角色 鎌倉時代

九条兼実(藤原兼実)

本来の名前は藤原兼実なのだが、文献や資料では「九条兼実」の名を用いられていることが多い。
「九条」の名は、彼が九条殿という名の邸宅に住み「九条殿」あるいは「九条禅定殿下」と呼ばれていたことに由来する。
後世では「御法性寺入道関白」「月輪関白」とも呼ばれた。

生い立ち

久安五年(1149)、兼実は摂政藤原忠通ただみちの四男として生まれた。
母の加賀局は南家藤原氏貞嗣流の藤原仲光の娘である。
仲光の家系は身分の低い家柄だったが、加賀局は忠通の寵愛を受けていた。

『兵範記』保元二年(1157)8月14日条にも「殿下の四郎(四男)若君」とあるが、世俗で育った子としては三番目なので、保元三年(1158)1月20日条では「関白殿第三の若君」と記されている。
忠通の四人の息子は兼実・僧道円・兼房・僧慈円だったが、兼実は僧にはならず政界に入るべく育てられた。

政界に入れるために育てられた

『兵範記』1月3日条によると、兼実は幼くして保元元年の正月儀礼にも参列し、姉皇嘉門院の養子となっていた。

「兼実」と名付けられる

保元二年(1157)8月14日、兼実は9歳で昇殿を許され、「兼実」という名を授かった。
康和五年(1103)に忠通が昇殿を許された際、大江匡房が候補に挙げた名前の一つだった。

元服後、猛スピードで昇進

保元三年(1158)1月29日、東三条殿で兼実の元服儀礼が行われた。

このとき兼実は正五位下に叙され、さらに同年3月13日には右近衛少将、4月2日には左近衛中将、さらに10月20日には従四位下に叙された。
永暦元年(1160)には12歳の若さで権中納言となり、権大納言兼右大将・内大臣を経て仁安元年(1166)には18歳で右大臣となった。

源頼朝との関係

後白河制御の連携勢力として

当時の兼実は後白河に疎まれており、摂政藤原基通とは男色関係も結んでいたから、頼朝の後ろ盾がなければ基通に対抗するのは困難であった。

(1184)3月、頼朝は兼実を摂政・氏長者に推薦するが、兼実は「院は基通を贔屓しているから、頼朝が推薦しても無駄だろう」と感想を漏らしている。
そして実際に、この推薦は実現しなかった。

なぜ頼朝は兼実を信頼していたのか

兼実が人づてに聞いたとして記している根拠に、頼朝が兼実を信頼していたのは、兼実の方から頼朝に連絡を取ろうとしなかったことが挙げられている。

後白河をはじめとして摂政藤原基通・前関白藤原基房・院近臣高階泰経らが自分の立場を有利にするために頼朝に接近するなかで、あえて連絡を取らない兼実の姿勢が評価されたのだろう。

後白河院との戦い

文治元年(1185)、源義経の要請によって発給された頼朝追討宣旨に激怒した頼朝によって、兼実を含む10人の議奏公卿が定められた。

議奏公卿制

議奏公卿制を設置した目的は、頼朝追討宣旨に賛成し、発給の責任者を務めた左大臣藤原経宗を議奏公卿から排除することだった。
だが、貴族たちの信頼も厚かった経宗を排除するのは難しく、兼実自身も議奏公卿にかかわらなくなり、後白河は権力を取り戻していった。

日記『玉葉』の執筆

長寛二年(1164)閏10月17日、内大臣に任ぜられた日から兼実は日記を書きはじめた。

ほかの貴族が昇殿や家柄相応の官職に就いたことをきっかけに日記を付けはじめている例に倣ったと思われる。

建久七年の政変で兼実が失脚するまではほぼ毎月日記を書いているが、その後は圧倒的に少なくなる。
正治二年(1200)分までは毎年日記を書いている。

父と祖父の作法を重視する

『玉葉』仁安二年(1167)1月16日条で、兼実は初めて踏歌節会で内弁を務めたので、日記にその作法を詳しく書いた。
その中でくつを直す作法について父忠通の作法に倣ったものであり、家の例であることも記している。

1月20日条では東宮憲仁親王(後の高倉天皇)の法性寺御所行啓に着ていく装束についても祖父忠実の例に倣ったと書いてある。

父ではなく祖父の例に倣ったのは、長治の行啓が宗仁親王(後の鳥羽天皇)の吉例で、父忠通の時代には適切な例がなかったからである。

11月16日条で兼実が新嘗祭の内弁を務めることになった際、御酒勅使を召すときに通常の音読みではなく祖父が内弁を務めたときに訓読みで召した例に倣っている。

父と祖父の例が相違していたときはどちらも正しいとしながらも、父忠通に例を優先している。

参考資料

  • 野口 実 (編)「治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立 (中世の人物 京・鎌倉の時代編 第二巻)」清文堂出版、2014年
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やみみん

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