説話

十訓抄 現代語訳 巻七 御堂入道殿(道長)の白犬 道摩法師の厭術

基本情報

十訓抄とは

内容

御堂殿(藤原道長)が法成寺を造らせたとき、御堂殿は可愛がって飼っていた白い犬を連れて毎日様子を見に行った。

ある日、御堂殿が門をくぐろうとすると、犬が先に進み出て、走り回って吠えた。
御堂殿は立ち止まって辺りを見回したが、特に変わった様子はなかったので、再び歩き出そうとしたところ、犬は御堂殿の直衣の端をくわえて引き止めようとした。

御堂殿は「何かあるのだろう」と思い、榻を召して腰掛け、すぐに安倍晴明を召して仔細を尋ねた。

晴明はしばらく考えて「貴方様を呪詛する者が、厭術をかけた物を道に埋めて、その上を歩かせようとしております。
貴方様はとても運が良いので、犬が吠えて教えてくれたのです。元より、犬には神通力が少しございますから」

晴明が呪物の埋められている所を指し示して掘らせたところ、土器を掘り当てた。
黄色の紙が十文字に結ばれているのを掘り起こして調べてみると、土器の中には何も入っていなかったが、朱紗で一文字が書きつけられていた。

「この術はこの上もない秘術です。私のほかに知る者はいないでしょう。
ただ、もしや道摩法師の仕業ではないでしょうか。彼だけは知っているかもしれません」

晴明は懐紙を取り出して鳥の形に折り、呪文を唱えて投げやった。
すると、鳥の形をした紙はたちまち白鷺となって南の方へ飛んでいく。

「あの鳥が落ちたところが厭術をかけた者の居処にちがいありません」
晴明が申すと、下部も白鷺を追いかけて行った。

白鷺は、六条坊門万里小路、河原院の旧跡折戸の中に落ちた。

下部たちが白鷺を探していたところに、一人の老僧の姿があった。

老僧は直ちに捕らえられ、行方を問われた。

道摩法師は堀河の右府の命で厭術を施したと白状したが、死罪を免れ、本国播磨へ流された。
ただし、件の厭術は二度と使わないと誓約書を書かされた。

御堂殿は強運で賢くいらっしゃるので、此度の難を逃れることができたのだ。

補足

『峯相記』における記述

『峯相記』にも同様の記述がある。

一条院の御代、晴明と道満はともに陰陽道における逸物と評されていた。
しかし、道満は藤原伊周の命によって御堂関白を呪詛するため、道に封物を埋めた。
晴明はこのことに勘付き、封物を掘り出させて、呪詛の主が道満だと突き止めた。
これによって道満は播磨国に流された。

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