基本情報
江談抄とは
平安時代後期、大江匡房(1041-1111)の言葉を藤原実兼(1085-1112)が筆録したもの。
『古本系』と、それを内容によって分類し並び替えた『類聚本系』の二種類に大別される。
類聚本系は全六巻あり、巻一が公事・摂関家事・仏神事、巻二、巻三が雑事、巻四、巻五が詩事、巻六が長句事である。
あらすじ
吉備大臣は唐に渡り、諸道芸能の道を習い知識を深めた。
唐土の人は吉備の才智にたいそう恥じ入り、密かに話し合った。
「このままでは我らの立場が危うい。
まず、普通のことで負けてはならない。
日本国から使者が来たら、楼に上らせてそこに閉じ込めよう。
この事を詳らかに知られてはならぬのだ。
件の楼に泊まった者は多くが命を落としている。
ならば、まずは楼に登らせて試してみようではないか。
ひとえに殺めてしまうのでは、忠義に反するであろう。
国に帰してしまうのもよくない。
だが、このまま唐土に居座られては、我らに大いなる恥をもたらすであろう。」
吉備が楼に居ると、夜が更けてから風が吹き、雨が降って、鬼が楼の様子を見に来た。
吉備は隠身の封を為し、鬼から姿を隠した。
「何者だ。
私は、日本国王の使者である。
王事盬きことなし。鬼よ、何をしようとしているのだ」
「とても喜ばしいことだ。私も日本国の遣唐使だったものだ。ぜひ、あなたの話をお聞きしたい」
「ならば、早く入れ。私の話を聞きたいのなら、その鬼の形相はしないて来てくれ」
鬼は吉備の言葉に従って帰り、衣冠を身に着けて戻ってきた。
吉備は鬼の相手をすることにした。
鬼が話し始めた。
「私も、そなたと同じ遣唐使だ。
我が子孫の安倍氏はどうしているか知りたかったのだが、未だ叶わずにいる。
私は大臣としてこの地に渡って来たのだが、この楼に登らされて食べ物も与えられず、餓死してしまった。
そうして、私は鬼となった。
この楼に登る者を害する気はないが、自ずと害を与えてしまう。
私は今そなたとこうしているように、楼に登ってきた者に会って本朝のことを尋ねたいのに、彼らは答えることなく命を落としてしまう。
それゆえ、こうしてそなたと顔を合わせることができたのはとても嬉しい。
我が子孫はどうしているだろう。官位はあるだろうか」
吉備は七、八人ほどの子孫について答えた。
鬼は大いに感じ入った。
「この事を聞いて、この上もなく嬉しい。
そなたへの恩返しとして、この国のことを皆ことごとく伝えようと思う」
吉備も大いに喜んだ。
「まことにありがたいことです」
夜が明けると、鬼は帰っていった。
その朝、給仕が楼を開いて食べ物を持ってきたところ、吉備は鬼の害を受けず生きながらえていた。
唐の人々はこれを見ていよいよ恐れおののき、「ありえない」と言い思った。
その日の夕方、再び鬼が来た。
「この国には謀がある。日本の使者の才能は稀なものだ。書を読ませて、その誤りを笑ってやろう……と言っている」
「どのような書を読むのですか」
「この国の朝廷に伝わる、極めて読み難い古書だ。
『文選』という名で、一部三十巻、諸家の詩や文章などから特に優れたものを選んでまとめたものである」
その時、吉備が言った。
「この書の内容を私に聞かせて教えてくれないでしょうか」
「私には無理だ。そなたを文選が読まれている場所へ連れていき聞かせようと思うか、よいかな」
「楼は閉まっています。どうやってここを出ましょう」
「私には空を自由に飛べる術がある。そこへ行って聞こう」
吉備と鬼は楼の隙間から抜け出し、ともに文選の講義が開かれている場所に着いた。
そこは皇帝の宮殿で、吉備は一晩中三十人の儒士による講義を聞いて、二人は楼に帰った。
「講義の内容を聞いて覚えられたか」
「すべて聞き終わりました。
もし要らない暦があれば、十巻余りくれませんか」
鬼は了解して、暦十巻をすぐに持ってきた。
吉備は暦を取ると、文選上帙の一巻の端々を三、四枚ずつに書き入れて、一両日を経て内容を皆ことごとく暗誦できるようになった。
唐は侍者に食べ物を運ばせ、文選の試験を行うために儒学者一人を勅使として楼に遣わした。
楼の中には、文選が書かれた暦が破り散らして置かれていた。
勅使はこれを見て不思議に思い、「この書は他にもあるのか」と問うと、吉備は「たくさんありますよ」と言って紙切れを渡した。
