平安時代

【現代語訳】『平治物語』より「信頼、信西を亡ぼさるる議の事」

信頼、信西を亡ぼさるる議の事

信頼は息子の新侍従信親を清盛の婿にして平家に近付き、その武威によって本意を遂げようと考えていた。
ところが、清盛は太宰府の次官のため数多の大国を賜り、一族はみな朝恩を蒙り恨みもないので同意してはくれないだろうと思った。

そこで、源氏左馬頭義朝は保元の乱以後平家に劣って不愉快に思っているだろうと接近して熱心に志を伝えた。
「信頼はこのようにいるのですから、国も庄もお望みのままに官位の昇進もとりなしますから、天皇も受け入れてくれるでしょう」
義朝は「お気持ちのままに大事を承りましょう」と申し上げた。

新大納言藤原経宗にも働きかけた。
中御門藤中納言家成卿の三男越後中将藤原成親は後白河院の寵臣だと語り、乳母夫の別当惟方も頼った。
中でも、別当は信頼卿の母方の叔父だった。
その上、弟尾張少将信俊を婿にして深い縁を結んだ。

こうしていろいろな人に働きかけて機会を伺っていたところに、平治元年(1159)12月4日、平清盛は宿願を果たすために嫡男重盛を連れて熊野へ参詣した。
清盛が留守にしている間に信頼は義朝を招いた。
「信西は紀伊二位の夫であるのをいいことに、好き勝手やっている。子供には官職位階を欲しいままに与え、信頼に対しては火も水もかけて讒言し、目上の人に媚びへつらう入道です。
この者が居続ければ国は傾き、天下を乱す災いのもとになります。
天皇もそうお思いになったのですが、機会がなかったので戒めることができませんでした。
さあ、貴殿もどうでしたか。よくよくお考えください」
「六孫王から七代、弓矢の武芸を以て逆賊を滅ぼし、武略の術を伝えて敵を滅ぼしてきた。
けれども、さる保元の乱で源氏一門は朝敵となって親類はみな討たれ、義朝一人になってしまったことは清盛が密かに謀ったのでしょう。
これは元々わかっていたことですので、驚くほどのことではありません。
このように頼りにされたのですから、好機があれば一門の浮沈を試みようと思います」

信頼は大いに喜んで、いかもの作りの太刀一振りを出して「喜びの始めに」と引出物として授けた。

「いかもの」は、飾りの金具などが大きくいかめしいこと。

義朝が謹んで太刀を受け取って退出すると、白黒の馬二匹が鏡鞍を置いて引いてあった。
夜中のことだったので松明を灯して馬を見た。
「合戦の準備でいちばん大事なのは馬です。この竜蹄なら、どのような陣でも破れるでしょう。周防判官季実・出雲守光保・伊賀守光基・佐渡式部大夫重成もお呼びください。内々に伝えたいことがあると聞いております」と言って出発した。

義朝は宿所に帰った。
信頼は日頃用意していた武具から鎧五十両を追って遣わした。

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