【現代語訳】『絵本三国妖婦伝』天竺の華陽夫人編

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妖怪

『絵本三国妖婦伝』の現代語訳です。長いので中国〜インド〜中国〜日本に分割します。
今回は白面金毛九尾の狐が天竺の華陽夫人に化けた時の話です。

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あらすじ

悪狐天竺に至る 鶴氅裘の由来

唐土(中国)の西に印度(インド)という国がある。
大いに栄える大国で、天竺とも呼ばれている。中天竺・東天竺・西天竺・南天竺・北天竺の五つに分かれている。
乾坤開闢は唐土に代わるものはないというが、仏説によれば、印度で初めて生まれた仏を毘婆尸仏という。過去七仏の世を経て遥か後世に五つに分かれ、それぞれの国に国王がいて、国を治めていた。

南天竺にある耶端国の帝・屯天沙朗じゅんてんしゃら大王は正しい政事を執り行い、万民を慈しみ大切にしていた。
朝廷で万機の政事を承る大臣の棄叉・雄明君・孫晏・鶴岳叉しゃがくしゃの四人は各々正直に忠節に励み、帝を補佐していた。
国王が年老いたので大方の政務は四人で取り決め、平穏な国家を祝した。

御子の班足太子も父の大王と同じくらい聡明英智であり、仁心深く諸臣に情けをかけ、民衆を気にかけ、慈悲を施し立派に成長したので、群臣が評議を開いて言うには、
「太子の仁孝は父親に似たのだろう。下々の民に情けをかける心は深く誠実なのだから、父に代わって即位する日が訪れるだろう」と申し上げると大王は喜び、近いうちにそうしようと大臣たちに取り計らう。万機も太子を窺い、父の大王もその叡慮に安心して班足太子に朝政を委ねられた。吉日を選んで譲位の礼を行うことが決まった。

太子は文学を好み、その余力で管弦も好み、篳篥を嗜んで一日中没頭していたが、ついにその妙技を究めて、篳篥を吹けば趣深いものであった。
空を飛ぶ鳥も羽を留めて地に降り、屋根の梁の塵も飛んでいくように聞こえた。人々はなおさらそのすばらしい音に神の心を聞き、悪い心を忘れ、雑念を持つものはいなかった。

秋も終わりに近付き班足太子が長英館という楼閣に上って景色を眺めていると、前庭の紅葉は錦を染め、冬枯れも近い野花も飛び散り木の葉も色を変え、遠近の山々も景色は言うまでもなく、傍らで侍従する側近の諸臣もともに眺めて詩歌に興じていたが、風情を感じた班足太子は高楼の欄干に近寄って諸臣に管弦を催すように言って太子は自ら篳篥を取って吹いていると、付き従う諸官は冠を傾け感嘆した。

しかし、篳篥の美しい音に従ってはるか向こうの樹々が茂って紅葉する方にあたり、音楽の調子に合わせてとても麗しい歌声が聞こえてきた。妙に優しげな声だったので、太子も怪しまなかった。管弦が終わり、楼閣の向こうを押し開き心を尽くして美しい音色を奏でると、また高々と歌う声がある。女性の声に聞こえたので、太子は
「声を頼りに、向こうの茂っている紅葉の森の辺りを探してみよ。どんな女性だろうか」
と、臣下に命じて篳篥を吹き歌声の主を探していると、一人の美女がいたので事のいきさつを話し、連れてきたと言ったら
「構わぬ。早くここへ連れてこい」と言ったので楼の上に連れられて来た女を見ると、その顔の美しさは何に例えられようか。楊柳のようにたおやかで美しく、花のように艶めいた色、丹花の唇は艶やかで、芙蓉の目尻は溢れ、愛嬌玉のかんざしを戴き、鶴氅裘を着て三十二骨の奥義を手に持ち、静かに歩いてきて座り、会釈して平伏した。

その装いは凡人のものとは思われず、天女が降りて来たか、菩薩が姿を現したのかと思うほどだった。
よくよく考えると、この女性の着ている鶴氅裘という薄手の着物は鶴の毛を織ったものだ。
その経緯を尋ねると、「昔の中国でのことでした。ある郷里に農夫が年老いた母に孝行を尽くし、朝は早く起きて食べ物を採ってきては母に食べさせ、その他不自由がないように取りなして、外に出ては農業を務め、昼になれば早く家に帰り、また仕事をしに出ていき、晩も同じ遅くならないうちに帰り、夜は按摩をして心を尽くし、母の面倒を見るのに寝食を忘れていました。まだ若い男の優しい心は、見た人も聞いた人もこの上ない親孝行だと感じました。
ある時、田に出て耕していると一羽の大きな鶴が飛んできて農夫の前に降り、羽を休めて飛び去っていったのをふしぎに思った。
あらゆる鳥類は人間を見ると怖がって逃げていくものだが、この鶴はたじろぎもせずその場に留まっている。何か理由があってのことなのだろうと思ってその鶴に近付いていくと、なおも驚く気配がなかったので、その鶴を捕まえた。よく見ると、羽交の下に矢が一本刺さっていた。思ったとおりだと農夫は鶴をいたわり矢を抜き捨て、傷薬を塗って解放した。喜んだ鶴は遙か向こうへ飛び去った。
農夫は仕事を終えて帰宅し、いつものように母の面倒を見た。

その後、また仕事に出て昼帰ると、美しい女が家に来ていた。何やら母と話をしていたが、いかにも身分の低い者には見えなかったので怪しく思って母に聞いた。
「あの女性はどこの誰で、何の用事があって来たのですか」
母は答えて、
「お前にはまだ妻がいない。若くて正直であり家のために仕事に出て、しかも親孝行なのを感じて妻にしてほしいと頼みに来たのだが、どう思うだろうか。思いがけず先程帰ってきたので待たせていた。お前の好きにしなさい」と詳しく聞かせると、農夫は
「私はこのような貧しい身で何を願うことがあるだろうか。並外れて美しい人がこのような貧しい家に嫁いできて、結婚生活がうまくいくわけがないだろう」と言うと、母は
「私もそう思っていたのだけど、この家を見ても貧しいのはわかるでしょう。見たところ、礼儀作法と言い何の不足もない。このような女性は他にいないだろう」
すると思いがけず、
「苦労のない金持ちの家に嫁ぐのが普通ですが、ちっとも嫌ではありません。富貴は空に浮かぶ雲のようだ。これを真の楽しみとせず、清貧を楽しむのもまた良いでしょう。福を羨み、貧しさを恨むのは愚かなことです」
このように自分の子供を褒め称えられた母の嬉しさは、何に例えられようか。
「とにかく、子供の帰りをお待ち下さい。詳しく聞かせましょう」としばらく留まらせた。
母の言葉を聞いて農夫は
「この上は私には何も言うことはありません。母上の心に任せます」
その答えに母はこの上なく喜び、ついにその女を農夫の妻にさせて夫婦仲睦まじく母の面倒を見て、親孝行を怠ることもなかったので、近所に住む人々も良い妻を迎えたなと言い合った。

