説話

簠簋抄 現代語訳 吉備大臣、大唐の試練に挑む

基本情報

原文

大唐より日本へ伝来するは、昔人王三十九代天智天皇の御宇よりこの方、日本より大唐へ官銭を遣わすなり。
天智天皇より五十五年目の遣唐使安倍仲丸若少にて渡海す。其の時、日本は四十四代元正帝、大唐は十代梁の武帝の仰せに「日本は小国にて人之心短く、必ず後は随うべからずと思い、官銭微少なり」と仰せられ、遣唐使衆責め殺させ給うなり。かの安倍機有る者なるゆえに赤鬼と成りて大唐国を廻り、黄昏になれば障碍を成す。ゆえに、諸人七つ時になれば出入りを止むなり。仲丸命失のゆえに帰朝仕らずといえども、重ねて吉備大臣を遣唐使と為し数度渡らせ給う。後に丁巳之年渡海の時、吉備ようやく大唐に着く。其の時も唐は梁之武帝日本も未だ元正の御宇なり。然るを又彼も失命と仰せなり。大国之法義にて智慧を計り、不足の者之を殺す。然るに大唐の軍を学びて囲碁というもの有り、未だ日本に渡らず。これを打たせよの仰せなり。
吉備何ぞ意もなく宿所に臥したりし時、仲丸赤鬼来て吉備が枕神に立ち「我を如何なる者と思うや。我は先遣之安倍仲丸なり。汝も我が如く殺さんと殿上にて囲碁の謀り有り。則ち、明朝汝と打たせん為に大唐の上手の碁打、憲当という者相手に仰せ付く。ゆえに今夜老婦と明日のために之を打ち、汝行きて之を見るべし」と言う。
また、則赤鬼が袂にふると思えば、則彼等が宮殿に至るなり。彼等が様子を見るに、瑠璃の盤に金玉の石を以て之を打ち、四方に蝋燭を立て体為に言語にも及ばず、三番之を見るゆえに悉く手を見得たり。然るに、元の宿所に帰る。案の如く、店明吉備を殿上へ召される。間もなく、参内申すところにかの憲当相手として囲碁を打てとの仰せなり。夢中に悉く見るゆえに、吉備大臣は憲当に二番勝つなり。ゆえに武帝これにては殺されまじきと思いて今日の暇を賜る。ゆえに、元の宿所に帰るなりという。

第二番目に、武帝又議曰く「吉備昭明太子の作る文選を未だ知らず。之を与えて読まざるは殺さん」との仰せ有り。
其の夜、又かの鬼来たりて公に告げて曰く「武帝毎夜文選を読み給う。我が背中の上に居てたしかに之を聞くべし」と言いて負いて帝の辺りに至り、直に之を聞く。本宿に帰り、後日に又公を召す。之を読めと仰せなり。其の句に曰く「流水早く落ち、飛鳥速やかに去るこの如く」等の文句明らかに之を読む。ゆえに、これにても殺さざるという。

第三番目に、武帝の仰せに「大国の儒者宝誌和尚新たに文篇を作る。之を与えよ」と仰せなり。然るゆえに和尚野馬台の詩扶桑の識文未来記五言十二韻百二十字の乱行不同にして、文字紛乱のゆえに帝王も読み給わず。ゆえに大国の儒者みな庭前に召され、文を当て給えとも読む者は之無し。ゆえに武帝の仰せに「さて、これにては殺すべし」と御感有りて、明店召し之を与えて読むとの仰せなり。
然るに又かの赤鬼、吉備が枕神に来たりて右の様子通我も汝が命替わりに成ると侍れども、我は不智にして宝詩和尚の智力に及ばざる。本朝は神国仏神三宝を頼むに命を逃るるべしと告げて虚空に去るなり。
吉備驚き思う様、明日殺さるるべきことは必定なり。赤鬼が教え真なりと驚き、日本は東方我が朝に向かって願う。日本は神国天神七代地神五代、上には有頂天、下には金輪際底獄に至るまでの仏神三宝、此度の害を逃れ給えと遥拝礼首の祈念し、殊に吉備若年より大和国長谷寺の観音を信じ奉る。ゆえに南無大慈大悲観世音菩薩、我此度に他国の命終を逃れ給えと祈誓し、吉備眠ると思えば、香衣を着したる老僧化来あり、枕神に立ち告げ給うは「汝は我何者と思うや。我は日本長谷寺の観音なり。汝禁中において野馬台の詩之を読めんと為すという。更に読み難しといえども、朝日に向かいてひらいて居るべし。我蜘蛛と成りて初読の字の上に落ち、漸々糸を引くべし。其れに随いて読むべし」と告げ給いて、跡無く失せ給うなり。
吉備夢覚めてなお観音を念じ奉り、早や夜も明ければ案の如く禁中に召され、野馬台の詩を給う。霊夢に任せて、朝日に向かいて之を開き見るに、蜘蛛来たりて東の字の上に落ち、糸を引く教えの如く之を読むに、一字も読まざるところ之無し。其の後帝の前にて之を読むに、読まざる文字之無し。其の時、武帝仰せて「天下無双の智人なり。これを殺しては無体なり」と仰せられ、害を逃れ給う。
結局、吉備を梁の武帝は師匠に頼み給いて、三年武帝に宮仕し奉る。

