『今昔物語集』震旦編巻七第十九話に収録。
「震旦」は中国のこと。
あらすじ
今は昔、震旦の随の大業の時代に一人の僧がいた。
仏法を修行するためにあちらこちらを巡っているうちに、太山廟にたどり着いた。
「ここで一晩休もう」と思っていると、廟令が現れた。
「ここには、廟のほかに建物はない。
それゆえ、廟堂の廊の下で休め。ただし、この廟に来て宿をとった者は必ず命を落とす」
僧は「どのみち最後にはそうなるのだ。私は気にしない」と言った。
廟令は僧に寝床を用意して、僧は廊の下に宿をとった。
夜になって、僧は静かにお経を読んでいた。
その時、お堂の中から玉の音が聞こえてきた。
僧が「何の音だろう」と恐ろしく思っていると、気高く高貴にみえる人が現れ、僧に挨拶した。
僧は「『長年、ここに泊まった人の多くが命を落としている』と聞きました。
しかし、神が人を殺めるはずがありません。願わくば、神よ、私をお守りください」と言った。
神は「私は決して人を殺めたりしない。だが、私がここに来る音を聞いた者は恐怖を覚えて自ずと死んでしまうのだ。
師よ、どうか私を怖がらないでくれ」と僧に語った。
「でしたら、神よ、私のお側にお座りください」僧は言った。
神は僧の側に座って、まるで人間のように話をした。
僧は神に尋ねた。
「世間では、太山府君は人の魂を支配なさる神だと信じられています。これは本当なのでしょうか」
「本当だ。そなたには、すでに死している者でもう一度見たいと思うものはいるか」
「先に逝ってしまった二人の同学の僧がおります。もし叶うならば、彼らを一目見たいと思います」
「何という名前だ」
僧は、二人の姓名を伝えた。
「二人のうち、一人はすでに人間界に生まれ変わり、もう一人は地獄にいる。きわめて重い罪を犯したゆえ、見ることはできぬ。
しかし、私について地獄に行けば見ることができる」
僧は喜んで、神とともに門を出た。
少し歩いたところで、ある場所に着いた。
見ると、激しい炎が燃え盛っていた。
神は、僧をさらに別の場所へ連れて行った。
遠くの方を見ると、炎の中に人が一人いるのが見えた。
その人は物も言えずひたすら叫んでおり、誰かわからないほどで、血みどろになっていた。
その光景を見ると気分が悪くなり、この上もなく恐ろしい気持ちになった。
「これが、地獄に落ちたもう一人の者だ」神は僧に告げた。
僧は深く悲しんだが、神はほかの場所を見回ることもなく帰っていくので、僧も同じく引き返した。
元いた廟に戻ってきて、また神と一緒に座った。
「私は、あの同学を苦しみから救いたいです」
「はやく救ってやりなさい。彼のために、よくよく法華経を書き写して奉るのだ。
そうすれば、すぐに罪を免れることができるだろう」
僧は神の教えに従って、廟堂を後にした。
朝に廟令が来て、僧を見て死んでいないことをふしぎに思った。
僧は廟令に、自分の身に起こったことを詳しく説明した。
廟令はこれを聞いて、「ふしぎなこともあるものだなあ」と思って戻って行った。
その後、僧は元の住居に帰って、すぐさま法華経の一部を書き写し、同学の僧のために供養し奉った。
そして、そのお経を持って再び廟に着き、前回と同じように宿をとった。
その夜、以前のように神が再び姿を現した。
神は喜んで僧に挨拶して、ここに来た理由を聞いた。
「私は同学の僧を苦しみから救うために、法華経を書写して供養し奉りました」
「そなたがあの同学を思って最初に経の題目を書き写したとき、彼はたちまち苦しみを免れることができた。
今、人間界に生まれ変わってまもない」
僧はこれを聞いてこの上なく喜んだ。
「このお経を廟に安置して奉りましょう」
「ここは清らかな場所ではないゆえ、経を安置して奉ってはならない。
師よ、どうか元住んでいたところに帰って経を寺に納めよ」
こうして長らく語り合った後、神は帰っていったので、僧も故郷に帰って、神に言われたとおりに経を寺に納めた。
このことから考えると、立派な神様といえども、僧を敬うことがあるのだ。
以前この廟にたどり着いた人々は誰も生きて帰ることができなかったのに、この僧だけは神にも敬われ、同学の僧の苦しみも救って立派に帰ってきたのだと、語り伝えている。