ある時、妻が夫に向かってこう言った。
「お母様は貧しい生活に苦労し、心を痛めているのを見ると心苦しく思いました。私は一疋の絹を織ります。これ官府に持っていき帝に捧げれば、値千金を賜るでしょう。そうすればすぐにこの貧窮から脱脂、お母様も楽になります。早く絹を織るための部屋を作ってください」と勧めたので、さっそく織家を作ると妻はこうも言った。
「私が機を織っている間、中を見てはいけません。誰かに見られたら織物が完成することはないでしょう」と念を置くと、妻は中に入って静かに機を織り、何日もかけて織ったものを見せると、その織物は雪のように白く、たいそう細やかに織られていて並ぶものがないほどの美しさであった。光沢といい、地組みといい、見たこともない織物だったので、
「これは何という名前なのだ」と問うと妻は答えて、
「これは未だ世に広まっていない無二のものなので、名前もありません。本当にこれは私の工夫を凝らして織なしたのです。これを持って官府に捧げれば、たやすく千金を得られるでしょう。官符から名をなんと言うのか尋ねられたら鶴氅裘だと言ってください」と夫に渡し、官符に捧げさせた。

「珍しい織物なので、朝廷の用事にも役立つでしょう。官符に収めて千金を賜り、帰って母と妻にもようやく良い暮らしをさせられる」と言うと、母はたいそう喜び、ますます嫁を可愛がった。そんなわけでたちまち大金持ちになったのだが、夫は「妻が織った絹はいかにも珍しい品だったのだから、もう一つ織らせて家宝にしよう」と思った。ある時、妻にもう一疋織ってくれと頼むと心安く受け入れ、以前のように人が見ることを禁じて織家に入り、機を織りはじめた。

しかし、夫は「どうやって千金の値となる絹を織っているのだろう」とふしぎに思い織家の隙間を見回り、ここだと息を殺して密かに見ていると、これはどうしたことだ。妻ではなく大きな白い鶴が羽を広げて機に向かって羽ばたくと、雪にも等しい白い毛が飛んで絹となっているではないか。
「ふしぎなことだ」とますます見入ってしまい、とうとう鶴に気づかれてしまった。
鶴は大いに驚き、怒った体で羽を打ち開き、織っていた絹は跡形もなく窓から遥か雲の向こうへ飛び去っていった。
夫は鶴のおかげでこの家は豊かになったのに、と後悔したが、今更思っても仕方がない。織家には鶴の毛が飛び散り、雪が降ったようだった。後世の詩句にも

雪鵞毛似飛散乱 人被鶴氅立徘徊   
(雪は鵞毛に似て、飛びて散乱し 人は鶴氅を着て、立ちて徘徊す)

と詠んだのも、このような話が由来である。
鶴氅裘を見て織物の女が知慮工夫を凝らして世に広まった。これを裁ち縫いなしに服として鶴氅裘と名付けられるだろうか。

班足太子遊宴 華陽夫人太子を蕩かす

篳篥に合わせて歌っていた美しい女が班足太子の前に立つと、じっくりとご覧になった。
「そなたの姿を見るに天竺国のものではないな。どこの国の者でなぜこの国に来たのだ」
と問うと、女は答えて
「私は殷の紂王の後宮に仕えていましたが、周の武王が大軍を率いて攻めて来ました。
殷は滅ぼされ、紂王はついに鹿台から身投げして焼け死にました。武王は私を捕らえて閨の供にしようたので、この国まで逃げてきたのです」としおらしく涙ながらに言った。
班足太子は女を憐れに思ったが、女の顔は梨花の雨を帯び、芙蓉の露を含める風情を愛でたいと思ったので、
「今日から朕の側で侍女として仕えよ。心を楽にして勤めなさい」
と言うと、女は飛び上がって喜び、太子を九度拝して諸官にも一礼した。歓喜の色を表し、この恵みにどうやって報いましょう、生々世々を忘れることはありませんと言った。

こうして太子はこの女に酌を取らせ遊宴を始めた。主従は興に乗じて酒を進めて太子が女に言うには、
「そなたに一曲舞を踊らせようと思うけども、そなたの国の舞はこの国に知る者はなく、楽器も唐土のものとは異なる。だから、私が一曲舞ってみよう。これを見て、そなたも一曲舞ってみよ」というよ謹んでこれを承り、
「私は不肖にして、歌舞を知りませんがあなたの勅撰に背くわけにはいきません。いざ一曲演奏してください」と言うと、太子は
「優しい心感じるに余りある」と諸官に琵琶・琴・篳篥・太鼓などの役を命じ、自ら立ち上がって一曲舞う。その歌は

長英楼上東方臨めば
吹き送る秋風歌謡長く
始めて見る美人夭漢より落ちる
知る紅楓愛し来る風翻る

歌舞が終わり、驚嘆の声が止まなかった。こうして酒宴は盛り上がり、女は命令に従って一曲舞おうと扇を開いて立ち上がり舞う。その歌は

故園遥かに去って西方に寄り
山水隔て且つ道延長
若し邂逅知遇の恵みを蒙れば
願はく比翼為起高く翔らん

舞い終わって扇をしまうと、
「この国の管弦の調べ・音色をすぐに理解して、器用なことだ」
太子をはじめ、一座の諸臣は深く感涙した。恐れ多くも太子の御盃をお下しになり遊宴に侍っていたが、夜も更け、長栄館から宮中に戻り寝殿に入って間もなく女を召して、深い契りを交わした。

この時から太子の寵愛は日増しに強くなり、華陽夫人と名付け、昼夜淫酒に溺れ、国務朝廷の政事も荒んでしまったので、大臣四人が評議し国事について伺うも聞き入れられず、酒に耽るばかりで、華陽夫人に賢慮を奪われ惑わされ、昼夜ぼんやりしているのは王といえども嘆かわしいことだ。

後世・秦の華陽夫人もこの班足太子の愛妃の美しさから取って名付けられたらしい。
ここにまた羅伝南という者がいる。阿羅々仙人に仕え、文学に秀でて世俗から離れた道士である。人に屈せず恩賞も求めず、あちこちを遊び回り人々から尊敬され、近頃南天竺に来て万民から敬われている。

