鎌倉時代

牧氏事件

牧の方

牧の方は北条時政の正室で、池大納言頼盛の家人牧宗親の娘である。

牧氏は駿河国大岡牧をから「牧」の字を取った一族である。
建久二年(1191)、時政と牧の方との間に政範が生まれた。

牧氏事件

背景

畠山重忠誅殺に関わった人々の疑念が晴れないのを見た北条義時は、父時政に対して重忠誅殺の報告をするとともに改めて事実関係を確認した。
すると、時政は言葉を失ったので重忠にかけられた謀反の罪は冤罪ではないかという疑念はいっそう深まった。

だが、鎌倉幕府側は重忠を謀反の疑いで誅殺してしまった以上は、あくまで罪人という見方を変えなかった。
重忠誅殺は稲毛重成の謀略によるという噂もあったが、重忠とその仲間の所領は没収され、恩賞として御家人に与えられた。
畠山一族は名誉も財産も回復されることなく解体されたのである。

北条時政の追放

閏7月19日、牧の方が源実朝を廃して平賀朝雅を将軍に就けようと陰謀をめぐらせているという噂が広まり、騒動が起きた。

この知らせを受けた政子は、長沼宗政をはじめとした御家人らを名越亭に派遣し、将軍実朝を救出した。

観念した時政は出家し、騒ぎの翌日伊豆国北条館へ隠居に向かった。

平賀朝雅の誅殺

時政追放後、北条義時が執権に就任した。

義時は平賀朝雅の誅殺を命じる使者を京都へ派遣し、26日六角東洞院での合戦後、朝雅は松坂で山内通基に討ち取られた。
なお、合戦は京都の市街地で行われたため、戦況をきいた藤原定家が『明月記』に合戦の詳細を記している。

参考資料

  • 永井 晋「鎌倉源氏三代記―一門・重臣と源家将軍 (歴史文化ライブラリー) 」吉川弘文館、2010年
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やみみん

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