重要な事だけだと書かれている。
特別なことがない時は御卜を行わない。(『禁秘抄』)
諸社寺ならびに諸所において奇怪・珍事があった場合は、まず軒廊の御卜を行う。上卿がこれを行う。神祇官・陰陽寮が占い申す。上卿は職事を以て仔細を申す。軽重仔細を問われたら、上卿は神祇官・陰陽寮に質問してこれを申す。御物忌があれば、職事を以てこれを下知する。また、軒廊の御卜に及ばない内々のことは陰陽師を召して蔵人所において問われる。下文を進め皆連署する。三人もしくは七人。神祇官の御卜は弓場において勤める。重大な事でなければ御卜は行わないと誡訓にある。神祇官と陰陽寮の御卜の結果が同じではないときは、神祇官の方を用いる。また内々密々に女房の書を以て陰陽師の家に問われるのは常のことである。(『禁秘抄』-御占)
陰陽師の御卜
天変を占う
虹
参考
- 『日本紀略』康保二年(965)2月27日条
自然災害を占う
自然災害があった際に吉凶を占う。降雨・干ばつ・地震・火災などの自然災害が起こったとき、吉凶を占う。占った結果、祟りによるものだとすることもあった。
地震を占う
参考
- 『扶桑略記』承平八年(938)4月15日条
建物の鳴動
参考
- 『小右記』永祚元年(989)12月15日条
霖雨を占う
雨が長期間降り続けると、陰陽師は霖雨(長雨)の祟りの有無を占う。
参考
- 『貞信公記抄』延長四年(926)8月5日条
- 『九暦抄』天暦二年(948)9月20日条
- 『小右記』永観二年(984)11月7日条
- 『日本紀略』寛和二年(986)6月1日条
干ばつを占う
参考
- 『貞信公記抄』天慶八年(945)7月2日条
- 『祈雨日記』天徳四年(960)5月13日条
- 『祈雨記』応和元年(961)6月21日条
火災を占う
参考
- 『扶桑略記』天暦七年(953)2月12日条
- 『日本紀略』貞元元年(976)5月20日条
噴火を占う
参考
- 『本朝世紀』長保元年(999)3月7日条
動物の怪異を占う
鳥の怪異
参考
- 『扶桑略記』延長八年(930)6月9日条
- 『扶桑略記』延長八年(930)8月12日条
- 『扶桑略記』延長八年(930)9月16日条
鷲の怪異
参考
- 『本朝世紀』天慶元年(938)4月15日条
水鳥
参考
- 『小右記』寛和元年(985)4月27日条
鹿の怪異
参考
- 『貞信公記抄』承平二年(932)1月29日条
狐の怪異
参考
- 『日本紀略』正暦五年(994)4月30日条
病気を占う
参考
- 『西宮記』応和元年(961)閏3月22日条
- 『小右記』永祚元年(989)5月7日条
- 『小右記』長保元年(999)9月16日条
- 『権記』長保元年(999)12月9日条
触穢
穢による行事の実行可否を占う
参考
- 『日本紀略』天延三年(975)4月14日条
御卜
軒廊の御卜
軒廊は紫宸殿の東南の階下から宜陽殿までの屋根付き廊下である。
上卿(儀式の執行役)が執り行い、神祇官と陰陽寮の者が占う。
占いの結果を神祇官は卜文に、陰陽寮は占文に記して天皇に提出する。
上卿は職事(蔵人)を介して占いの詳細な結果を天皇に報告する。
天皇から質問があった場合、上卿は神祇官と陰陽寮に確認し天皇に報告する。
占いの結果によっては、天皇は物忌をすることもあった。
天皇が物忌をする必要があれば、職事が皆に知らせる。
軒廊の御卜が不要な場合
御卜をするほどのことでもない内々のことは、陰陽師と神祇官がそれぞれ占う。
内々に御卜を行うときは、蔵人所あるいは適当な場所で行う。(『禁秘抄』)
3人または7人の連署で占文を提出する。
神祇官は弓場で占う。
陰陽師と神祇官で占いの結果が異なるときは、神祇官の方を採用する。
軒廊の御卜の断絶
戦国時代に朝廷の力が弱まったことによって、軒廊の御卜は行われなくなった。
御体の御卜
天皇自身の吉凶を占う年中行事。
年2回(6月と12月)の1~10日に神祇官によって行われた。
まず、1日に卜庭神祭を行い、3~9日のうちの吉日に卜御体を行う。10日に奏御卜を行って終わる。
ただし、卜御体を行う吉日を選ぶ際、4・6・7日と子の日は候補から外される。
- 1日:卜庭神祭
- 3~9日:吉日を選んで卜御体を行う(4・6・7日と子の日は吉日の候補から外す)
- 10日:奏御卜
卜庭神祭
事前に宮主が亀の甲を破ったものを用意しておく。
当日になったら太祝詞神と櫛真乳神を祀る。
卜御体(ぼくごたい)
- 宮主が亀甲・季札・兆竹を持参する
- 手を洗って明衣(神事の際に着る白い狩衣)に着替える
- 季札に署判する
- 問札を持ち、兆竹を立て置く
- 亀甲を灼く
奏御卜
卜御体での占いの結果を奏という名の文書に記し、天皇に提出する。
このほか、神祇官が差文と仁解文を提出する。
差文
神祇官によって、お祓いをして身を清める神社に祓使を遣わすことを知らせる文書。
陣解文
奏と同じ内容を記し、神祇官の副・祐たちが解という文書形式で連署する。
御体の御卜の断絶
御体の御卜は応仁の乱をきっかけに行われなくなった。
その後、明王3年(1494)6月から再び御卜が行われはじめたが、やがて亀甲の不足を理由に消滅したという。
参考資料
- 菅原 正子「占いと中世人―政治・学問・合戦」講談社、2011年