班足太子は元から文学を好んでいたので、その道を学ぶべく殷に来ると、敷物に座って名山の花を賞し、景地の遊覧でも乗り物に乗って高論を聞いた。
しかし、華陽夫人を得てから学問も捨て、羅天道士を召すことも途絶えていた。
ある時、道士が太子の安否を訪ねに来ると、太子はかの美しい婦人と同じ敷物に座って道士を迎える。
挨拶もせず、道士は「君は婚姻の儀式も承らず、一緒に座っている婦人は何者なのですか」と問うと、太子は「近頃、私は物憂げであったためしばらく先生に会っていなかった。今この婦人は、いろいろな訳があって私のそばにいる」
道士は「男女の道は少しも乱れてはなりません。まして国王の位を継ぐあなたであれば尚更で、出自もわからない女性を近づけると禍いを招いてしまいます」と諌める。
太子はこれを聞いて
「私は大いに間違っていた。先生の言葉に従おう」
と言ったが、その後音沙汰はなくついに文学を捨ててしまった。道士は再び太子に物申すことはせず、中天竺に帰っていった。

悉達太子、仏道を弘む 悪狐花園に眠って傷つく

そもそも、耶竭国まがだこくは大国にして限りなく広く、帝・純天沙朗大王の夫人は摩竭国まかつこくの大王の公主にして弗沙大王ほっしゃだいおうの妹である。中天竺加毘羅城の天帝・浄飯大王は親戚にあたる。
浄飯大王の皇太子・薩婆悉達は周の4代目の君主・昭王二十六年甲寅四月八日、日本は地神五代鵜草葺不合命八十三万五千六百七十六年に当たり、摩耶夫人の腹から生まれ、天地を指差し「天上天下唯我独尊」と唱えられたが、幼い時から智恵聡敏にして仁恵の心が深く、七歳から本を読み始め、飽きるまで知識を増やした。十歳の時諸弟と力比べをして、像を城外に投げ出し、九重の鉄を射透された。もっとも、帝王の器が備わっていたので父母からも寵愛を受けていたが、悉達太子は王位に就くことを嫌がり、ただ万民を導き本心に帰依させることを目標とした。
十九歳の二月八日にこっそり王宮を出て檀特山に入り、苦行の末に二十二歳にて鬱頭藍弗に師事した。
三十歳の時に摩伽陀国菩提場金剛座上において、二月八日明星の出る時に心が晴れて悟りを開き、山を下りて仏の教えを開き、広く万民を済度しようと思い、須達長者金を布いて祇陀園を買い寺を建て、仏を奉った。祇園精舎といって、狗耶尼国では婆陀和のために経を説き、柳山では屯真陀羅王のために法を説かれるのをはじめとして、天竺一統に尊信し、一代四十九年もの間、三百余依の説教は権実不二の聖教であったため、釈迦牟尼佛と称して千歳を過ぎた後も三国から仏道の祖として信仰されている。

さて、釈迦佛摩竭国しゃかぶつまかつこく弗沙王げっしゃおうは深く仏道に帰依し釈迦の説法を聞いて尊んだ。
班足太子は弗沙王の妹が生んだ王子で甥にあたるので、よく教訓し説法を聞かせた。聡明だった班足太子は叔父の教えを尊重し、慎み深く道徳を守り、仁心実義に務め、衆人諸民を憐れみ賢者と呼ばれていたが、華陽夫人を得てからというもの昼夜淫酒に耽り、華陽の色香に魂を奪われ、心はねじれ非道に振る舞い、父帝・純天沙朗大王の勅命にも背き、伯父・弗沙王の教訓も忘れ果て色に迷い酒に長じ、夜通し遊楽に耽った苦々しい跡を見て群臣は眉をひそめた。

折しも九月中旬、太子は菊の花園を遊覧しようと雇従の官人四十五人を連れて花園にやって来た。
あちらこちらと見て回っていると、籬の内側の菊の茂みに狐がすやすやと眠っていた。
人が来たことも気づかずに臥せているのを見て、狐は蘭菊を愛し隠れ棲むという古い言い伝えに違わず、
「誰か、あの狐を射取れ」と仰せに畏まって矢を放つと、狐の額をかすって園の中に刺さった。
狐は大いに驚き、籬を踊り越え何処ともなく逃げ失せてしまったので、太子は狐を射損じたことを深く悔やんだ。
気を悪くしたまま帰路についた。その心の内は
「今日の狐を射止めて華陽夫人に見せたら喜んだであろうに、残念なことだ」
と言って、この狐こそが華陽夫人の正体だとは気付かなかった。嘆かわしいことだ。
こうして太子はその夜、華陽夫人の寝室に入ってみると額に布を敷いていたので
「どうしたのだ」
と聞くと、華陽は答えて
「私は今、君の恩遇厚く何も欲しいものはありませんが、唐土に生まれてはるか遠くのこの国まで来たので、故郷を思うと心が疲れ、少しの間うとうとしていると夢で周の武王が棍を持って私の額を打ったところで目が覚めました。夢から醒めると体中に冷や汗をかいて額は傷ついており、痛みに耐えられなかったのでこのように布を包み置いていたのです」
太子は大いに驚き、薬を与えて休ませていたが華陽の傷は程なく平癒したので、班足太子は日増しに華陽夫人を寵愛するようになった。

ある時、深宮に入ると華陽夫人は髪を梳かしながら鏡に向かっていたが、太子を見るなりうちしおれ、涙を流していた。
「どうして泣いているのだ」
と尋ねると、恐る恐る答えた。
「私は思いがけず君から大恩を賜り神仏の加護はなどもったいない身でこのように取り乱しているところへ入ってきて、愛想も尽きて疎んじる気持ちもあったならば、ここにいてもいいのだろうか心苦しく思い、涙が落ちて言葉も出ません。これからも今までと変わらぬ情けを懸けてください」
と取りすがり、泣き沈んだ。
乱れた髪が顔にかかり、月の影も雲に見え隠れする風情、茂原の萩におく露の風の玉が散る景色のようだ。太子は心も虚ろになって、涙を浮かべながら不憫に思い華陽夫人を慰め、酒に我を忘れた。
傾城傾国の様子がすぐそこまで迫ってきているように見えることの、嘆かわしいことよ。

棄叉忠死 名医耆婆、華陽夫人の脈を診ず

班足太子は華陽夫人の色香を愛で心を尽くし、何とかして華陽を慰めようと彼女の好むことなら何でもした。近頃は殺伐としたことを好み、罪のない諸臣に咎を着せ、自分を諌めるものがいれば無礼であることを罪としてすぎに斬り落とさせた。下々の民を捕らえては首を刎ねさせ、華陽夫人に見せて喜ばせた。

それだけでは飽き足らず、華陽の勧めによって驕り高ぶり莫大な国費を消費したので、父帝は激怒して度々諌めたが、太子が聞き入れることはなかった。大臣・棄叉は班足太子を何度も諌めたが、かえって怒りに触れてしまった。棄叉は太子を改心させて父帝の心労を休めさせようと思った。

