平安時代

【源平合戦】いざ、鎌倉

【前回までのあらすじ】頼朝は安達盛長を遣わし、千葉介常胤に参上するよう命じた。
すると、常胤は「(頼朝が)今いるところは要害の地でもなければ源氏ゆかりの地でもありません。早く相模国の鎌倉にお向かいください」と申し上げた。
頼朝たちは鎌倉へ向かった……。

頼朝、鎌倉に到着

頼朝の邸宅を建てる

治承四年(1180)10月6日、頼朝は相模国に到着した。
突然のことで頼朝の新居は建てていなかったので、とりあえず民家に泊まることにした。

10月7日、鶴岡八幡宮を遥拝した。
その後、源義朝の御旧跡である亀谷に邸宅を建てようとしたが、土地が狭い上に岡崎義実が義朝の没後を弔う寺院を建てていたので、取りやめになった。

そして10月9日、大庭景義担当の下、頼朝の御邸宅の工事が始められた。
ただし期日に間に合わせるのは難しいので、その間知家事兼道の山内の家を移築することにした。

鎮宅の府

山内の家は安倍晴明が鎮宅の符を押したので、正暦年間に建てられて以来火事にあったことがない。

10月11日卯の刻、政子が鎌倉に入った。大庭景義が出迎えた。
前日の夜伊豆国阿岐戸郷から到着していたが、日柄が悪かったので稲瀬川周辺の民家に泊まっていたのだという。

また、走湯山の住僧良暹りょうせんが鎌倉に到着した。頼朝とは長年の祈祷の師と檀那の間柄である。

鶴岡八幡宮を移す

10月12日寅の刻、頼朝は先祖を崇めるために小林郷(現、鎌倉市雪ノ下付近)の北山に宮廟を構え、そこに鶴岡八幡宮を移した。
良暹を別当とし、大庭景義がその他の諸事を執り行うことになった。

八幡宮の鎮座する場所を新旧のどちらにするか決まらなかったので、くじ引きで決めた。
しかしまだ立派な造りにすることはできなかったので、まず簡素な社を建てた。

頼朝、邸宅に入る

10月15日、頼朝は初めて邸宅に入った。
16日には鶴岡若宮で長日勤行を始め、相模国桑原郷(現、神奈川県小田原市桑原付近)を供僧の費用に充てた。

駿河国へ出発

10月13日、平氏の大将軍である平維盛が数万騎の軍勢を率いて駿河国手越駅(現、静岡県静岡市駿河区手越付近)に到着したとの報告があったため、16日の夜相模国府六所宮に到着した。
相模国早河庄(現、神奈川県小田原市早川付近)を箱根権現に寄進し、自筆の手紙を副え、雑色鶴太郎を遣わして箱根の別当行実のもとに送った。

箱根権現に御神領を寄進する事。
相模国早河本庄
早く箱根別当が管轄して支配すべき事。
右の早川本庄は、前兵衛佐源頼朝の計らいで、寄進するものである。他人の妨げがあってはならない。後日の証拠のために文書に書き表し、このとおい申す。

治承四年十月十六日

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やみみん

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