説話

簠簋抄 現代語訳 安倍童子、龍宮に招かれる~帝の病を平癒させ、清明の名を賜る

基本情報

原文

その後、彼の童子も化来の人なる故に、年積り鹿島の明神に百日参籠申し、其の内万事死相を見るべからず由誓願す。
然るに、九十九日目に童子数多集まり、小蛇を殺さんと引き回すを、安倍童子これを見て死相見るべからずの誓い成る、故に彼の蛇を買い放つなり。
その得の故に百日満する日美女宮内に来たり申す様、我こそ昨日の蛇なり。我は是れ龍宮の弟女なり。その故に礼術を龍宮の為に請わ被る。早く至り給へと云ふ。
安倍童子参詣申すなり。然るに使いの妃語って曰く、龍宮に於いて重宝の四寸の石櫃有り。千金者賜る共彼の者得ず。汝乞いて取るべしと教訓す程なく龍宮へ至る。宮中にて御誠に我が獨り弟女を昨日助け給ふ事言語に足らず以て千金の礼を述べ給ふに、是を請けず宮海に於いて四寸の石櫃有るべし。彼を給えと望む故に龍宮不思議の望なる哉、尤も出るべしと則給う間浮に帰らんと暇を乞ふ折節、龍宮にて烏薬を耳につけ給ふ。程なく元の鹿嶋に帰り諸鳥の囀りを聞くに、能く聞き知るなり。

然るに何に意無く拝殿に居す、東西よりカラス二つ来たり。宮上にて一の烏囀る様は、汝は何方の烏ぞと問ふ。又一のカラス囀りて、我は都のカラスと云ふ。
都の烏が、汝は何方のカラスぞと云ふ。我は関東の烏と云ふ。重ねて又東方の烏が曰く、都には何事があるやと云ふ。西方の烏が云う、都には此の程は王位の御悩以ての外力なりと云ふ。東方のカラスが曰く、其の故如何と問ふ。西方の烏が曰く、去年御寝殿作り給ふ。其の丑寅の柱碇の下に生きたる蛙と蛇を興して築籠むる。蛇は蛙を飲むべしとす。蛙は飲まれじと戦ふ。其の炎を上て天王御悩御座ふと云ふなり。彼の礎を穿ちて蛙と蛇を取りたらんには御悩即平癒有るべしと囀るを聞きて、之即都へ登り天下無双の博士と札を出す。或る時、臣下大臣之を聞きて大なる車櫃に蝮を数多入れ用意有りて、彼の博士を召し出し、櫃の中を占ひ申せとの仰せなり。其の内に早や烏は鹿嶋にて囀るが如し、櫃の中の様子を囀るを聞き占わずをして櫃の中には蝮有るべしと具に占い申し上げるなり。諸人是を見聞き不思議の由を申し手を拍つ事計りなし。即大臣公卿殿上人集まり合い有りて、天王の御悩を占わせ給ふなり。元より博士は鹿嶋にてより烏の囀りを聞き得たる故に、右の様子具に言上す。其の故寝殿の丑寅の礎の下を穿ち見給ふに、博士申す如く蛙蛇有り、之を取り捨つるに御悩も平癒の色有り。故にいよいよ博士に御祈祷仕れの由倫言有り。之故種々精城を抽て公卿大臣は様々の政を成し給ふに依て御平癒験重なり。其の時博士を御殿に召され、折節清明の頃なる故に、彼の博士を清明と倫言有るに依て、即博士の名を清明とするなり。清明とは三月の節名なり。其の時、彼の程の博士余に之無しと倫言有りて博七の詞を給ふ。直に四位に任ぜられ縫殿頭となり給ふと云う。

情節

その後、安倍童子も化生の子であるゆえに、年を経て鹿島明神に百日参籠し「万事において、死相を見るべからず」という誓願を立てた。
すると、九十九日目に童子が大勢集まってきて、小蛇を殺そうと引き回していた。
万事において死相を見ないと誓っていた童子は、小蛇を買い取り放してやった。
その徳ゆえに、参籠して百日になる日、美しい娘が童子の前に現れた。
「私は、昨日あなたに助けていただいた蛇です。私は龍宮の乙姫と申します。父より、ぜひお礼をしたいと言伝を預かっております。早く龍宮へおいでください」
安倍童子は龍宮へ向かった。使いの妃から、龍宮には四寸程の貴重な石櫃があり千金を得られるから賜るよう教えられ、程なくして龍宮に至った。
宮中にて、童子は龍王から四寸の石櫃を受け取り、烏薬を耳につけて地上へ戻った。すると、鳥の言葉を理解できるようになった。

ある時、童子が拝殿にいると、東西から二羽の烏が飛んできた。一方は都から来た烏で、もう一方は関東から来た烏だという。
烏たち曰く、寝殿の丑寅の方角にある柱の下で蛇と蛙が戦っているせいで、帝が病に悩まされている。柱の礎を掘り起こして蛇と蛙を取り除けば、帝の病はたちまち平癒するだろうと囀っていた。
これを聞いて、童子はすぐに都へ上り、自分は天下無双の博士だと触れ回った。
大臣たちはこれを聞きつけて童子を召し出し、大量の蝮を入れた車櫃を用意して、櫃の中を当てるよう命じた。
だが、烏たちの囀りを聞いていた童子は、櫃の中身を当てることができた。それを見聞きした人々は不思議なこともあるものだと感心した。
すぐに大臣・公卿・殿上人が集まって、童子に帝の病を占わせた。
童子は烏の囀っていたとおりに言上した。
「寝殿の丑寅の方角にある柱の下を掘り起こして、蛇と蛙を取り除けば、帝の病は平癒するでしょう」
こうして、帝の病は平癒した。
童子は御殿に召され、その頃は清明節の時期だったことから「清明」の名を賜った。
清明とは、三月の節名である。
それから、童子は従四位に任ぜられ縫殿頭になったという。

補足説明

鹿嶋明神

茨城県鹿嶋市にある神社。

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