ある時、諸臣が慶賀を受けている日に出仕し太子を待ち伏せして、激しい言い争いの末に太子は大いに怒った。諸侯に命じて即座に棄叉を斬らせた。その時、棄叉は大声で
「国家のために命を落とすことは覚悟の上だった。太子の不孝不仁の名は末代まで伝わり、千年に渡って汚れるだろう。願わくば我が死を以て恐れず、群臣の中に忠義のある者が極諫死争して国家の滅亡を待つな」
とにっこり笑って刀を受けたのは、潔いさまであった。

ここにおいて雄明君・孫晏・鷓岳叉の三代臣が揃って、その翌日太子の宮に伺公して申し上げた。
「今までの君は仁義を常とし慈愛を持っていたから、御父帝も朝廷の政事を委ねて何事も公正に務めていたのに、華陽が現れてからは昼夜遊んで暮らし、朝廷の政務も行わず、専ら非道な殺伐を好み、忠義篤実の大臣である棄叉も罪なくして誅戮されてしまったのは、どんないわれがあってのことなのでしょう。諸官諸民ともに無実の咎で処刑される者がどれほどいたのか、言葉では言い表すことができない程です。天魔の仕業ではないかとすら思います。衆民がいなければ、君主は成り立ちません。忠臣がいなければ、国を治めることもできません。これまでの恨みとともに民衆が心変わりをすれば、国家の動乱となるのは避けられません。御父帝に対する孝行の気持ちは忘れてしまったのですか。真っ直ぐな心を取り戻すまで、しばらく華陽夫人を我らに預けてください。君が正しい心を取り戻したらならば、お返しいたします。棄叉の死を見ても我らが自分の身も顧みず諌言をするのは、すべて国のため、君のためです。誤解なさらぬよう」
と、涙ながらに言葉を尽くしたのを太子は黙って聞いていたが、
「御簾を垂れよ」
と言い捨て、席を立った。

華陽は一部始終を聞いていたが、太子にすがり泣きながら
「今の三人の大臣は棄叉が誅せられたのを見て種々の事を諌めた上、私をしばらく預けろとは小賢しい言い回しです。三人の内、鷓岳叉は年も若く美男だといいます。弁舌は爽やかで水が流れるかのようです。彼は密かに私に恋慕の情があると思って、彼は弁口で両人を言いくるめ、諌めがましく申し立てて私を預かり、最後は自分のものにしようと思っているのです。もし、彼らの諌めに従って預けられたならば、誰かに私の首を刎ねさせて渡してください。どんなことがあっても他の人には触れられたくありません」
と嘆き沈んで説得すると、太子は
「苦しむことはない。彼らが何を言ってもそなたを預けない。そなたの言葉を信じるならば三人とも言語道断の曲者で死罪にするべきである。とりわけ鷓岳叉は捨て置き難い振る舞いだ」
と怒りを覚え、
「この三人も咎を見出し、誅戮するべきだ」
と心に留めた。

今となっては群臣衆民はみな華陽夫人が国家に害をなすのを疎み、憎まないものはいなかった。
けれども華陽は病に臥せ、日に日に食欲はなくなり痩せ細っていったので、太子は大いに心を痛め、鬱々として何も楽しめず寝床に入り、典薬の官嘉詳子智叉均とその他数人の大医を召して脈を診させ、服薬させる薬を議論させ療養を尽くさせたが効果はなく、元気にもならなかったので太子は深く気を悩ませた。華陽の病だけを案じて煩い、侍女が酒宴を勧めても興じることができなかった。

ここに、耆婆という数代の名医がいた。
以前は賢学候大医統正であったが、いささかの過失があって今は官を解かれている。
そうではあったけれども、博学名誉にしてその医術は評価されていた。
太子はこれを召し出し、華陽の病を診させた。
耆婆は脈を診て大いに驚いたが、その座から退き別殿にて太子に謁見し、人目を遠ざけて密かに言上した。
「華陽夫人の脈を診たところ、信じられないことですが人間の脈ではありません。おそらくは野狐の類でしょう。早く御身から遠ざけてください。恐れながら君のためを思って言上することをお許しください」
と憚りなく述べると、太子はこれを聞いて
「なんてことを言うのだ。人を見て畜類と判断するのは、どんな名医であっても脈を診てわかるものではないだろう。これまで数多の医師が脈を診たが、このようなことは言わなかった。お前がそんなことを言うのは確かな根拠があってのことなのか。その証拠はどこにあるのだ」
と怒っていったが、耆婆は少しも動ぜす
「御命令だったので恐れ多くも引き受けましたが、私は数代医を生業としてどうして脈を詳しく調べないことがありましょうか。君の禄を食べ、恩を蒙る身でありながら忠誠心のない人間の脈は、畜類の豚とは大きく異なります」
と、その一つ一つを詳細に説明し、はっきりと論じるたので、太子は心の中で
「これも鷓岳叉の謀事で、華陽を手に入れようと兼ねてから耆婆と示し合わせていたのだ」
と疑ってますます怒ったが、医者の診断を論破するのは難しい。言葉も出なかったので
「早く病を治せ。追って処遇を決めるよう」
と言い捨て不愉快な様子で奥の殿に入ったが、華陽が臥せている部屋に入ると
「今日、耆婆がそなたの脈を見て、畜生が人に化けたものだと言っていた」
と冗談っぽく言うと、華陽は心の中で大いに驚いたが、何事もなかったかのように取り繕い、興が醒めたような顔色ではらはらと涙を流し、怒りを表しながら
「これは恋の仕返しです、彼は以前から私を見ていました。恋に身を焦がし、度々恋文を送ってきましたが、彼ごときにどうして心が傾くのかと不埒を叱り、今後このような無礼を働かないようにしてください。本来であれば恋文を持って君に訴えるべきでしたが、情けをかけて返してしまいました。君に対して不忠不義でありながら大恩を蒙り、君に愛される私に贈る恋文の艶めかしさを見ても私が心変わりしなかったので、身を汚してやろうと思うのは人面獣心だと辱めたのを彼が恨んで、その仕返しをしようと思って今日医者を遣わし畜生と言わせたのです。たとえ畜生だとしても、君に寵愛されているのを知っていながらそのように言うのは難しいでしょうに、礼儀も知らないうつけ者です。もしその言葉を信じて私を遠ざけたなら、捕らえて自分の慰みにしようと計る不届き者です。つくづく憎き雑言です。女ならばともかく、男の身であるならば他にするべきことがあるでしょう」
と泣き沈むさまを見て、班足太子は鷓岳叉を疑い耆婆の始末を聞いてこれは本当のことだと思い、たちまち憤怒の形相が現れ、悪鬼羅刹のごとく
「腐った医者が戯言を聞かせて私を惑わし、愛する夫人を畜類と辱め遠ざけるべきとの謀略虚言を持って君主を欺こうとするとは、何という不届き者だ。このまま捨て置くわけにはいかぬ。早く召し寄せて罪をはっきりさせて誅戮せよ」
と言うと、華陽夫人は太子を誑かせたと密かに喜び、涙とともに諌めたのは
「君のお怒りはもっともですが、今彼を誅するのは私がそう勧めたからだと大臣たちに疑われ、再び私を預けてくれと言うでしょう。その上、医者も誅しようとしているのかと議論されるでしょう。君のお怒りの甚だしさを見ては、少しの間でも離れられないことを思うと悲しさよりも心憂きます。私の病は治し難いものではありません。近いうちに耆婆を召して私と問答しなければ、彼が送ってきた恋文の不義を明らかにし、畜生と悪名を付けたことも咎め、医論脈論については私が知っている限りを話して邪悪を正そうして、彼が何とか答える時、君は彼の虚言の罪を明らかにして誅したならば、誰が君を非道と言うでしょうか。そうすれば私を謗るものもいなくなり、耆婆の妄言だと示すことができるでしょう」
と己の悪意を押し隠しながら利害を詳細に述べたので、太子は感心して
「あっぱれ、すばらしい心だ」
と褒めて、ひとしお華陽に魂を奪われた。