勅使は驚いて帝に報告したところ、「この書は日本にもあるのか」と問われたので、吉備は「我が国に現れてから、年数を経ています。文選といって、人々は皆よく口にする言葉として読んでおります」と申した。
唐の人が「この唐土にも同じものがある」と言うと、吉備は「見比べてみましょう」と言って文選三十巻を受け取って書き取らせ、日本に持ち帰ることにしてしまった。
このことを受けて、唐の人々は議論した。
「才能はあっても、必ずしも芸があるとは限らない。囲碁を以て試してみよう」と言って、白石を日本、黒石を唐土にたとえて「この勝負を以て日本国の客人を亡き者にしようではないか」と謀った。
鬼はまたこれを聞いて、吉備に告げた。
吉備は囲碁のやり方を尋ねて、床に寝転がって楼の天井の格子三百六十目を数え、聖目を指して、一夜のうちに引き分けになる案を考えた。
唐土の人が囲碁の上手を選び、集めて打たせてみたが、なかなか勝負が決まらなかった。
そこへ、吉備が密かに唐方の黒石を一つ盗み、丸呑みしてしまった。
勝負を決しようとしたときには、唐は負けていた。
唐の人々は「ありえない」と言った。
「極めて不審である」と言って石の数を数えると、黒石が足りない。
よって、卜筮で占ってみると、「誰かが石を盗んで呑み込んだ」と出た。
腹の中に石があるのだろうと大いに言い争い、唐人が瀉薬(下剤)を飲ませようとして吉備は訶梨勒の丸薬を飲ませられたが、下痢を止める呪いを用いたおかげで腹を下さなかった。
とうとう、勝負は吉備の勝利に終わった。
唐人は大いに怒り、吉備に食べ物を与えなかった。
その代わりに鬼が毎晩吉備に食べ物を与え、数ヶ月が過ぎた。
ある日、いつものように鬼が来て言った。
「唐人はまたあなたを陥れようと謀を企てているが、此度ばかりは私の力でも及ばぬ。
高名智徳の密法を修する宝志という僧に命じて、鬼あるいは霊力のあるものに邪魔されぬよう結界を張り、とある文を作ってそなたに読ませようとしている。これでは、私はどうすることもできない」
吉備も術が尽きてどうするか考えていると、案の定楼を下りるよう命じられて、帝の前でその文を読むことになった。
吉備は視界が暗くなり、書の字をほとんど見ることができなくなってしまう。
吉備が日本の仏神(神は住吉大明神、仏は長谷寺観音である)に祈ると、視界がすこぶる明るくなり、文字は見えるようになったが、今度は読む順序がわからない。
すると、突然一匹の蜘蛛が文の上に落ちてきて、糸を引くのを目で追っていくうちに、吉備は文を読み終わっていた。
これには帝も文の作者も大いに驚き、元のように吉備を楼に登らせて、食べ物を与えないで絶命させようとした。
「この先、楼を開けてはならぬ」などと言われたのを聞いて、鬼は吉備に告げた。
吉備は「ああ、もっとも悲しいことになってしまった。もし、ここに百年を経た双六の筒と賽盤があれば、いただきたいのだが」と言うと、鬼は「ある」と言って吉備に与えた。
筒は棗でできており、盤は楓でできていた。
吉備は賽を盤の上に置いて筒で覆うと、唐土の日月が封じられて二、三日程姿を現さなかった。
上は帝、下は諸人に至るまで唐土中が大騒動となり、天地を轟かすほどの阿鼻叫喚に見舞われた。
占いによると、誰かの術によって日月が封じ隠されたと推し量られた。
その術者がいるとされた方角は、ちょうど吉備のいる楼の方角であった。
吉備は問い詰められて、こう答えた。
「私は存じません。もしや強引に無実の罪を着せてひどい目に合わせたので、一日中日本の仏神に祈念していたのを、自ずと感応されたのでしょうか。
私を本朝に帰していただければ、日月は姿を現すでしょう」
「帰朝させよ。早く封を解け」
吉備が筒を取ると、日月がともに現れた。
こうして、吉備は帰朝した。
江師は言う。
「この事について私は詳細を書で見たことがなかったが、故孝親朝臣の先祖から語り伝えられてきたので、こうして語ったのだ。
また、その謂れがないわけではない。
大略は書にも見られるところがある。
我が朝の高名はただ、吉備大臣にある。文選・囲碁・邪馬台が我が朝に伝えられたのはこの大臣の徳である」
補足
- 王事盬きことなし……「詩経」唐風・鴇羽の成句。「国王に関わりのあることは堅固だから、誰も敵対することはできない」という意味。