情節

第三十八代天智天皇の御代、日本から大唐へ官銭を遣わした。
それから、まだ若い安倍仲丸が遣唐使として渡海した。だが、大唐の皇帝は「日本は小国ゆえ気が短く、後に従うようなことがあってはならぬ。官銭も少ない」と仰せられ、遣唐使たちを始末させた。仲麻呂は赤鬼と化して大唐国を彷徨い、日が暮れると障碍を成すようになった。そのため、人々は七つ時になると戸締まりをした。
仲麻呂は大唐にて落命したので帰朝できなかったが、代わりに吉備大臣が遣唐使に任ぜられて渡海した。丁巳の年、吉備公はようやく大唐に着いた。大唐の皇帝は仲麻呂のときと同じように吉備公を亡き者にしようと企んだ。吉備公の智慧を計るために試練を与え、突破できなければ殺す。未だ日本に伝わっていない囲碁によって吉備公を試すことになった。
何も知らない吉備公が宿所で寝ていると、赤鬼と化した仲麻呂がやって来て吉備公の枕元に立った。
「私を知っているか。お主の前に唐に遣わされた阿倍仲麻呂である。皇帝はお前も私と同じように殺そうと、殿上にて囲碁を打たせようと企んでいる。明朝、お前は大唐の碁の名手である憲当という者と碁で戦うことになる。今夜、憲当は明日の対決に備えて妻と碁を打っている。お前はそこへ行き、碁の打ち方を覚えるのだ」
そう言って、仲麻呂は吉備公を憲当の家まで連れて行った。憲当夫妻は瑠璃の盤上で金の碁石を打ち、四方に蝋燭を立てているのを見て、吉備公は碁の打ち方を悉く会得した。
そうして、元の宿所に帰った。明くる朝、案の定吉備公は殿上に召され、憲当を相手に碁を打てと命じられた。吉備公は憲当に勝ったので、皇帝は今日はこれまでとお開きにして、吉備公は宿所に帰った。

二つ目の試練として、皇帝から「吉備は昭明太子の作った文選を未だ知らぬ。これを与えて、読めなければ殺してしまえ」との仰せがあった。
その夜、例の赤鬼がまた来て吉備公に「皇帝は毎晩文選をお読みになる。私の背中に乗ってしっかりと聞け」と言って、吉備公を背負って皇帝の側まで近づいた。
吉備公は直に皇帝が文選を読むのを聞いて、宿所に戻った。後日、吉備公は再び召されて文選を読めと命じられた。吉備公は「流水早く落ち、飛鳥速やかに去る、この如く……」などの句をはっきりと読み上げた。こうして、皇帝はまたしても吉備公を抹殺することができなかった。

三つ目の試練として、皇帝から「大国の宝誌和尚は新たに文を作った。これを与えよ」との仰せがあった。
和尚が作った野馬台の詩は、未来に起こるできごとを五言十二韻百二十字で表したものだが、乱行不同にして文字も乱れており、皇帝でも読めないものだった。
大国の儒者たちが庭前に召されたが誰も読めなかったので、皇帝は今度こそ吉備を殺せるだろうと考え、明朝吉備を召してこれを読ませるよう命じた。
再び赤鬼が来て、吉備公の枕元に立ってこのことを伝えた。
「お前を助けてやりたいのは山々だが、私でも宝誌和尚の智慧には及ばぬ。神頼みするしかない」
そう言って、赤鬼は虚空に消え去ってしまった。
吉備公は驚いたが、赤鬼の言う通り明日自分は死んでしまうのだろうと思い、日本のある東の方を向いて「日本は神国天神七代地神五代、上には有頂天、下には金輪際底獄に至るまでの仏神三宝よ、此度の難を逃れさせてください」と祈った。
それから、吉備公は若いときから大和国長谷寺の観音を信奉していたので「南無大慈大悲観世音菩薩よ、どうかお助けください」と祈誓した。
吉備公が眠りについたかと思うと、老僧の姿をした仏が現れて吉備公の枕元に立った。
「汝は我を誰だと思うか。我は長谷寺の観音である。汝、禁中において野馬台の詩を読むと聞いた。読み難いものだが、朝日に向かってこれを開いてみよ。我が蜘蛛の姿となって読み始めの文字の上に降り、糸を引いていく。それに従って読んでいけ」
そう告げて、観音は跡形もなく姿を消した。
目が覚めた吉備公は観音に感謝し、明くる朝、案の定吉備公は禁中に召され野馬台の詩を読めと命じられた。
吉備公は夢のお告げに従って、朝日に向かって詩を開いた。
すると、天井から蜘蛛が降りてきて右上の文字の上に止まり、そこから糸を引いていった。吉備公が糸に従って文字を読んでいくと、詩をすべて読み終えることができた。
そして、皇帝から「吉備は天下無双の智人である。これを殺してはもったいない」と仰せられ、吉備公は難を逃れた。
こうして、吉備公は皇帝に三年仕えた。

補足解説

天智天皇

第三十八代天皇。在位:668~672年。

官銭

政府が発行した銭貨。

安倍仲丸

阿倍仲麻呂のこと。安倍晴明の先祖という説がある。霊亀3年・養老元年(717)、遣唐使として唐に渡る。

梁の武帝

阿倍仲麻呂が入唐した当時の中国は、唐の玄宗の時代である。

七つ時

午前/午後4時頃。ここでは、午後4時頃。

昭明太子

梁の武帝の息子。『文選』の編纂者。

文選

春秋戦国時代から梁(南朝)までの文学者によって作られた賦・詩・文章などを分類して編纂したもの。

宝誌和尚

六朝時代の僧。日本の未来を予言した『野馬台の詩』の作者とされている。

関連

『江談抄』『安倍晴明物語』に、吉備公が唐の皇帝から与えられた試練(囲碁・文選・野馬台の詩)に挑む説話が収録されている。

江談抄吉備入唐の間のこと
安倍晴明物語吉備大臣入唐のこと付殿上にて碁を打つこと
安倍晴明物語吉備公文選を読むこと
安倍晴明物語吉備公野馬台の詩を読む并びに読む法のこと

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