こうして諸官に御命令が下り、耆婆に太子への密告言上があった事について追って処遇が決まるまでは門戸を閉じて慎めという命令を受けてその旨を遂行すると、耆婆は
「身に誤った覚えはありませんが、君の厳命であれば下の者として背きません」
不本意ながらも門戸をさし固め静かに暮らしていたので、諸人も不審に思い名医耆婆はどのような過失をしたのだと口々に噂した。

さて、三人の大臣は棄叉の忠死を憐れみ、太子を嘆いて密談し、華陽夫人の身柄を預かろうとしたが容易には了承されなかったので、この上は謀事を以て太子を騙し、華陽夫人を離して遠ざけようと考えた。
そうしようと思ったところに華陽夫人が病に臥したので、しばらく快気の時を待って事をなし、第一に国家のため、第二に棄叉の幽魂を慰めようと各々の心に秘めていた。

耆婆、孫晏に会す 華陽夫人、耆婆と問答

さて、耆婆は華陽夫人の病によって太子に召され脈を診たところ、思いがけず人間の脈ではなかったので、君のためを思って密かにその旨を報告したのだが、かえって不審に思われて、退出後程なく何もせずに門を閉ざして慎むべきとの咎を受け、静かに過ごしていたが、これは華陽夫人が太子に讒言したせいだろう。

どうして何も罪を犯していないのに、このように命じられなければならないのか。
いかにも華陽は野狐の化生にして君を誑かし、悪さをしようと企むものだ。
彼の寵愛を受けるようになってからその悪行は重なり、専ら斬伐をして諸民の恨みは限りないものとなり、国が騒乱となるのは目前に迫ってきている。臣下として君の一大事を偶然として見るべきではないだろう。たとえ我が身は絶命しても国恩を報ぜようとして、どうやって華陽を追放しようと工夫を凝らし昼夜考え込んでも、禁足中に身であるため徒に日々を送っていた。
私の忠心が神仏のご加護に叶い運が尽きなければ、もう一度華陽に会って畜生の正体を明らかにし、国家の安寧を取り戻そうとただ一筋に思って時を待った。

しばらくして華陽は全快し、今は健康を取り戻したが
「耆婆が私の脈を診て畜生と見立てたのは事実であるから、後々の害となるだろう。今、彼を言い伏せて君を怒らせて殺せば安心するだろう」
と一つの謀略を考えて、ある時、班足太子に嘆き訴えた。
「先頃、耆婆が私の脈を診てさまざまな妨害をして私を追い出そうとするのは、密かに恋文を送り、恋慕の情を辱められ、不義横道を隠すためです。まずこのことを罪として咎め、次に私を指して畜生などと妄言と言ったのを咎め、一つ一つ糺して明らかにしてください。耆婆を召し出して私と問答させてくださったならば、この事を君に聞かせましょう。問答の勝負によって、理非をはっきりさせてください。」
と申し上げると、これを聞いた太子は
「彼は速やかに誅戮すべきところを、そなたの言うことに任せて命を延べ置いていた。さっそく言う通りにせよと許しがあったので、官務に命じて明日耆婆に出仕させ、詳細に問答させよう」
との厳命があったので、耆婆は畏まって了承したが
「思いがけず華陽と対面することができるので、日頃の念願が叶ったと飛び上がるほど喜び、彼の変化のありさまを詳しく説明し、速やかに追い出し、君を穏やかにして諸民を安心させ、忠義を表そう」
と夜が明けるのを待った。

そうこうしているうちに、大臣の中でも親密な孫晏にこの事を話しておこうと、夜になって訪問した。
「先頃、私は華陽の脈を診て太子に密かに言上して謹慎を命じられたが、どうしてこんなことになってしまったのかと思っているところに、明日来るように命じられた。兼ねてから思っていたことを華陽の前で弁解しようと彼女と問答をするつもりだ。一刻も早く彼女を除き、国家の災いの元を絶ち、元の太子に戻して諸民を安堵させたならば、死も厭わない。太子に言上すれば穏便に彼女を退けられるだろうと思っていたが、思いの外怒りを買ってしまった。太子の命によってこのように咎めを蒙り、新たに厳命があった上は包み隠さずに話そう、かの妖婦は人間ではないと」
と始終仔細に語ると、孫晏は驚き感じ入り、
「天晴れ、忠義の志を頼もしく思う。すでに棄叉が太子を諌めて誅戮されてから、同胞とかの夫人を追い出す策を考えていたところだ。まず、差し当たってのことについて心を尽くせ。けれども身の程をわきまえることだ。明日、朝廷で太子に説明し、側に難儀があったならば、禍いを救え。事の一部始終を告げられることの嬉しさよ。論議に勝てなければなお言葉を添えて、私も取り計らおう」
と挨拶して帰った。

夜が明けると耆婆は朝から準備を整え、殿中に出仕して控えていると、しばらくして
「ただ今席に出よ。華陽夫人に不審な点があれば直接尋ねよとの御命令である」
とのお達しが出たので、耆婆は喜び
「十分に言い伏せて恥辱を与え、悪婦を追い出してやる」
と席に進んで部屋の中を見渡していると、大臣・孫晏、雄明君、鷓岳叉を始め百官有司が威儀堂々と列座し、班々の百司は末座に並んで控えていた。
正面に御簾を半分巻き上げて敷物を敷いていたのは、華陽夫人の座のようだ。

こうして綾羅錦繡を纏った華陽夫人が数多の官女を前後に従えて立ち出で、その顔は花も紅葉も及ばない程であり、天女が降りてきたかのようだった。彼女に見とれた諸官たちは心も空ろになり恍惚として、太子のご寵愛が深いのもごもっともであると思った。
こうして華陽夫人は席に座った。耆婆に対して
「今日もお前が私の脈を診るのですか」
と言ったので、耆婆は答えて
「先頃はあなたの脈をよく診て、一つの考えが浮かびました。太子に仔細を言上したのだから、再び脈を診るようなことはいたしません」
華陽は難儀に思って、
「前に脈を診た時は私を畜生と言った。君に言上したと聞いて、これは私に恋文を送ったが返事がなかったので、私を辱めて叶わぬ恋の仕返しのために私を畜生と言って君に見限らせ、その後自分のものにしようと企んだのでしょう。君の禄を賜りながら君臣の礼儀も弁えない不忠不義のいたずら者、まだ言い訳を言うのですか」
と言う。身に覚えのないことを言われた耆婆は驚き呆れ、しばらく答えることもできなかったので、列座の諸官も目配せ袖を引きながら
「やはりそういうことなのだろうか」
と疑った。耆婆が答えて言うには
「脈を診るまで夫人を見たこともないのに、どうして恋文を送るのですか。
少しも身に覚えがありません。証拠でもあるのなら出してください」
と言うと、華陽が言うには
「お前が恋文を送ったことに対する罪は重いと言っても、数代の医家にてその道に詳しく、天下に益をもたらすと聞くので、これを失うことは本意ではない。お前の家名と先祖の功を憐れんで、君には話しません。まだ見ぬ恋に憧れ文を送ってきて大方は燃やしたのだが、末の2通か3通は辱めの文であったため封を開けずに返す時、燃やすように言った。そうであればと、証拠がないと分かっていながら証拠があるのかと難題を突きつけるとは、不届き至極の曲者である。このようなことになるとわかっていたら文を燃やさず残しておいたものを。無念千万、これ程の事を企むお前だと知っていたならば、恋文を君に渡したものを、今更悔やんでも仕方ないことだ。文を取り次いだ女は去年亡くなり、私とお前以外にこの事を知っているものはいないので、嘘が真か証明することはできない。やった事をやっていないと言い争うのは人情もなく、賤しいことだ。このような浅ましい身分で君の寵愛を受ける私に恋文を出すとは、大胆至極である。お前の脈こそ、畜生の脈であろう」
と散々罵ったが、耆婆はまったく身に覚えがないので物を言うこともできなかった。

華陽夫人はこれを見て
「よしよし、答えることはできまい。彼の畜生の脈の話は後で聞くと言い捨て席を立って奥に入ろう。耆婆は歯ぎしりしても、何もできないだろう。脈法医論においては立ち所にいいすくめ、恋文の事も覆らないだろう」
と退き、再び出てきては医論に及ぶ時だと待った。

華陽夫人、耆婆と医学を論ず 耆婆、霊夢を蒙る

今日、殿中で華陽夫人と耆婆が医論を談じるとは誰も想像できなかっただろう。
華陽の言葉は、いつの間にか手紙を送り、恋文を送っただろうと辱められて言葉もなく、まだ見ぬ恋に憧れたと遠慮なく言う。耆婆が恋心を抱くようには思えないが、ありえないとは言い難い華陽の姿である。
まだ見ぬ恋にさえ心を尽くし、姿を見たらなおさら心を動かされない人はいないだろう。
この問答で華陽の勝利を願う諸官の心もまた、恋と言うのだろう。

やや時が過ぎ、華陽が現れると諸官も各々着座して耆婆も前の席に進んだ時、華陽夫人は耆婆に向かって
「お前が私の脈を見て、畜生と判断した理由を聞かせよ」
と尋ねたので、耆婆は答えて
「脈は吸う息で二動、吐く息でまた二動潤じます。大息でまた一動あって、一息に五動して多すぎず少なすぎず、これを平脈とします。病のある時は多すぎたり少なすぎることがあります。六脈の過不及を診て、その病の原因が何処にあるのかを判断します。
けれども畜生の脈であったなら、どうやって判断できましょう。こうして脈を診ることによってあなたが畜生の類だとわかり、医道によってこれを明らかにしないことがありましょうか。脈を診て病を知るのは医者の専門分野にて、諸病を探り薬を施して病を治す脈の浮沈細数が備わっていないのだから、人間でないことは明らかです」

華陽夫人が言うには、
「お前はそう言うが、医者はお前一人だけというわけでもなかろう。お前は弁が立つゆえ言葉を曲げて私を拒もうとする。まったく、先にも言ったが恨みを含んでのことなのでしょう。医論において私の脈を畜類のものだという証拠があるのですか。お前の生業とする道はこの国で始まったのか、あるいは秦の黄帝・神農の道を兼ねているのか」
という言葉に応じて、耆婆が言うには
「国があれば、道もあります。
そもそもこの国は、薬師瑠璃光如来を医道の祖としています。
けれども他の国の長所も学んで道を磨けば、秦の医道も兼ねて通じるのは言うまでもありません。』
そうであれば医術を生業とする者は第一に天文易数に達し、第二に薬品の効能を理解し、第三に博学にして神聖工巧でなければ、医術とは言い難いでしょう。このことを踏まえて考えますと、医論という広大なものであり、脈を診ることだけではありません」
と広言すると、
「知識人ぶって述べるのを問答というのですか。あらゆる医学を論じ、その中に畜類の脈に関する話はあるのですか。邪悪を以て正義と争うお前は博学多才などではない。腐った医者の奥意を力任せに論じてみよ」
と見下し、耆婆も耐え難いほどの怒りを抑えながら
「女性の身でどうやって医学を明らかにするのですか。人間でないものであればなおさらです。その体から禍いが現れるでしょう。であれば問答をしましょう」
「まず、三部九侯とはどのようなものか」
華陽は答えて
「寸關尺を三部とし、この三部の出るところは浮中沈の三侯一部で、三候ある」
「三々九侯」
と耆婆は言い、重ねて「六脈はどうなるか」
華陽は答えて
「左は心肝腎を診て、右は肺脾命門、これを六脈とする」
耆婆が「五臓の司るところはどこか」と問うと、華陽は答えて
「肺は皮毛、心は血脈、脾は肌肉、肝は筋爪、腎は歯牙を司る」
耆婆が「五臓に通じるところは何処であるか」と問うと、華陽は答えて
「心は舌、肝は眼、肺は鼻、脾は口、腎は耳、前後の二陰に通じている」
耆婆が「食物の納まる五つの場所を答えよ」と問うと、華陽は答えて
「酸は肝、苦は心、甘きは脾、辛きは肺、鹹は腎に。納まる色は、青黄赤白黒。五常においては、仁義礼智信。五行においては、木火土金水。五体においては、地水火風空。方角においては東西南北中央。この後も問答をするのであれば、何を尋ねられても詳しく答えましょう」
と言うと、耆婆はしばらく声も出なかった。

華陽夫人はこうも言った。
「お前は私を女だと侮り、難しい質問をして私に恥辱を与えようと意地悪く考えてのことであろうが、人間に生まれてどうしてこれらを知らないことがあろうか。『連山』・『帰蔵』の数より三墳五典九疇八策の旨を問うてみよ。お前より詳しく答えてやろう」
と言ったが、耆婆は答えず忙然としているだけであった。

華陽は、
「お前は巧妙なことを言ういんちきな医者で、易・薬品・学才に通じていなければ医術とは言い難いと広言を吐いた舌の根はまだ乾いていない。お前は自分の方が勝っていると思って高慢に振る舞ったが、私に負けるとはなんと医者として未熟なことか。今一度修行せよ」
と華陽の弁舌の清くさわやかなることは、とうとうと流れる泉のようであった。
耆婆は鬱陶しく思ってため息をつくことしかできなかった。
並みいる諸官はみな華陽の博学多才に感心するばかりであった。

耆婆は面目を失って、
「人ならざる脈を見極めたが、これを証拠とする手段もなければわかる人もいるまい」
と言いかけて、論は言いすくめられ、恥辱を受けて咎めを待つだけの身で大臣・孫晏の方を見返すありさまであった。

班足太子は両人の問答を物陰から聞き、こっそりと座っているその席には側近の侍臣から問答の様子を詳しく聞くと、耆婆の粗忽さに怒り、
「筋なく華陽を恨み、自分の不義を隠そうとして恥辱を与えようと悪巧みする大不忠。速やかに誅すべきだ」
と命じたが、孫晏がこれを遮り助命を乞うたので死罪にはせず、
「厳しく謹慎し、出仕してはならない」
と早々に玉殿から追い出し、警護を付けて送り出したのはまるで重罪人のようであった。

そんなわけで耆婆は門戸を閉じて禁足し、慎まやかに暮らしていたが、心は晴れず問答において華陽夫人に論じ伏せられ、諸官が見ている中で恥辱を与えられたのは無念に思ったが、
「これは一瞬の傷だ。華陽を除こうと思うのは国のため、君主のため、天の助けを以て忠義を立てよう」
と摩竭陀国の天神の廟を遥拝し、祈誓をなして十七日間沐浴潔斎し、昼夜寝ずに丹誠を凝らして一心に念仏を唱えていると、天はこれを憐れに思った。

夜、思わず疲れて寝そうになっていると、夢とも現ともわからず、
「そなたが国のために化生を除こうと願うならば、ここから一千里、乾の方角に金鳳山という山がある。この山を登り薬王樹を探しなさい。この樹を得ることができたなら化生を退けることができるだろう。この樹を倒し、野狐樹としなさい。これを化生に見せたら、たちまち正体を顕し逃げ去るだろう」
というお告げを蒙り、目が覚めると天神さまが夢の中で助言をくださったのだと、かたじけなく遥拝し、深い恵みを感じつつ、耆婆は謹慎中のみであったが密かに旅支度をして、
「神の教えに従い、金鳳山に向かおう」
と心に決めた。

耆婆、金鳳山に薬王樹を得る 華陽、正体を顕し塚の神の跡を留む

耆婆は旅の支度を整えて出発するに至って思ったのは、忠義のためと言えども咎のある身で千里も先の山に向かうことは、天に対して申し訳ないと思って、夜こっそりと孫晏の館を訪問し、対面して夢でみたことを包み隠さず話した。
「謹慎中ですが、遠慮なく旅に出ようと思います」
と心の内を述べると、孫晏は深い忠節を感じて、
「他の者たちには私が言っておく。病気だと説明しておくから、早く忠義を顕し本懐を遂げれば復職できるだろう」
と会釈を蒙り、耆婆は大いに喜び、家に帰って夜が明けたら金鳳山に出発しようと決めた。

数日を経て金鳳山にたどり着き山の麓に差し掛かると、松柏がしんしんと茂って空を覆っていた。
落ち葉が積み重なっていて道もなかったので、ただ頂上に柴を分けつつよじ登ると、険峻たる岩石が崔々と削れていて、鳥も翔れないほどであった。葛に取り付き藤を掴みながらかろうじて登って仰ぎ見ると、雲峰が剣のようにそそり立ち、屏風を立てるように辺りが霧に包まれていて、足元には遙々たる幽谷が広がっていた。
白露が積もって渓泉となり、難所を飛び越えて頂上に登り、
「ここが金鳳山か」
と思ったが、聞ける人もおらず、ひとつの大樹があるのを見ると、木こりがやって来て斧で枝を打っている。耆婆は
「これぞ天神のお導きだ」
と声を上げ、
「金鳳山はどこにありますか」
と尋ねると、
「ここです」
と言う。耆婆は再び尋ねる。
「この山に野狐樹という樹があると聞いています。本当の名前は薬王樹と言うそうです。どこにあるのでしょうか。よければ、教えて下さい」
と言うと、木こりは
「今私が切っている枝こそ、野狐樹とも薬王樹とも言う樹である」
耆婆は、
「であれば、どうか枝を一本私に恵んでくださらないでしょうか」
と頼むと、心安く頷いて大いなる枝を一尺ばかり与えると、耆婆はこれをいただき
「この上もなき感謝、言葉では表しきれません」
と頭を下げて礼をした。

耆婆は一升の酒を持ってきていたが、険しい道のりに疲れて飲み尽くしてしまったので、
「お礼の品もなく申し訳ありません」
と言うと、木こりが言うには、
「酒は好きか。私も酒を持っている。一緒に飲もう」
と盃を取り出し、自分も少し飲み、耆婆にも盃を与えて、二人とも酔いを尽くした。
酒の味わいの甘美なることは例えようがない。いい酒を飲んで登山の疲れも取れて、
求めていた樹もたやすく手に入れたので、安心して酔いも回って、そのまま眠ってしまった。

目覚めると木こりの姿はなく、美酒で空腹は満たされ、草むらの上で眠っていたのも忘れ、心なしか元気になったので、誠に天神の助けだったのだとありがたく思って、九拝して一刻も早く帰ろうと薬王樹を持って急ぎ、九日間かけて帰宅した。
かの薬王樹をちょうどよい長さに切って箱にしまい、孫晏の館に持っていき、夢のお告げは本当だったのだと話すと孫晏は喜んで、雄明君・鷓岳叉も招いて耆婆の忠誠心を語り、華陽を追い出す事についてよく話し合い、それぞれ帰っていった。

こうして雄明君・孫晏・鷓岳叉が出仕して班足太子に謁見して言上したのは、
「耆婆は謹慎中の身と言えども、その忠誠心は本物です。なぜなら、君は小さい頃から正しく道を守り、悉達太子の説法を信じて愛憐慈悲の恵みをたれて、国中がこぞって帰伏し、譲位も近付いたところに華陽夫人と出会ってからというもの、猛々しく殺伐を好むようになり、罪のない諸民を害するようになって、忠臣が君のためを思って諌めれば誅せられ、棄叉も罰されてしまいました。今となっては、群臣は誅されるのを恐れて諌める者はなく、国民は恨み、国は傾き乱れようとしています。御父帝に対して親不孝を働いてはいけません。御譲位があっても、一日も国は治まらないでしょう。これまでの非道不直の所業はどんな天魔に魅入られたのだと同胞と議論して『華陽夫人の身柄をしばらく預かろう』と願えどもお許しを得られませんでした。そうこうしているうちに華陽夫人は病にかかったので耆婆に脈を診るよう命じたところ、人間の脈ではなく野狐が化けたものだと驚き、君に言上したところお咎めを蒙り、その上問題の命を蒙ると、かの夫人は神弁不測にして、普通の女性であれば知りようもないことまで知っていました。これは妖怪であるからです。
けれども耆婆は君のために自分を犠牲にしてでも恩に報いようと摩竭陀国の天神の廟を拝し、十七日間潔斎をなして国家安穏怨敵悉滅悪魔降伏変化退散の祈りに丹精を凝らして天神に誓いを立てたので、耆婆の忠誠心に情けをかけたのでしょう。満願の夜の夢に神のお告げがあって夢から醒めるとふしぎなことに、一本の樹の枝を化生に見せれば、たちまち正体を顕すとの神勅がありました。願わくばその一物を華陽夫人に見せて、君にも本当の姿を御覧になっていただき、耆婆への疑いも晴れるでしょう」
と嘆き訴えたところ、他の臣下たちもその忠心に聞き入っていた。
「どうかお許しください」
と申し上げると太子は、
「これを聞くに、耆婆の妄言はまだ変わっていなかったのか。お前たちは大臣として重罪人のようなことを言うとは理解し難いことだ。問答の末、耆婆の罪科が明らかになったのは知っているだろう。謹慎中の耆婆がどんなことを願っても聞き入れるべきではない」
と大臣たちの頼みを押し返したので、大臣三人が説得すると、
「そこまで言うのであればお前たちの思いに応えよう。この上で耆婆の言葉に相違あれば、即座に誅しお前たちも謹慎させる」
との命によって、三大臣は早速耆婆へ使者を遣わせてこの由を知らせた。
太子は華陽夫人にしかじかの事を聞かせると、華陽は笑って
「なんという身の程知らずなのでしょう。罪を重ねて願いをなそうとすることの不憫さよ。今日こそ誅されるでしょう」
と喜んで待っていた。

耆婆は使者から知らせを受けて飛び立つばかりであった。
かの一物を箱にしまって勇敢に出仕したので、大臣がその旨を報告すると
「今日は誰が諌めても誅戮を許すべからず」
との厳命で耆婆を呼び出し、三大臣も座に列して様子を見渡すと、捕子剣子の役人、耆婆が左右に立ち回り、「すわ」と言うと、搦めようと睨みつけて扣えるのは危ういありさまだ。
華陽は例のごとく立ち出て言葉を発し、
「この前の問答に恥もせず、よく出仕できたものだ」
とあざ笑うと、耆婆は、
「何を言っているのですか。ただ一目御覧に入れたいものがあって持って来たのです。よければ差し出しましょう」
と言うと、華陽は微笑んで
「また恋文か。今日見た上は許さぬ。早く見せよ」
と言うと、耆婆がかの薬王樹を取り出して華陽の眼前に差し出すと、なんとまあ不思議なことだ。
今まで容姿端麗、類ないものであった華陽がたちまち身を震わせて叫ぶと、白面金毛九尾の狐となって
「あら口惜しや。天竺一帯を魔界にしようと尽くした丹誠も無に帰してしまった。残念なことだ。もう五十三日遅ければ班足太子も害せたのに、無念この上ない」
と風を呼んで雲を起こし雨を降らし、閃く稲妻に乗って何処へともなく飛び去っていくのを班足太子をはじめ大臣諸官も空を打ち眺め、
「不思議だ。怪しい化生の害を逃れたのは、世にも珍しい。顔は白く、全身金毛で尾が九つあるのはいかにも年を経た悪狐であろう」
と各々舌を巻いて恐れおののいた。

太子は酔いが醒めたように夢見心地で静かに手を拱いていたが、元来聡明だったのでたちまち事の次第を悟り、
「これまで華陽の色香に迷い、魔魅変化の障碍に心を奪われていたのは、愚かであった」
と大臣諸官をそれぞれ召して慚愧懺悔をしつつ、
「私は誤って諌めを拒み、邪道殺伐の行いをしてしまった。恥を悔いて、不孝の罪も恐れない。
耆婆がいなければ、国を失い黄泉の鬼となっていただろう」
と感激して、三大臣の他にも諌めの言葉を奏上した諸官に官位一級を与え、耆婆は本官に復し、賢学侯大医統正となって教道一階を与えられた。

棄叉をはじめ思いがけず死んでしまった者には、その子孫に重く俸禄を賜り、父帝に誤りを悔いて太子は以前の正道に戻り諸民も喜んで国家安泰に万々歳を唱えた。

一説には、班足太子の父は后とともに南殿で春の花を鑑賞しているところに何処からともなく唐獅子が飛び込んできた。大夫人を咥えて山奥に逃げていった。諸臣は驚いて後を追ったが、行方はわからなかった。王も悲嘆に暮れたが仕方がないと思ったが、翌年の后の一周忌になって、獅子が背中に夫人を乗せてやって来た。庭に下ろして去っていくのを見て、大王は驚いたが、后が戻ってきたのを見て喜んだ。君臣は不思議に思った。后は皇太子を産むと、獅子の子だったので両足に斑の毛が渦巻いていた。よって「班足太子」と名付けたという。

こうして妖怪の怨みを恐れて、太子の宮廷で華陽夫人と出会った紅葉の茂みに一つの塚を築き、これを塚の神とした。
華陽の正体である白面金毛九尾の狐は再び唐土に立ち戻り、禍いをなそうと天竺に隠れて時が来るのを待っていたところ、耆婆の忠義の徳によって薬王樹を得てから、この樹を以て人を診察すると五臓六腑病の症、軽重がはっきりと分かり、これを以て配剤た薬は効果てきめんだったのは言うまでもない。

ここにおいて、いよいよその術は国中に知られ、遠い唐・日本にも知られた。篤実信義誠忠であったので、天道冥助の徳を得られたのも道理である。